ISBN: 9784087212983
発売⽇: 2024/01/17
サイズ: 18cm/404p
「おかしゅうて、やがてかなしき」 [著]前田啓介
日本が戦後復興から経済成長へ向かう時代、『日本のいちばん長い日』や『独立愚連隊』『肉弾』などの戦争映画を撮った「鬼才」・岡本喜八。終戦時に21歳だった岡本は、「戦中派」であることに生涯こだわった映画監督だったという。
同世代の多くが南方やシベリア、中国大陸で命を落とし、〈かけがえのない青春の終わりが、人生の終わりと重なった哀(かな)しい世代〉。不意に訪れた終戦に戸惑い、戦後の復興と成長を牽引(けんいん)していく人々の「心情」とはどのようなものだったか。本書は新聞記者である著者が岡本の戦時下の青春時代を綿密に追い、後の作品に彼が描かざるを得なかった「戦中派の心情」を読み解いた一冊だ。
岡本喜八の映画には、喜劇性の中に深い哀しみが宿る。例えば、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)の終盤、酒に酔った主人公の江分利氏が、二人の若手社員にこう独演するシーンなどがそうだ。
「当時の俺たちの前にはいよいよ“死”しかなかった。俺は平静な気持(きもち)で死ねるようになりたいと真剣に考えた。“青春の晩年”という言葉が流行した。十八歳で入営するんだから、十五歳はすでに晩年だって意味だよ。最も美しく生きることは、最も美しく死ぬことである」
その後、学徒出陣の若者たちについて語り、「恥(はず)かしいよお」「なさけないよお」と言う江分利氏。岡本は彼のそんな心情に、「戦中派」の抱える言葉にならぬ思いを込めた。
それにしても、新発見の日記や様々な証言を集め、岡本と同時代を生きた人々の思いを見つめる著者の取材・検証のなんと濃密なことか。歴史の大河に木の葉のように浮かぶ若かりし頃の岡本の軌跡を、著者は虫の目と鳥の目を行き来し、執拗(しつよう)なほどに追い求める。記録の空白を徹底的に検証する眼差(まなざ)しには、数字として記録された「無数の死」から、「個別の死」をどうにかして救い出そうとするような執念を感じた。忙(せわ)しなく発展する戦後日本と、戦争の時代との間に横たわる断絶――一人の若者の青春と「鬼才」と呼ばれた映画監督としての戦後を橋渡しすることで、著者はその断絶を埋めようとした、と言えるのかもしれない。
そして、本書を読んでいると、気づくのである。そんな一人の映画人の軌跡の先に浮かび上がるのが、紙一重で同じ青春を失った無数の戦死者たちの姿であることを。そのとき、岡本喜八が背負っていた戦争の記憶の重さに、胸が締め付けられる思いがした。
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まえだ・けいすけ 1981年生まれ。読売新聞記者。文化部で近現代史や論壇を担当している。満蒙開拓、沖縄戦など戦争に関する取材に関わってきた。著書に『辻政信の真実』『昭和の参謀』。