4月、何かが始まる季節だ。しかし、本作の主人公カイちゃんは、なりたい自分になれず、やりたいことを見失い、憧れだった東京での日々が苦行に変わりつつある。そんな29歳フリーターが恋に落ちた。片思いの彼を追いかけ、彼女は東京から大阪へ転居する。
些細(ささい)な出来事が世界をバラ色に変え、数秒後に奈落の底に突き落とされる。SNSを見て一喜一憂し、妄想が止まらないその姿は、無用な衝突を避ける器用でスマートな若者像とは程遠く、滑稽なれど切実で、読めばいつか負った傷が疼(うず)く。
印象に残ったのは、十三(じゅうそう)大橋を自転車で爆走するシーンだ。都市夜景の煌(きら)めきとスパークする恋心が重なり、根拠のない無敵感に包まれる――。その真っすぐな描写が高揚感を伴って細胞に染み渡り、共感を呼び起こす。
勢いにのって大阪に来たカイちゃんは、当面のバイト先を確保するが、先行きは見えないまま。焦燥を抱えつつも、あえて「そっちの道はアカン!」方に進んでしまう矛盾に、人生のやるせなさが滲(にじ)む。と同時に、同僚とのやりとりを悔やみ、省みる姿にはエールを送りたくなる。本作が初単行本で、作品が世に出るまで紆余(うよ)曲折あったという作者にもエールを。=朝日新聞2024年4月6日掲載