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最新ミステリの収穫 意欲的な新作で最前線を知る 書店員・宇田川拓也

今年発刊されたミステリ

 前進する船の舳先(へさき)が水を押しのけ、左右に広がる船首波が生まれるように、どの分野でも、その最前線には道を切り拓(ひら)く誰かがいて、そこから生まれた新たな波が、様々な影響を与えながら歴史を創(つく)っていく。

 「ミステリ」と称される、謎解きや犯罪を扱った小説ジャンルにおいても、それは同じだ。2023年も、意欲的な国内外の新作が続々と刊行されており、目を離すことができない。

 そこで、街の本屋にしては品揃(ぞろ)えがいささかミステリに偏っている売り場から、いまミステリの最前線を知るにうってつけといえる、とくにオススメの23年刊行作品をご紹介したい。

 これまでにない斬新さを味わいたいなら、井上悠宇不実在探偵の推理』は外せない。

 本作の名探偵は、大学生のウツツにしか姿が見えない美貌(びぼう)の女性。彼女は抜群の推理力を持っているが、タイトルのとおり目に見えない存在のため、謎を解き明かしてもそれを説明、披露することができない。

 ではどうするのかというと、事件の概要や関係者の証言などを聞かせたのち、刑事が質問を投げ掛け、答えを引き出していくのだ。ウツツが黒い箱に入れて持ち歩いている青いダイスの目の変化から、彼が読み取って返答できるのは、“ハイ”“イイエ”“ワカラナイ”“関係ナイ”、この四パターンだけ。このやり取りによって、死んだ女性が握りしめていた花の意味、宗教施設にある眼球の像が血まみれになった謎、誘拐された女性の消息について、すでに名探偵によって解き明かされた答えに迫っていくのだ。謎解きにも、まだこんな手法と描き方があったのか! と感心すること請け合いである。

慟哭が滲み出る

 人種間の差別や分断、性的マイノリティーの問題など、今日的な題材を取り上げている、S・A・コスビー頬に哀しみを刻め』は、米国犯罪小説シーンに颯爽(さっそう)と現れ、もっとも注目を集めている書き手の長編作品。

 黒人と白人の同性婚カップルが惨殺された事件を皮切りに、それぞれの父親が息子たちを生きているうちに認めてやれなかったことを悔いながら、犯人捜しに乗り出す。なぜ息子たちは殺されてしまったのか。同性愛者だからなのか。ならば息子との溝を埋められなかった父親としての自分もまた、彼らを貶(おとし)め、苦しめる側の無理解な人間たちのひとりなのか。

 ページから慟哭(どうこく)が滲(にじ)み出るような本作はまた、力で戦うことについて考えさせられる物語でもある。黒人の父親アイクは、かつて裏の世界で恐れられた元囚人で、歯止めが利かなくなる暴力の怖さを誰よりも熟知している。けれど、命に代えても護(まも)るべきものに卑劣で凶悪な犯罪者の脅威が迫るとき、どうするのか。苛烈(かれつ)なクライマックスとエモーショナルなラストに胸熱くなる、年間ベスト級の傑作だ。

戦中日本の事件

 古処誠二敵前の森で』の舞台は、第2次大戦終結前後のビルマ。日本敗戦後、捕虜となった北原に戦争犯罪の疑いが掛けられ、英軍の語学将校から尋問を受けることに。容疑は、捕虜の処刑と民間人である少年を兵補として登用した虐待行為。語学将校はいう。「もしひとつでも偽りを述べたらわたしはあなたを殺します。脅しではありません。必ず殺します」

 尋問の場面に挟まれる形で描かれる戦場での日々。北原と語学将校の緊張感に満ちた息詰まる対話。果たして戦争犯罪は本当にあったのか。そして、この尋問には何か別の理由が?

 220ページほどの分量ながら、戦争という特殊な状況でしか起こり得ない真相を秘めた、日本と日本人について令和だからこそ心に響く物語であり、忘れがたい読み応えを約束する。=朝日新聞2023年7月15日掲載