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「世界文学をケアで読み解く」書評 近代の人間観問い社会変革探る

評者: 三牧聖子 / 朝⽇新聞掲載:2023年09月16日
世界文学をケアで読み解く 著者:小川 公代 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:文学論

ISBN: 9784022519290
発売⽇: 2023/08/07
サイズ: 19cm/233p

「世界文学をケアで読み解く」 [著]小川公代

 利潤追求を極限まで突き詰めた結果の自然破壊や搾取労働。女性に圧倒的に偏ったケア労働負担。人類は日々、近代に生み出された価値や制度の弊害を突きつけられ、自らも苦しんでいるが、新たな価値や制度を見いだせていない。想像力が枯渇しているのだ。
 本書は日韓欧米の多様な文学・映画、マルクスやフーコーらの古典を縦横無尽に読み解きながら、社会的な構想力の回復を目指す。鍵概念となる「ケア」は現代社会から失われつつある価値だ。その喪失の根本原因は、外部の自然や他者によって影響されない強靱(きょうじん)な自我の構築を目指してきた近代西洋由来の人間観にあると著者はみる。資本主義が前提とする利己的な人間とも親和的なこうした人間観が是とされているところでは、他者をケアしたり、他者に依存したりすることに価値は与えられない。
 ここで著者は問う。人間は本当に、自立を是とし、他者など顧みない存在なのか。人間が他者をケアするのは、性別役割分担に基づく消極的な選択か、経済的な対価を得られる場合だけなのか。「困っている人を助けることはその人の生も豊かにする」と信じて自らの弱さをさらけ出し、その率直な生に魅了されたボランティアに介助されながら生きた『こんな夜更けにバナナかよ』の鹿野靖明とその人間模様は、私たちの凝り固まった人間観の明らかな反証である。人間は困っている人を放っておけないし、人をケアすることに喜びすら見いだす存在なのだ。危篤状態にあるフュリオサを生き延びさせるために自らの血を与えた映画「マッドマックス」のマックスの行動は、現実にはありえないだろうか。
 文学に描かれた豊かな人間像から、人間存在を問い直し、社会変革を探究する本書は、その意味で優れて実践の書でもある。著者をケアの価値の探求へ至らせた経緯が書かれたあとがき「口をつぐむこと、弱くあることについて」も必読だ。
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おがわ・きみよ 1972年生まれ。上智大教授。著書に『ケアする惑星』『ケアの倫理とエンパワメント』など。