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お雑煮研究家・粕谷浩子さんインタビュー 多様さは地域や家族の来歴から

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お雑煮研究家・粕谷浩子さん「私の一品」 食べるたびに驚く「甘くない小豆雑煮」

36歳で仕事をいったん休み、食の研究をスタート

――まずは、お雑煮研究家として活動を始められた経緯を教えてください。

 転勤族の家庭に生まれたので、子どもの頃から土地ごとにお雑煮が全然違うというのは知っていたんです。ただ面白いなぁと思うだけで、まさかお雑煮でどうこう活動していこうなんて考えてもみませんでした。転機になったのは、36歳のときに仕事をいったん休んで、女子栄養短期大学に入学したことでした。栄養士の資格を取って食にまつわる仕事をやろうというつもりもなくて、それまで一生懸命頑張って仕事をしてきたので、2年間ぐらいは好きなことをしてみようと思ったんですよね。

 私は食べることがすごく好きで、料理も大好き。食べたものが体の中でどうやって栄養分などに変わっていくのか、そうした生化学的なことをしっかりと学びたいという思いがありました。一方で、そういう勉強をしながらも、食の分野で好きなことを研究してみたいなと、思い浮かんだのがお雑煮だったんですね。

――そこからフィールドワークという感じで、各地でお雑煮について聞き込み調査をされるようになったんですか?

 短大生のときは勉強で忙しくてなかなか現地調査のようなことはできなかったんです。でも、東京には地方各地から人が集まっているので、バスや電車を待っているところで声をかけて話を聞くというようなことをしていました。日本各地へ行くようになったのは、卒業後ですね。仕事で農商工連携や地域資源活用事業などに携わる機会があったので、よく地方にも足を運んでいました。お雑煮から始まって、各地の四季折々の料理についても聞いて回っています。

 お雑煮はあくまで「入り口」なんですよ。例外もありますけど、基本的には餅が入っている汁物がお雑煮で、全国共通でわかりやすい。しかも、年に1回、ハレの日に食べる料理だから、今もゆるやかに昔のものが残っているんですよね。でも、隣近所のお雑煮のことはあまり知らない、本当に閉鎖的な料理。そこがまたお雑煮の面白いところだなと思います。

伝統食材の「最後の砦」に

――今回の『地元に行って、作って、食べた 日本全国お雑煮レシピ』(池田書店)は、基本のお雑煮から、変わりダネや特徴的な具材を使ったお雑煮まで、各地のお雑煮が幅広く紹介されています。どんな思いで作られたんでしょう?

 この本は、お雑煮についてまとめ上げた完成版ではまったくないんです。もう本当に終わりがないんですよ(笑)。だから、いろんな人たちと一緒に調べていきたくて、「みんなのお雑煮プロジェクト」の第一歩としてこの本を作りました。その活動をするためのテキスト的なものになればいいなと思っています。この本に書いたようなこと、例えば、お雑煮に使われる食材、出汁の作り方を調べることなども含めて皆さんと一緒にやっていきたいんです。

――お雑煮一つとっても、出汁や使われる具材、お餅の形など、本当にたくさん調べることがありますよね。

 そうなんです。例えば、出汁に使われる焼きあごも、産地によって作り方が違うんですよ。私も体験させてもらった長崎県五島市の焼きあご作りは、小ぶりのトビウオを強火で一気に焼くやり方。もう一つの有名な焼きあごの産地、石川県能登や富山県のあたりでは、大ぶりのトビウオを使って頭を落として焼く。同じ「焼きあご」と言っても、作り方が違うんです。

長崎県五島列島で焼きあご作りを体験する粕谷さん=本人提供

 やっぱり、その土地らしさや文化が反映されているんですよね。お雑煮の具材も、ご当地ならではの伝統食材が今でも使われています。例えば、福岡・博多の人で、かつお菜を知らない人はいないはずです。必ずお雑煮に使われているので。だけど、東京の人は見たこともないんじゃないかな。そういう、その土地の人は知っているけど、よその人は全然知らない食材というのが全国各地にいっぱいあります。しかも伝統食材はたいてい作るのが難しいので、かつては長い間出回っていたものでも、年末の数日間だけしか出回らない食材になっていることが多いんです。だけど、お雑煮で使うから残っているんですよ。ある意味、お雑煮が「最後の砦」になっているということもあるんです。

粕谷浩子『地元に行って、作って、食べた 日本全国お雑煮レシピ』(池田書店)より=キッチンミノル撮影・イラスト西田敦美

――お雑煮の力って、なにげにすごいですね。

 お雑煮から始まって、郷土食文化にもつながっていくんですよね。それらを残していくためには、やっぱり経済と絡めるべきだと思っています。地元の観光資源にするなど、うまく活用できれば、次の時代にまで残っていくものになるんですよね。そういう働きかけも必要だなと感じています。

