コロナ禍に阻まれた取材旅行
――『山怪 朱 山人が語る不思議な話』はシリーズ待望の第4巻。前作『山怪 参』から約4年が経過しましたが、これはやはりコロナ禍の影響ですか。
そうです。この本は2020年の段階でもう半分くらい書き上がっていたんです。もう一息だと思っていた矢先にコロナ禍が始まって、しばらく取材を続けていたんですが、緊急事態宣言以降は完全に取材がストップしてしまった。私が取材するのは田舎のお年寄りが多いですから、感染者数の多い東京から県境をまたいで移動するのははばかられましたし、無理なお願いをする形になっても申し訳ないなと。そのうちコロナが収まることを信じて、2年ほど取材を休止していました。
――東京からリモート取材をするという選択肢はなかったのですか?
それはないですね。山暮らしのじいちゃん、ばあちゃんの家にはパソコンやスマホがありませんし、その準備を役場の方にしてもらうのも心苦しい。そもそも話を聞くだけじゃ取材にならないんですよ。たとえば「山深い」といっても、地形によって受ける印象が全然違う。徳島県の祖谷渓(いやだに)は日本のマチュピチュと言われていますが、行ってみて初めてこんなに深い渓谷に人が住んでいるのかと納得できる。ネットや地図では、暮らしの実感が掴めないんです。私は本職がカメラマンですから、現場に行かないと始まらない、という考えが染みついているんですね。
――「山怪」シリーズはベストセラーとなり、山の怪談ブームを巻き起こしました。取材交渉やインタビューに何か影響は?
別にないですよ(笑)。取材には著作も持っていきませんし、そもそも「不思議な話はありませんか」という聞き方はしませんから。もしそういう聞き方をしたら相手も身構えてしまって、「そんな経験はないねえ」で終わってしまう。
だから必ず「山の暮らしについて聞かせてください」「子供の頃の話をしてください」とお願いするようにしています。何人家族だったか、学校は何人くらいで、放課後何をして遊んでいたか。面白いものでそういう昔話をしていると、「そういえば、こんな不思議なことがあったなあ」という話がぽつぽつ出てくるんです。
この取材を始めたばかりの頃は不思議な体験がなさそうだと分かると、すぐに取材を切り上げていました。でも今は、ないならないで構わないなと思っています。テレビの「ポツンと一軒家」と同じですよ。この人はここでどうやって暮らしているんだろう、という興味が大きくて、不思議な話はあればラッキーくらいの気持ちです。
――狩猟をして暮らす人、林業を営む人、キノコや山菜を採る人。「山怪」シリーズを読んでいると、人と山のさまざまな関わりが浮かんできますね。
たとえばある人が沢を歩いていて、不思議な物音を聞いたとする。その人が沢を歩いていたのには必ず理由があって、それは山の暮らしと深く関わっているはずなんです。都会と違って、ぶらぶら散歩していたということはないわけですから(笑)。だからこのシリーズでは不思議な体験に遭遇するまでを、きちんと書くようにしています。体験だけを切り取っても意味がないし、面白くないんじゃないでしょうか。
不思議な現象はとりあえず狐や狸のせい
――仙人らしき老人に出会った話、大蛇やツチノコに遭遇した話、カッパにまつわる話など、今回も奇妙なエピソードが満載です。中でも狐や狸に化かされたという話は、日本中で報告されていますね。
「山怪」は狐の話ばかりじゃないかとよく言われますが(笑)、山で暮らす人は不思議な経験をすると、とりあえず狐か狸のせいにしておくんです。彼らは生活のために毎日山に入らないといけない。そこに得体の知れないものがいたら、怖いし落ち着かないじゃないですか。だから「また狐のしわざだべ」といって納得する。相手が狐や狸だったら、その気になれば人間にも倒せますからね。都市部のように心霊スポットとか幽霊という考え方はしない。大半が狐か狸です。
――宮崎県西米良村に伝わる精霊「カリコボーズ」の話も載っています。山の中で声をあげたり、人間にいたずらをしたり、やっていることは狐や狸によく似ていますね。
秋田だったら100パーセント狐のせいになりますね。狐とカリコボーズは行動パターンも似ているんですよ。狐は春になると山から下りてきて、子育てをして秋口になると山に戻るんです。カリコボーズもまったく一緒で、春分の日に川伝いに下りてきて、秋分の日に帰っていく。同じような存在が、地域によって別の呼び方をされるのが面白い。
今ちょっと考えているのは、山怪を分類できないかということです。動物の話、岩や木などの場所にまつわる話、人間が絡む話などのパターンに分けて、全体を眺めたら面白いことが分かってくるような気がします。
