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メフィスト賞「死んだ山田と教室」金子玲介さん 純文学にふられ続け、エンタメで開花。「もう一度、小説を好きになりたくて」(第14回)

金子玲介さん=撮影・武藤奈緒美

3作品同時落選で心が折れた

 金子玲介さんとは、この連載の文藝賞・優秀作の佐佐木陸さんの記事が縁で知り合った。「私も純文学新人賞の最終候補で落ちまくっていた人間なので、佐佐木さんのおっしゃることは共感の嵐」と、記事をリポストしてくれたのだ。

 プロフィールに飛ぶと、「メフィスト賞受賞」と書いてある。メフィスト賞といえば、講談社の文芸誌「メフィスト」の編集部員たちが下読みや選考委員を介さず選ぶエンタメ系文学賞。――純文学からエンタメへ転向したってこと? 

 ザ・純文学の賞では落選続きで、カテエラ(カテゴリーエラー)を疑い始めた私は前のめりで話を聞きにいった。

「小説との出会いは高校2年生の頃。太宰治の『晩年』を1年かけて読み解くという授業があって、すっかりハマりました。太宰って私小説風のものが多くて、作家が語り手として出てくるんですよね。書くことに対する自意識が作中に現れているのが面白い。気づいたら自分も書いていました」

 高2の夏から書き始め、秋口にはもう応募していたという。最初はとくにジャンルを意識せず、地方文学賞やダ・ヴィンチ文学賞、文藝賞など書けた時期と締め切りの近い賞に応募。が、どれも1次予選も通過せず。次でダメだったら諦めようと大学1年の時に応募した群像新人文学賞が2次 に残る。

「いいところまでいったのが純文学の賞だったので、自分には純文学が合ってるのだと思い、以降は純文学に絞って応募しました」

 大学3年の時に書いた作品が2015年・文藝賞の最終に残り、翌年も同じく文藝賞の最終候補に。三度目の正直と思いきや、次の年も次の次の年も4次通過止まり 。それから2年おいて、2020年にすばる文学賞の最終候補に。が、しかし、これも次点で落選となった。

「次こそ絶対とりたい! と切実に思って、2021年の3月末締め切りの文学賞・文藝、すばる、新潮にめちゃくちゃがんばって3作品書いて送ったんです。それがどれも見事に落ちてしまって……。そこで心がぽっきり折れました」

 そこからどうやって立ち直ったのだろう。

「これまでは、同志や家族に励ましてもらいながら、なんとか立ち直ってきたんですけど、3作品同時落選はさすがに応えました。2年くらい純文学が読めなくなってしまったんです」

 それは、自分の作品が評価されないことへの劣等感から?

「それなら自分の技術不足のせいなので、まだ受け入れられるんです。だけど、自分が好きな作品がその時期ことごとく芥川賞候補に選ばれなかったんです。それがきつくて。だって、自分がめちゃめちゃ面白いと思っているものが純文学として評価されないってなると、仮に自分が同じくらい書けたとしても賞はとれないってことじゃないですか。純文学に見放されたような気持ちになりました」

作家志望仲間がいたから続けられた

 ある作家志望仲間に「もう小説やめる」と宣言すると、「やめる前にエンタメに一回挑戦してみてくれないか、それでダメだったら引き止めないから」と言われたそう。

「それが今、エンタメ系の作家として活躍されている大滝瓶太さんです。私も、こんなに好きな小説を報われないっていう理由だけで嫌いになるのはやっぱりイヤだと思って。小説を好きでい続けるために視野を広げることにしました」

 金子さんはX上でもたくさんの作家志望仲間と繋がっていますね。

「10年作家志望やっていると、途中でデビューしていく仲間もたくさんいて刺激を受けます。彼らがいなかったら、途中で諦めていたと思う。町屋良平さんとは今も月1くらいで飲む仲です。じつは、2015年・文藝賞は二人とも落選してしまって 、『来年こそ』と励まし合っていたんです。そしたら、『青が破れる』で町屋さんが受賞して、私 は次点でした」

 悔しさはなかったんですか。

「それが、なかったんです。落選の連絡を編集部から受けたとき、『受賞者は何人ですか?』って聞いたら、今回は一人だ、と言うので、その一人が町屋さんだったらいいなって思ったんですよね。そのあと、ご本人からも言いづらそうに受賞報告があったんですけど、そのときも『町屋さんなら全然いいや』って思いました。だって、町屋さんデビュー前からめちゃくちゃ面白い小説書いてたんで」

 金子さんのデビューが決まった時は町屋さんも喜んだでしょうね。

「めちゃめちゃ喜んでくれました。ただ、SNSで仲良しアピールはするなと厳しく言われてます(笑)。この先、書評や帯コメントを書いた時、『仲良しだから褒めてるんでしょ』って思われるからって。今回は好書好日さんの記事だから許してくれると思います」

