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「〈公正〉を乗りこなす」 共に生きるための会話を豊かに 朝日新聞書評から 

評者: 三牧聖子 / 朝⽇新聞掲載:2023年10月28日
〈公正〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か 著者:朱 喜哲 出版社:太郎次郎社エディタス ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784811808604
発売⽇: 2023/08/29
サイズ: 19cm/269p

「〈公正〉を乗りこなす」 [著]朱喜哲

 ウクライナ戦争やイスラエル・パレスチナ紛争。世界には、最低限の共存すら高望みと思われる光景が広がり、日本でも何が正義か、何が公正な解決か、様々な論争が起こっている。今こそ、人類が最低限共有できる正義とは何か、他者に対して公正であるとはどういうことか、活発に会話すべきだが、正義や公正ほど語りにくい言葉もない。「正義は人それぞれ」と冷笑されたり、自分が考える「正義」を押し付ける独善的な人と批判されたり、正義をめぐる会話には事故が多発するからだ。
 しかし皆が事故を恐れ、正義をめぐる公共的な会話をやめたらどうなるだろう。皆が自分が考える「正義」を好き勝手に追求し、結果、強者の「正義」ばかりがまかり通り、弱者の「正義」は素通りされる。それこそ共存は不可能になってしまう。
 本書は「会話を打ち切らないこと」を重視した哲学者リチャード・ローティを参照点に、正義や公正をめぐる会話を粘り強く続け、これらの言葉を「乗りこなす」地平を目指そうと提案する。「説明する」や「理解する」ではなく、「乗りこなす」という表現が実に巧みだ。正義や公正とはこういうことだ、と一方的に提示するのではなく、これらの大切な言葉を「乗りこなす」術を読者と考える、開かれた態度に貫かれた本だ。
 社会では多様な利害関心を持つ人々が、多様な「善」を追求しているが、この事実は共存を不可能にしない。大事なことは、他人に自分と同じ「善」を追求させようとしたり、他人の「善」の領域に土足で立ち入ったりしないことだ。著者は、様々な「善」を追求する人々が共生する仕組みとして「公正としての正義」を構想したジョン・ロールズ、公共的な言動を常に求められる「バザール(市場)」と、「バザール」では許されないような言動も飛び交う同質的で私的な「クラブ」双方に意義を認めたローティ、「何が善か」は一致できない人々も、避けるべき「悪」については一致できるとして「残酷さ」の低減を最重要の命題としたジュディス・シュクラーらに依拠して、正義や公正といった言葉に新たな息を吹き込んでいく。
 本書はロールズが残した課題にも言及する。正義をめぐる会話から誰が排除されてきたか。不条理な苦痛の中に置かれ、理性的な言葉で語れない人々の不正義の糾弾をどう受け止めるか。晩年ロールズは『万民の法』を著し、世界規模で「公正としての正義」を実現できるかを模索したが、本書の議論は国際次元にどう適用できるか。著者が正義をめぐる会話をどのように豊かにしていくか、楽しみだ。
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ちゅ・ひちょる 1985年生まれ。大阪大社会技術共創研究センター招へい教員ほか。共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』、共訳書に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』など。