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ハン・ドンイル『教養としての「ラテン語の授業」』 気遣いがもたらした複雑さ

 ラテン語の魅力を言葉にするのは難しい。なにせ、一つの動詞だけで少なくとも80近い活用形を暗記しなくてはならず、ドイツのギムナジウム時代、試験の度に膨大な量を復習しなければならなかった。今でもあそこまで複雑である必要性が正直わからない。しかも、その煩雑さゆえに衰退したという説もあるくらいで、だとすれば残念すぎる結末である。私に至っては5年間も履修したというのに、今ではほとんど忘れてしまっているという有り様だ。

 がしかし、10代前半にどんな難題でも一つずつ分解して組み立てる方法を教えてくれた人生の師匠であり、著者ハン・ドンイル氏の言葉を借りるなら「頭の中に本棚を作ってくれた」言語であることは間違いない。本書では、ラテン語を学ぶ経験が人生にどのような贈り物を授けてくれるのか、ローマ時代の格言と共に著者の経験や示唆に富む人生観が紡がれている。

 複雑さについて、ハン氏による興味深い考察があった。ラテン語を正しく操れば、「他者との正しいコミュニケーションが可能」になるというのだ。広大なローマ帝国の共通語ともなれば簡単な方が都合が良さそうなものだが、むしろ逆なのだという。なるほど、一理あるかもしれない。多くの民族間で齟齬(そご)が生じないように言葉を尽くした結果、どんどん複雑になっていったのだろう。

 また、ローマ人は手紙を書く際、相手の手元に届いた時に合わせて時制を調節する習慣があったそうだ。今日はあの日、昨日は前日といったように。これはちょっとやりすぎな気もする。この考えすぎる癖は過去時制の多さにも表れており、ローマ人が過ぎたことをいつまでも気にしていた証(あかし)だという。しかし、そんな彼らの気遣いがラテン語を複雑に、つまり豊かにしていったのだとすれば、なんだか、愛(いと)おしくすら思えてくる。優しい語りに癒やされながら夜眠る前に少しずつ読み進めるのもおすすめしたい。=朝日新聞2023年1月28日掲載

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 本村凌二監訳、岡崎暢子訳、ダイヤモンド社・1980円=5刷3万5千部。昨年9月刊。著者はバチカンの裁判所の弁護士。「本好きな人が集まる書店で特に売れています」と担当者。