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二十一年目の車検 澤田瞳子

 先日、お世話になっている自動車ディーラーの担当者が代わったそうで、新任者から挨拶(あいさつ)電話をいただいた。「ところで前任の〇〇もご案内差し上げたと思いますが、今のお車、今年で二十一年目の車検をお迎えです。そろそろお乗り換えは……」

 「あ、はい。いずれ」

 前任者さんとは長い付き合いで、我が家のごくごく小さなセダン車が十一年目の車検を迎えた頃から、再三、買い替えを勧めてくださった。だがわたしがどれだけ経っても腰を上げないのに、見切りをつけてしまったらしい。最近は、「お乗り換えは……まあ、お考えじゃないですかね」と勧められる折も激減していた。

 決して考えていないわけではないのだ。今の車は大学院生の頃に貯金をはたいて買った思い入れ深いものだが、だからといって永遠に乗り続けられぬぐらい承知している。

 ただわたしには悪い癖があり、同種のものがたくさんある場合、そこから一つだけを選ぶのが大変不得手だ。これが本であれば、どれほど膨大な冊数があろうが、「今はこれ!」と瞬時に決められる。しかし車だの洋服だのといった、原則的に関心がない品になるといけない。どれでもいいやと思うとかえって絞り込めず、後回しにすべくさじを投げてしまって、今に至る。おかげで腕時計も、大学生の頃からずっと同じものを使っている始末。どうも書籍以外に関して、わたしはとんと物欲が欠けているらしい。

 一方で今の車を手放しがたい理由も、実はある。我が家の車はとうの昔に生産終了した車種のため、路上から同じ車がどんどん減っている。だから時々同じ車とすれ違うと、絶滅危惧種の生き物同士が偶然出会う姿を目にしたような気分になる。

 無論、車はただの車。感情などないし、これはわたしの感傷だ。だがたとえごくまれにであろうとも、我が家の車が同じ仲間に出会い続けられる限りは、やはりこの車を走らせていたい。そんなわけで、二十一年目の車検はもうすぐだ。=朝日新聞2024年3月27日掲載