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滝沢カレンの「変身」の一歩先へ 朝、目が覚めたら、僕の体がベッドになっていた?

撮影:斎藤卓行

また、朝が来た。

目の前には木の木目が顔みたいに見える天井が僕を見返している。

生ぬるい風が耳を起こす。

「また窓開けっぱなしで寝ちゃったな」

隙間風で昨夜の自分のだらしなさを思い出させる。

太陽の陽と共に起きたくたってそうはいかない。

僕のアパートは太陽が四方八方一切当たらない。

だから4万7000円で住めているのだから文句は言えないが。

たまにまだ夜なのか、と朝を勘違いしてしまうほど暗い日だってある。

だからか、僕も暗い。

7:30に目覚め、8:30には家を出る。

そして9:00。

僕は職場にいる。

僕はデパートの7階で寝具を売っている、単なる冴えない販売員だ。

特に夢があるわけでもなく、ただ寝具を見ているのが好きってだけの理由で売る側になった。

デパートの寝具店にお客は1日多くて10〜20人くらいだ。
土日になれば50人以上来るが、大きな買い物な分人混みになることもない。

それが、寝具売り場の好きな理由のひとつでもある。

今日もお客はまばら。

僕はお客がいないときは、好きなベッドでたまに見つからないよう寝転んだりしてひそかに楽しんでいる。

今日もそんな風にお気に入りのベッドに腰を下ろしてボケッとしていた。

「あぁ、眠いし暇だ。月曜日はほんとうに暇だ。」

そんな事を頭で並べながら、宙に浮いてる足をブラブラさせた。

"カラン"

「ん?」

ふいに足の指先に何か感触を感じた。

ベッドの下に何かが転がっていった。

「なんだ?」

僕はベッド下を除きこむと、一つの黒い玉が落ちていた。

右腕をうんと伸ばしてその黒い玉を取り光に当ててみた。

黒いながらもなんだかキラキラしている。

「なんだろう?これ。子供のおもちゃかなんかか?」

僕は特に気にも止めず、あとでレジに置いとこうとその黒玉をズボンのポケットに無造作にいれた。

そんな黒玉の存在をすっかり忘れたまま僕は接客を夜までしていた。

黒玉に気付いたのは着替える時だった。

「あ、これ。」

僕はさほど焦ったわけでもなくただ、ゴミになるものを持ってきちゃったな、くらいにしか思っていなかった。

帰り際に、駅にあるゴミ箱に黒玉は捨てた。

僕は、電車に乗り、最寄駅のコンビニで夜ご飯を買い、何も変わらない仕事後を送った。

あの黒玉以外は。

「あれー!?鍵どうしたっけな。えーっと、」

僕はポケットに入れたはずの鍵がないことに気付く。

リュックにズボンのポケットやっぱりない。

「うわぁ俺落としたかな?」

そんな焦りあたふたを玄関前でしていると僕の足元に信じられない物が転がってきた。

あの黒玉だ。

捨てたはずの黒玉だ。

気持ち悪いと思いながらも、僕は拾いあげてみた。

間違いない。今日、店に転がっていたどこまでも黒々した黒玉だ。

とりあえずまたポケットにいれて再び鍵を探し始めた。

するとなぜだろう。
いつも入れているポケットから鍵が当たり前の顔をして出てきた。

「あーよかった。」

探し足りなかったに違いないと僕は決心し、
家に入った。

僕はコンビニ弁当を温め、お風呂上がりの髪の濡れたままご飯かきこみ、適当にテレビをみた。

そして、眠りについた。

何も、何も変わらない明日がくる、

はずだった。

ピピピ ピピピ ピピピ ピピピ

また朝が来た。

なんだろう身体中にすっきりしないダルさがある。

「うわー、風邪でも引いてしまったかな。」

僕はいつもの天井を見ながらまぶたの重さ、身体の重さを感じていた。

明らかにいつもと違う。

"熱でも測ってみよう"そう思いながら身体を起こそうとした。

"ん?"

