昨今は空前の短歌ブームだという。短歌がブームとして紹介されるとき、しばしば引用される一首がある。
《ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし》 岡本真帆
元々は「傘」の題詠で作られたこの歌は、あるときTwitter(現・X)で広く拡散され、下句のパロディーを考える遊びも大流行した。
たった三十一音の短歌は、文字数が限定されているからこそ、個人のふとした発見や想(おも)いを乗せやすい。短い言葉を投稿しシェアし合うSNSとは、相性が良かった。SNSが活発になる以前から、文語中心だった短歌に口語が取り込まれ、現代の体感をビビッドに切り取る表現が様々に模索されてきたことも、流行の土台となった。
SNSでの盛り上がりと並行して、老舗の短歌出版社以外から力のこもった歌集が出版されるようになってきた。書店にも歌集コーナーが作られ、何万部単位で売れる歌集も登場している。前述の岡本真帆は、歌集『水上バス浅草行き』の売れ行きも良好、特に愛犬家は必読だ。
《庭は夏過去になる夏 水たまり飲んじゃだめって言っているのに》 岡本真帆
広がりと奥行き
福岡の出版社・書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)は、2013年から新鋭短歌シリーズを企画し、新鋭の歌人が歌集を出しやすい仕組みを作ると共に、読者の裾野を広げてきた。最近では、上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』のヒットも記憶に新しい。
《つっかえて流れないわたしの大便を母の彼氏が割り箸で切る》
《ここじゃない場所がどこだかわからない紙をちぎるたまに食べる》 上坂あゆ美
抜き差しならない人間関係を乾いたユーモアに包んでぶつけてくるようなエネルギーが眩(まぶ)しい。
書肆侃侃房では近年、既刊歌集の新装版や、モダニズム・前衛短歌期に活躍した歌人の選集なども手掛けており、現代短歌の広がりと奥行きを多角的にプレゼンしていこうという熱意が頼もしい。20年刊行の川野芽生(めぐみ)『Lilith』(書肆侃侃房・2200円)は、西洋文学の素養に裏打ちされた強靱(きょうじん)な美意識が特徴。フェミニズムの文脈でも熱く支持されている。
《名を呼ばれ城門へ向きなほるとき馬なる下半身があらがふ》 川野芽生
もちろん、老舗の版元もただ手をこまねいているわけではない。短歌総合誌では、短歌の歴史を引き継ぐ骨太の企画を継続しつつ、新たな潮流も積極的に取り込んでいる。近刊で特に注目したいのは、土井礼一郎『義弟全史』。
《群衆は折られて梅雨の下駄箱に積み重ねられゆくヒメジョオン》
《くずされる蟻塚のなか劇場として使われたひと部屋はある》 土井礼一郎
人間サイズに拡大された花や虫(あるいは花や虫レベルに縮小された人間)の描写に、心がざわつく。不穏でイメージ豊かな世界観が魅力的だ。
「簡単」で「感嘆」
様々な展開があるなか、枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』(左右社・2530円)が、満を持して刊行。1997年刊以降、全ての歌集を収めている。「簡単」な現代語で読者を「感嘆」させるという枡野の「かんたん短歌」は現代短歌において異端の扱いを受けることも多かったが、今改めて読むと、その作品が後進に多大な影響を与えてきたこと、そして、彼が紛れもなく歌人であることを実感する。
《ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を》 枡野浩一
=朝日新聞2023年10月21日掲載