中3で腫瘍発覚。「檸檬」に救われて
佐佐木さんが小説に目覚めたきっかけは、中学3年生の時に突如襲われた病。立っていられないほどの頭痛やひどい胃潰瘍で検査を繰り返し、最終的に全国に数例ほどしかない腫瘍が見つかった。2か月ほど入院し、手術。同じ病気の同い年の子が同じ手術で亡くなっていたことを後から知ったそうだ。それほど重い病気だった。
「その後、無事入学した高校の授業で梶井基次郎の『檸檬』を読んで衝撃を受けました。闘病中の身体感覚を世界の事物と接続させる表現、社会への鬱屈した思いがシンクロして……。それから家にあった純文学をむさぼるように読みました」
大学は文芸学科へ進んだ。ただ、小説を書こうとは思わなかった。当時は音楽に夢中で、ハードコアなどのロックバンドのボーカルをしていた。初めて小説を書いたのは、大学の卒業制作。ちょうど字数が応募規定を満たしていたので、推敲することもなく太宰治賞へ応募。それが最終選考に残った。
「それで〝いけるのかな″って思ってしまったんですよね。今も一緒に住んでいるパートナーに『書き続けてみる』って約束をして」
当時、求人広告のライターのバイトをしていて、そのままそこに就職する予定だったが、小説を書くためにもっと時間に融通が利く仕事をということで、墓石販売会社に入った。
「文化とか芸術にまったく関わりなく生きる人たちと接することこそ大事だと思っています。言葉で飾り立てずに、静かに現実に立ち向かっている人たちにはかなわないと思わされることが何度もあったし、その魂の美しさを表現したい」
1次も最終も、落選は落選
最初の2、3年は半年に1作のハイペースで書き続けた。ほとんどが2次通過や4次通過と好成績。2019年にはまた太宰治賞の最終選考に残り、2021年はなんと新潮新人賞と文藝賞、同時に二つの最終選考に残った。どれも格式高く、応募数も多い難関の賞だ。2000前後の応募数に対し、最終候補に残るのは4~5作品。それを4度も……。華々しい戦績に思えるが、〈ダブル最終選考通過〉も、本人にとっては〈ダブル落選〉に過ぎないという。
「いつもその時のすべてを出し切って応募しているから、落選すると、これを超えるものを出さないといけないのか、出せるのかって絶望して……。最終選考に残って選評をもらえるのはありがたいことなんですが、〝あと一歩″っていっても結局、受賞には値しないから落とされたわけで、次の応募作はまたなにも手がかりがないところから始める。最初は書くことで救われていたはずが、だんだん書くことで苦しむようになりました」
たしかに1次も通らない人より、むしろ最終選考で選評をもらったうえで落ちるほうがキツイのかもしれない。1次で落ちる清のように「郵便事故が起きて原稿が届いてないのかも」「下読み人の好みに合わなかっただけ」といったぬるい言いわけの入る隙がないのだ……。
「このままどこにも引っかからないんじゃないか」と弱音を吐く佐佐木さんに、パートナーは「受賞とか落選とかそんなものは関係ない。お前は書き続けるんだ! 一生書き続けろ!」と叱咤激励したそう。
「ペット用のカメラを部屋につけられて、ちゃんと小説書いているかチェックされるんです。受験生みたいに小さい画面でこっそりサッカー中継とかを見ていると、ガラッってドアが開けられて〝なに見とんがんか!″って怒られて。よくインタビューで〝書いたというより、書かされた″とか言いますけど、自分の場合、パートナーによってまさに〝書かされた″んです(笑)」
それほどまでに佐佐木さんの才能に惚れ込んでいたんですね。
「それが、パートナーはそれまで自分の書いたものをほとんど読んだことがなかったんですよ。ただ、〝この人はいずれなにかを書くだろう″とずっと思ってくれてたみたいです」
ルサンチマンを溜め込み「パッカーン」と開眼
落選した時、SNSで感情を吐き出さないことも大事だという。
「沸き起こるルサンチマンを反射的にSNSで吐き出すと、逆に立ち直るのが遅くなります。嫉妬や悲しみを自己複製することになるから。そういった感情は時間が経てばどんなものにも変わるんです。それこそ、小説にだって」
