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三上延さんに「ナンセンス」の意味を教えてくれたマルクス兄弟の映画「我輩は鴨である」

©Getty Images

 私がマルクス兄弟の名前を知ったのは10代半ばだった。

 当時、所属していた高校の文芸部で1学年上のT先輩から教わった気がする。先輩自身がマルクス兄弟を好きだったかまでは記憶にない。当時の私たちは本でも音楽でも映画でも、とにかく自分の知らない文化に飢えている、パッとしないサブカル少年たちだった。私も含めてみんな分かったような口振りで、大して知りもしない作品について長々と「議論」するのが常だったから、他の何かについて語るついでに名前が出ただけかもしれない。偉大なコメディアンだ、というような話を聞いて興味を惹かれたのだった。

 その後、駅前にできたばかりのレンタルビデオ店に行って「我輩はカモである」のビデオを借りてきた。当時、私が知っている1930年代の喜劇映画と言えばチャップリンの主演作ぐらいだった。これも同じようなものかと高を括っていたが、映画が始まってから数分で、自分が異常な作品を目にしていることに気づいた。

 映画の題材は明らかに当時のファシズム国家だ。デタラメばかり喋っているグルーチョは要人の未亡人に取り入って、借金だらけの国の宰相に上りつめる。隣国のスパイであるチコは品のない語りを武器に内情を探ろうとしてくる、チコの相棒ハーポは全く喋らず、笑顔で意味不明な悪戯を仕掛け続けている。兄弟のキャラクターが概ねイカれていて、誰にも感情移入できないのだ。はた迷惑な彼らは国家を引っかき回した挙げ句、ついに隣国との戦争まで引き起こしてしまう。

 開戦が決まった途端、兄弟たちは楽しげに歌い踊り、うきうきとバンジョーまでかき鳴らす。戦場でたまに活躍したと思ったら味方を撃ちまくっている。クライマックスで「援軍が来るぞ!」というセリフの後に映し出されるのはゴリラやイルカの群れ――。からくも戦争に勝利し、高らかに国歌を歌い始める味方に向かって、うるせえとばかりに次々と野菜を投げつけるギャグで映画は終わる。

 この映画は私にナンセンスの概念を教えてくれた。世間の常識を手当たり次第に笑い飛ばす自由――。当時の私は知らなかったことだが、「我輩はカモである」は公開当時興行的に失敗し、マルクス兄弟は映画会社から契約を解除されていた。グルーチョ本人もこの作品を失敗作と見なしていたという。ナンセンスな笑いは鋭ければ鋭いほど観客を置いてきぼりにする。凡庸な露悪や悪趣味とも背中合わせで、非常に知的で繊細なバランスの上に成り立っているものなのだ。

 というような賢しらな分析も、この映画を見始めるといつもどうでもよくなって、胸に風が吹いたようなあの時の爽快感だけが残る。嬉々として野菜を投げつけるグルーチョたちの馬鹿騒ぎは、私にとって懐かしく幸福な記憶の一部なのだ。