 数年前から福岡県朝倉市の観光協会と一緒にプロジェクトを始めて、市内の一部地域で食べられてきた茶碗蒸しタイプの「蒸し雑煮」が地元で広がってきました。飲食店で朝倉名物として出すだけでなく、土産物や学校給食でも展開しています。給食で出すと、地元の子どもたちが蒸し雑煮について語れるようになるんですよね。なぜ、この地域で蒸し雑煮が食べられるようになったのか、その背景にある物語が子どもたちに自然と伝わって、語り継いでいくことができる。だけど、蒸し雑煮以外のお雑煮も市内にあることを忘れてはいけないと思うんです。この蒸し雑煮は、朝倉市内でもお武家さんたちが住んでいた地域の雑煮なんですが、それ以外の地域のお雑煮についてもきちんと調査して、あわせて残していくことが必要なんですよね。なので、改めて調査しようと声を掛けています。

福岡県朝倉市の一部地域で食べられている「蒸し雑煮」=キッチンミノル撮影

聞き取りからプロジェクトへ

――調査といえば、お雑煮に入れるお餅の形の分岐点を調べているのも面白かったです。四角か丸か、大きく分かれるのは関ヶ原あたりだそうで。もしや、今、滋賀県長浜市に住んでいるのは、そのリサーチのためですか?

 そうなんです。分岐点といわれる関ヶ原の近くに住んで聞き込み調査をしたいと、2022年4月に長浜に移り住みました。知っている人が誰一人としていない土地だったんですけどね(笑)。本の完成後も、伊吹山の尾根のあたりが境になっているんじゃないかと当たりをつけて、車でその辺の集落をまわって調べました。そしたら、見事にその尾根のところで角餅と丸餅に分かれていたんですよ!

 長浜への移住を機に、地元の農家さんにお願いして押しかけ農業生活も始めました。というのも、そもそもお餅のことを何も知らないなと思ったんですよね。種もみの段階からもち米を作る全工程を知りたくて、やってみました。もち米にもいろいろあって、四角い切り餅を食べる地域のものは、かたくなるのが早いんです。早くかたくならないと、のし餅にできませんよね。一方で、私がいる長浜など丸餅を食べる地域のものは、やわらかい。翌日になってもやわらかいぐらいです。もち米の特徴に合った形のお餅になっているわけなんですよね。

滋賀県長浜市でもち米作り。田植えに初挑戦する粕谷さん=本人提供

――それにしても、皆さん、突然お雑煮のことを聞いても答えてくれるものなんでしょうか? 粕谷さんのキャラクターのおかげですかね。

 あるかもしれないですね(笑)。あと、私が何者なのかわかりやすいように、いろいろ聞いてまわるときは「ZOUNI」Tシャツを着ています。地元の人たちをナンパするときに説明が楽なんです(笑)。

真っ赤な「ZOUNI」Tシャツが粕谷さんのユニフォーム

 でも、私がいくら頑張って聞きまわっていても、一人じゃとても間に合いません。お雑煮のことをいろいろ知っている方に直接話を聞けるのは、いまがギリギリのタイミングなんです。だから「みんなのお雑煮プロジェクト」として、2023年からはいろんな地域の教育委員会などに片っ端から声をかけて、まずは小学校で地域の調べもの学習をしてもらおうと考えています。子どもたちに働きかけることで、それぞれの家庭でお雑煮のことを考えたり調べたりして活動が広がっていったらいいですよね。そして、聞いたことをしっかりまとめることは、地域の高校生や大学生、あるいは団塊世代で時間があるような私の親たちの世代にお願いする。そんな流れを「みんなのお雑煮プロジェクト」で作っていけたらと思っています。

――すごい壮大なプロジェクトですね。そこまで粕谷さんを惹きつける、お雑煮の魅力って何でしょう?

 お雑煮について聞くときって、実は入れる具材や作り方のことよりも、家族や家庭の話が多くなるんです。例えば、正月の朝のお姑さんとのやりとりや、出稼ぎから帰ってきた父親がお雑煮を作ってくれた話など、それぞれの家族や家庭の話をひっくるめて語られるものなんですよ。お雑煮がハレの日の家庭料理であるがゆえの面白さが、そういうところにあるんです。だから、各地域で聞き取り調査をしてもらえたら、いろんな話が出てくると思うんですね。そういう話をそれぞれの土地の物語として、「お雑煮」をキーワードに横串を刺して楽しめるコンテンツにできないかなとも考えています。