2021年に文藝賞の最終選考の結果を待つとき、あまりにも辛くて、「文藝」3年分の過去の選評を読み込み、選考委員になり切って、彼らの文体で応募作の想定選評を書いたという。
「落選する準備をしておいたんです。その想定はだいたい当たってました。架空の受賞作のあらすじも書いたんですよ。これには勝てねぇやって自分が思えるやつ。『ガルシア=マルケスの再来!』とか煽り文句まで入れて。」
こんなふうに落選の思いをネット空間に放たず、溜め込んだのがよかったのだろうか。転機は訪れた。それは新潮新人賞と文藝賞のダブル落選が決まった翌日のことだった。
「鬱々としながら会社に行こうと駅へ向かう人々の流れに身を任せていたら、みんな当たり前に日々を生きているんですよね。そこで後頭部がパッカーンと割れて、失望する自分を俯瞰する視点っていうんでしょうか。受賞作『解答者は走ってください』のラストの言葉を、自動筆記みたいにスマホで打ちつけたんです」
そこに父が子どもを孕む「父権制による母権制の収奪」というアイデアを繋げ、半年で書き、もう1年で2回大きな改稿をして仕上げた。
今回、受賞に至ったのはなぜだと思いますか。
「これまで構造が稚拙だとか、登場人物が紋切型だとか、散々言われてきたので、登場人物のことをなにも決めずに自由に書こうと思ったんです。書き終わってからプロットに集約して構成を練り直し、入れ子構造にしました。それと、あの〝パッカーン″もよかったのかもしれない。ただ、結局のところ今の自分が考えることは、生存バイアスのかかった推論になってしまうので、偶然が重なったとしか言いたくないですね」
僕は、君を、知ってる
受賞の知らせはさぞかし嬉しかったでしょう。
「いえ、とても不安になりました。ひとつは自分の書いたものに公共性が生まれるということへの不安。この物語を書くことによって、誰かしらは確実に傷つく。今までは、自分の内だけで済んでいたそれが、傷つく誰かに届いてしまうことに怯えたんです。もうひとつは、単純に、次の小説を書けていないという不安。今はそれも全部引き受けて、いいものを書くしかないと思っていますが……」
では、佐佐木さんにとって〈小説家になる〉って……?
「サルトルの言葉で『文学は飢えた子供を前に何ができるのか』という言葉があるんです。受賞してからずっと、このことを考えています。自分は空爆のない国にいて、健康で若く、経済的には恵まれていませんが小説を書く余裕があり、何より男性であることですでに特権を持っている。このことは今作にも込めましたが、社会の枠組みにおける自分の特権性、加害性を自覚し、向き合うことが小説家になることだと思っています」
この人は何度もあと一歩で落ちてきたからこそ、選ばれたことの責任を重く受け止めているのだ。
ここでひとつ、聞いてみたいことがあった。今回、大賞ではなく〈優秀作〉に選ばれた佐佐木さん。じつは清も「深大寺恋物語大賞」という文学賞で、大賞ではなく審査員特別賞を受賞した。私は、そのことに引け目を感じ、人に話すときにも「でも、審査員特別賞なんですけどね」とつい付け加えてしまう。佐佐木さんは、優秀作での受賞だったことをどう捉えているのだろうか。
「審査員特別賞、いいじゃないですか! だって審査員に特別に選ばれたってことですよね。できれば文藝賞もそういう言い方にしてほしい(笑)。自分の場合は、担当についてくれた編集の方が〝優秀作とかそんなの関係ねえ″ってガチで作家として接してくれたので、卑屈な態度でいることは評価してくれる人たちに失礼だなって思うようになりました」
ほんとにその通りですね。私もこれからは胸を張ります。
最後に小説家になりたい人へアドバイスをお願いすると、しばらく窓の外を見て考え込み、やがてこんな言葉を返してくれた。
「書き続けてくださいとか、頑張れば報われるとか、絶対言いたくない。ただ、自分と同じように沈黙の中で書き続けている人がいることを、僕は知ってるよって伝えたい」
【次回予告】次回は、第5回ことばと新人賞を受賞した池谷和浩さんにインタビュー予定。