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見坊行徳、三省堂編修所〈編著〉「三省堂国語辞典から 消えたことば辞典」 良識が生んだ取捨選択の記録

 新しく見えるようになったものはすぐに気づく。目の前から消えていったものはいつの間にかなくなっていて、なくなったことに気づきにくい。しかし、変化を知りたければ、なくなったことも記録しなければならない。植物生態学の研究者が、ヒマラヤの高地を上りながら記録している本の一節にあった。科学者のものの見方の冷静さを思い知らされた。

 言葉は変化する。新語はいろいろもてはやされる。しかしその裏に、消えていった言葉もあるはずなのだ。

 消えた言葉を見つけるのは難しい。ないことを証明するのは、すべてを見なければならないから、ふつうはできない。それで範囲を限定する。本書は、三省堂国語辞典(以下「三国(さんこく)」)を範囲とする。三国には、現代の日常生活で使われている言葉を取り上げるという、確固たる編集方針がある。言語生活を映している点で、広辞苑などよりもはるかに妥当性が高い。ただし、流行語辞典や新語辞典とも違う。あくまでも「国語辞典」なので、世間のことばの「鏡」であると同時に、「鑑(かがみ)」である側面も捨てられない。

 国語辞典の収録語彙(ごい)は改訂版を出すたびに増やしたいと思う。しかし、紙で作られる限り、判型の制限、本の厚さの制約がある。できるだけ薄くて丈夫な用紙や小さくても読みやすい活字など、物理的な工夫が人知れず行われているのだが、それでも電子辞書のように無制限に増やすことはできない。

 言葉の取捨選択は、辞書の編者に委ねられている。これはとても難しく、微妙な立場である。客観的な基準があるわけではない。あくまでも編者の経験や学識、主観的判断であり、最終的には良識である。

 良識というのはここ最近の日本から消えてしまった言葉かもしれない。三国には、初代の編集リーダーである見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)の作った見識が生きていて、読んでいてつくづく安心させられる。本書に学べることは多い。=朝日新聞2023年8月5日掲載

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 三省堂・2090円=4刷1万7千部。4月刊。過去の改訂で消えた千項目を厳選、当時の紙面を収録。「ことばが追憶のきっかけとなり世代間の会話にもつながるようです」と担当者。