理想とはほど遠かった子供時代を面白おかしく語る営みは、思いがけず自らの心を癒やしていた。ミュージシャン・文筆家の猫沢エミさんのエッセー集「猫沢家の一族」(集英社)は、愛憎入り交じる家族という存在を笑って許すための物語だ。
高価なかつらを燃やそうとする酒乱の父と、阻止したい母が繰り広げる「ヅラ引き大会」。天真らんまんに奇行を繰り返す祖父は風呂場をガス爆発させる。娘の結納式で「ハルマゲドンが起きるから結婚している場合ではない」と言い放つ両親。
ギャグと思えば面白い。しかし、ノンフィクションでこの内容は、はたして笑い事なのか。
「笑えるようになるまでは色々あったんだろうなと、みなさん想像されますね」。精神疾患にアルコール依存、派手な夫婦げんかと隣り合わせで育った。大人になっても親の不倫や金銭問題に悩まされた。
2017年に父が、19年に母が他界した後、恋人の暮らすパリへ移住を決めた。「家族のいろいろに疲れ果てて、この一家から国ごと逃れたかった」
だが、移住後まもなく書き始めた連載が進むにつれて、決別したかったはずの先代たちをかえって近く感じるようになった。恋人との国際結婚を考える中で、捨てようと思っていた「猫沢」の名を複合姓で残す選択肢も生まれた。
《自分と繋(つな)がっている親を許せないってのは、自分の一部を永遠に許せなくなるってこと》。母を見送る直前、猫沢さんは2人の弟にこう語ったという。強烈な家庭をともにサバイブした弟たちは、連載中も喜々として家族ネタを提供してくれた。「書いたことで親も自分も許せるようになった。明るい復讐(ふくしゅう)であり、うちならではの最高の弔いだと思うんですよね」
深刻な出来事ばかりだが筆致はあくまでもユーモラスだ。「家族の問題やモラルって家族の数だけ存在していて、意外に人と共有できないんじゃないか」と猫沢さん。一方で、「家族」には理想が生じやすいからこそ、その形にはまろうとして身を削る人もいる。「そういう方が猫沢家の話を読むことで、家族というウェットな集合体に対して『何かしらみんな歴史を持ってるんだな』という共有があれば。自分の家族のいろんなことを重ねてもらって、一緒に笑って成仏させてください」
さて、笑いに昇華された猫沢家は無事に成仏したのか。連載開始以降、両親の仏壇にあった位牌(いはい)と遺影が勝手に散乱したり、担当編集者のアドレスからスタッフ宛てに覚えのないメールが送られたりと「いろいろ怪現象が起きている」。
母の最後の言葉は《天国からおもしろメール、送るから~》だった。亡き先代たちが今も身近にいて、自分たちが主役の本が出たことに「ウヒョウヒョしてる」感覚があるという猫沢さんは、こうつづる。
《残りの人生をどこで過ごそうとも猫沢家はついてまわる。なぜなら猫沢家は移動“呪”祭日だからだ》(田中ゑれ奈)=朝日新聞2024年4月3日掲載