絵:岡田千晶

僕は人生一驚いた。

だって僕の目線に映るのは誰も寝ていないマットレスの景色なのだから。

僕は信じられない奇妙な景色に時を止めた気がした。

理解に数分なんかじゃ足りるわけもなく。

何時間僕はあの景色に戸惑っていたのだろう。

わかったとしても分かりたくない。
そんな気分だ。

だって僕はベッドそのものになっていたんだから。

僕の身体はもうここにいない。

そんな奇妙な現実が僕を襲う。

起きあがろうとすると、ベッドそのものが立ち上がってしまう。

少しの動きで周りの家具や小物たちがド派手なダンスのように家の中を転がる。

受け止めきれない僕の身体を粘り起こしてとりあえず外に出てみる。

家の細い廊下を通るのに2〜3時間は揉めた気がする。

ドアの外には変わらない外がある。

夢だったらいいのになんて考えは取り下げられた気分だ。

ベッドが立ち上がっているだけでも目立つのに、それが歩き出すだなんてあまりにも目立った。

今日も仕事の日だ。

とりあえずお店に行かなくてはいけない。

寝具販売店の店員がベッドだなんて誰が信じてくれるか?

いや、いっそ僕ではなくそんな新しいマスコットキャラクターだと思って欲しい。

僕は会社までの道中、どんな風にお店に打ち明けようか考えた。

人々の格好の的になりながら。

ベッド姿の僕は、どうにかこうにか店に辿り着く。

5時間ほど遅刻しているため、店長もさぞ怒っているだろう。

僕は寝具店を遠巻きにそーっと見てみた。

変わらぬ景色の中で僕以外の店員たちが寝具を売っている。

勇気をだして、僕は店に入った。

「あら?今日からなにか始まるの?」

遠慮なく話しかけてきたのはこの寝具屋で一番のリーダー格でもありながらパートのおばさん、鈴木さんだ。

やっぱり、ベッドが歩いているんだから何かマスコットキャラクターだと思っている。

「おはよう御座います」

僕は軽く会釈しつぶらな声をだした。

鈴木さんは、会釈と笑顔で僕の前からサクッといなくなった。

「て、店長!」

僕は勇気を振り絞り、奥で整理整頓をしていた店長に声をかけた。

「うわわぁ。なんだ?!ベッドの着ぐるみ?ロボットか?今日から何かフェアでもあったかな?」

店長は胸ポケットから小さな予定帳を開き、スケジュールの確認をし出した。

「いや〜。あの僕、、」

「あ!大丈夫大丈夫!まさかベッドくんがベッドを売るなんて思わなかったが、また社長の考えだろ!おもしろいな〜。早速じゃあ店前でお客さん呼びこんでね。今売りたいのは、えっとーあ、あの一番手前にあるベルギーの二段ベッドだから。よろしく!」

僕が思っていたより何百倍も飲み込みも理解も早かった。

まさか、僕だなんて思ってないんだろう。

単なるベッド型のマスコットキャラクターだと思われてベッドの僕が寝具店にいても、
誰も驚かなかった。

みるみる馴染んでいく自分を感じる。

お客はみな興味を持ち、僕に近付く。
むやみやたらな商売言葉を添えなくても、勝手にベッドが売れて行く。

ベッド型の僕は、今までで一番寝具を売った気がする。

あんなに毎日毎日、頑張っていた僕。

不器用な笑顔と丈足らずな言葉であっけなくお客の気を引くこともできなかった僕が、
今日は別人のようにみるみる売っていた。

そう、これは別人だ。

売れたぶんだけ僕の自信となっていった。

お店の閉まる頃、ベッド姿の僕はいつもの僕より居心地すらよくなっていた。

「いや〜ベッド君!君すごいね。おかげでベルギーの二段ベッドは店舗分完売!さらにお取り寄せで35台待ちになったよ。いや〜すごい!やっぱりマスコットキャラクターは強いな〜。明日も頼むよー!」