――真夜中の森林に仕掛けられたカメラに、若い女性が写っていたという体験談にはぞっとしました。山奥で若い女性を見かけたという話は、日本各地にあるそうですね。
こういう話は多いですよ。まず人が入ってこないような山奥に、若い女性がふらっと現れる。奈良でも和歌山でも同じような話を聞きました。共通しているのはどの女性も、ちょっとそこまで買い物に出たというような普段着をしている。実際に会うと怖くて声をかけられないそうです。そりゃそうだよね。昔から山の神は女性だと言われていますが、それと関係があるのかもしれない。
「怪談を書いているつもりはありません」
――かつて日本全国に「神様」などと呼ばれるシャーマンがいて、庶民のさまざまな悩みを解決していました。その実例も数多く収められています。
昔はどこの集落にもいたんですよ。たとえば今回取材した北東北ではイタコ、ゴミソ、オシラなどと呼ばれる人たちが大勢いた。昔は病院が今ほど多くないですから、具合が悪くなったら民間療法で治すか、加持祈祷に頼るしかない。神様は山の暮らしに欠かせない存在だったんです。
といっても重大な相談事だけじゃなく、たとえば「免許証をなくしたから見つけてほしい」とか、そういう些細なことも相談していた(笑)。今でいうオカルト的な側面もあるんだけど、それを頭から信じ込んでいるのでもなく、ほどほどの距離感で心の支えにしていたのだろうと思いますね。
――かつては大勢いたイタコやゴミソも、かなり少なくなっているそうですね。
昔は心配事があったら仏壇に線香をあげたり、ご神木に手を合わせたりすることの延長で、ゴミソに相談していたんですが、今はネットで何でも相談できますから。人との繋がりが希薄になると、こういう職業は消えていくものだろうと思います。
――田中さんは山の怪談の第一人者として各メディアに出演されていますが、ご自身では怪談を書いているつもりはないそうですね。
だってどう考えても怪談じゃないでしょう。今回「山怪拾遺」と題していくつかすごく短い話を載せたんですが、その中のひとつにご夫婦がドライブしていたら、赤い三輪車に乗った女の子が急斜面を登っていったという話があります。イメージすると面白いんだけど、それだけの話なんですよ。三輪車がずっと車を追いかけてきたとか、昔その山で女の子が亡くなったという要素があれば怪談になるんでしょうが……。最近よく怪談やオカルト関係のメディアにも呼んでいただくんですが、正直私でいいのかなという感じです(笑)。
人は語るために生きている
――1冊あたり約60人に取材されているとか。山の生活や不思議を取材するコツはありますか。
これといったコツはありません。ひたすら話に耳を傾ける、それだけです。昔はテレビもスマホもなかったから、夜になると囲炉裏端に家族が集まって、話をするしかなかった。今日はこんな動物を見たぞとか、こんな物音を聞いたぞとか、山の暮らしのあれこれが家族に伝えられていく。今、地方は過疎化と高齢化が進んで、昔のように話をする機会がない。そんなところに私が訪ねていくと、たいてい喜んで話をしてくれますよ。やっぱり人間って話がしたいんです。人は語るために生きてるんじゃないか、とさえ思います。
――田中さんはカメラマンとして長年、山で働く人々の取材をされてきました。その知識や経験も役に立っているのでしょうね。
自分でもこの年齢だからできた仕事だなと思っています。カメラを担いで日本全国歩き回って、マタギだけでなく林業、農業、漁師など、数え切れない人を撮影してきた。そこで見聞きしたことは「山怪」の取材にも生かされています。それに私も六十過ぎですから、お年寄りの語る昔の暮らしがイメージできるんですよ(笑)。家の中が暗かったとか、トイレや風呂場が寒かったとか。それで波長が合うというのもありますよね。
――本の冒頭で「全国的に山に入る人の数は確実に減っている」とお書きになっています。今後、山怪はどうなっていくとお考えですか。
山人の総数が減り続けているので、語られる不思議の数も当然減っていくでしょう。本にも書きましたが、若い人が山に興味を持たなくなってきている。私の世代まではとにかく山菜採りに夢中だとか、釣りが好きでたまらないという人が結構いたんですが、若い世代になるとぐんと少なくなる。山里に住んでいる若者も多くは農協や役場に勤めるサラリーマンですし、スーパーに行けば何でも手に入りますから、わざわざ山に入る理由もないんです。
でも完全になくなることはないと信じています。まだ訪ねてみたい土地がたくさんありますし、今後も山の暮らしを聞き続けたい。そしてその話を活字で残していきたいと思っています。