店長の見たことのない笑顔が寝具店に広がっていた。
他の店員たちも店長の機嫌がいいと気が晴れている。

僕はふと気付いた。

それは
販売店員としての僕が姿を現さなかったことは、誰も気にしてもいないということ。

冴えない僕は、所詮人の目に映ろうが映るまいが気にも止まらないんだ。

でもベッドになった僕はたくさん褒められたし、たくさん喜ばれた。

そしてたくさんの人の記憶の中に足跡をつけた。

それが嬉しかった。

"また明日も頼むよ"なんて言葉、初めて言われた。

僕はその日家には帰らなかった。

次の日。

目覚めるとまだ暗い店内が見えた。
身体はやはりベッドのまま。

なんだかホッとした自分がいたりして。

そして誰よりも早く店内を清掃し、陳列を整頓し、そしてみんなの出社を出迎えた。

「わー!ベッド君!こんな綺麗に?ありがとう〜!ずっとベッドを着ているなんてプロ意識がすごい!」

リーダー格のパートのおばさんが来た。

どうやら着ぐるみをずっと着ている健気な人に写っている。

僕は会釈をした。

パートのおばさんも笑顔で会釈した。

続々と販売員がやってくる。

僕はみんなに挨拶されみんなに親しまれていく。

そのうち寝具の売り上げは伸びていく一方だった。

明日も、またその明日も。

ベッドになった僕は、人間の僕では体験できなかったことがたくさんあった。

店長が褒めてくれたり、パートのおばさんが目を合わせて会釈してくれたり、同僚たちがたくさん話しかけてくれたりと。

自信も夢もなかった自分はあんなに居場所がなかったのに、今の僕はここにいていい。

そんなベッド姿のまま僕は窓の外を見ながら浸ってしまった。

お月様さえ今なら目が合う。

その年の暮れ、売り上げの発表があった。

閉店後、寝具店に販売員が集まり店長から今年一年の各々の売り上げを発表していく。

目に見えて、ホワイトボードに書かれた僕の売り上げ棒がとんでもなく長かった。

こんな景色は見たことがない。

店長始め、販売員たちが拍手で僕を褒めてくれた。

「ベッド君!半年前、突如現れてくれた救世主だ!
君の熱心なおかげでベッドは爆売れ、そして君を一目見ようと客足も去年の36倍!いや〜ほんとうにすごい。おかげで僕も胸を張れる半年だったよ。ありがとう。ほんとうにありがとう」

店長が僕に今にも泣きそうな笑顔で褒めてくれた。

差し出した手に握手しようと手を伸ばした。

「え??」

僕の、僕自身の手が握手していた。

「え?!」

僕は何度も手や身体を改めて見た。

間違いなくベッドの姿ではない。

僕がいる。

「ん?どうした?山下君。何か?」

どういうことだ。

店長は何にも気付いていない。

というより、僕がおかしいのか?

頭の中が服いっぱいの洗濯機みたいにこんがらがる。

周りも誰も何も驚いていない。

みんな僕が焦っている姿にきょとんと笑いながら見ているくらいだ。

僕は急いで従業員室のロッカーに走り込んだ。

「えっとー昨日撮った集合写真があるはずだ。」

昨日忘年会の時に撮影した集合写真を携帯電話の中から探した。

昨日は間違いなくベッドだった僕。

写真に写る僕は、ベッドなんかじゃなかった。

僕だった。

紛れもなく僕だった。

ひとつ違うことは、胸を張った笑顔な僕だということ。

僕はずっとずっとベッドになんかなっていなかった。

でもベッドに変身したと思って生きていただけだった。

なぜ僕はこんな夢みたいな状況になっていたんだろう。

僕の中で、
姿が変わっていただけで物凄い自信が出た。

きっと僕の根っこにあった恥ずかしいとか勇気が出ないという邪魔していたものを変身させてくれたのかもしれない。

黒玉は、また今日も勇気の出ない誰かの元に現れるかもしれない。

(編集部より)本当はこんな物語です!

 「グレゴール・ザムザはある朝、なにやら胸騒ぐ夢がつづいて目覚めると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変わっていることに気がついた」(山下肇・山下萬里訳、岩波文庫版)。外回りのセールスマンとして一家の大黒柱だったグレゴールは、一転して家族に忌み嫌われる存在になり、一家の暮らしも困窮し不幸のどん底へ転がり落ちていきます。

 この書き出しが有名な「変身」は、プラハ出身のユダヤ人作家フランツ・カフカがドイツ語で書いた中編小説で、100年以上にわたって世界で読み継がれています。

 物語の冒頭、毒虫になってしまったグレゴールがベッドから起き上がるのに悪戦苦闘する場面が描かれますが、カレンさんバージョンでは目覚めた主人公がベッドになっていました。原作とは対照的に、結末はハッピーで読後感もさわやかです。