文芸誌は高校生の頃から毎月のように買っている。舞城王太郎さんや佐藤友哉さんとの出会いもここから。左から、初めて買った文芸誌、初めて予選通過した文芸誌、初めて最終候補に残った文芸誌。=撮影・武藤奈緒美

ミステリーと純文学の共通項

 エンタメに転向すると決めて、1年半。金子さんはとくにミステリーについて勉強したという。

「綾辻行人さんや有栖川有栖さんなど、レジェンドたちの作品を読み込みました。なかでも細かく分析したのが、今村昌弘さんの『屍人荘の殺人』。今村さんもファンタジーやホラーから本格ミステリーに初挑戦したのが『屍人荘の殺人』だったと知り、参考になると思ったんです。エクセルに謎の開示のタイミングなどをまとめたりしましたね」

 勉強してみてわかった、ミステリーと純文学との違いとは。

「以前は、ミステリーと純文学 は全然違うものだと思ってたんです。でもじつは共通点があった。ミステリーは謎があって、密室があって……などと型がきっちり決まっていて、それをいかに崩せるか、読者を驚かせられるかが重要。純文学もこれまでの小説の型をいかに外すかがポイントなので、そういう意味では私がこれまでやってきたことに近い。書けるかもしれない、と思うようになりました」

とくに参考にした3冊。「書きたい人のためのミステリ入門」著・新井久幸(新潮新書)、「ミステリーの書き方」著・アメリカ探偵作家クラブ(講談社文庫)、「ミステリーの書き方」編著・日本推理作家協会(幻冬舎文庫)=撮影・武藤奈緒美

 2022年下半期に応募した「クイーンと殺人とアリス」がメフィスト賞の座談会に残った。これは通常の文学賞でいうところの最終選考にあたる。

「この方向で進んでいいんだという自信になりました。もともと、メフィスト賞を受賞してデビューされた佐藤友哉さんや舞城王太郎さんのファンで、お二人とも純文学でもエンタメでも活躍されている。メフィスト賞こそ自分の本命だ、と考えて次に書いたのが『死んだ山田と教室』です」

 編集部が選ぶ賞ということで、特別な対策はしましたか。

「この連載の前々回の大原鉄平さんも言ってましたが、これまで応募する賞は下読み・編集部・選考委員という、3つ通らないといけない門がありました。3度最終選考に残った私は、言ってみれば編集部の評価までは頂けた状態。『あれがメフィスト賞だったら、3回受賞できてたかもしれないってことだよな』と前向きに捉えて、期待の材料にしました。

 また、前作は自分の中でちょっと無理してミステリー寄りにした感があって、これがずっと続くのはしんどいと、『死んだ山田~』はやや純文学寄りにしました。これまで作中の会話劇を褒められることが多く、自分でも書くのが好きだったので、ミステリー×会話劇でできることは何だろうと考えたんです。人が死ぬと会話が重くなって軽快なやりとりは書けない。人が死んだのに明るくしゃべるためには? と考えてできたのが、〈死んだ山田がスピーカーに憑依する〉という設定でした」

 執筆期間はどのくらいでしたか。仕事との兼ね合いは。

「大学卒業後、会計士として監査法人で働いていました。決算期は忙しいけれど、そのぶん長期休暇を取れる職場だったので、小説は2週間くらい休暇をとって、一気に書き上げることが多かったです。スピーカーの設定を思いついたのが2022年の8月で、1か月くらいプロットを練り上げて、9月から書き始め、翌年2月中旬で初稿を書き上げました。締め切りが2月末だったので、推敲は2週間程度です」

受賞の記念に編集部から贈られたホームズ像と、単行本発売記念に妻から贈られた「死んだ山田と教室」刻印入りスピーカー。「お互いにおしゃべりなので、妻とは家で延々しゃべっています。小説家の夢をずっと応援してくれていました。ホームズ像は正式な副賞ではなく、編集部がロンドン出張の際に買ってくる慣例があるそうです」=撮影・武藤奈緒美

10回の改稿 を乗り越えて

 そして2023年5月、メフィスト賞を受賞。が、受賞作の単行本が発売されたのは、翌年5月だった。

「最終稿が第11稿なので、全部で10回改稿しました。第5稿くらいまではストーリーラインをがらっと変えるような大改稿で、ラストを変えたり、人物を足したり引いたり。そこから先はひたすら完成度を高めていく研磨の工程。途中、本当にこれは完成するんだろうか、と思い詰めたこともありました」

 第11稿はすごい。編集部の意見に反発を覚えたり、自分の小説じゃなくなっていく、と感じることはなかったんですか。

「エンタメ畑に入って日が浅く、エンタメの作法を全然わかってなかったので、基本的にどのアドバイスも『ごもっとも』と頷くことばかりでした。たとえば、ラストシーンは初稿ではもっと純文学寄りで淡々としたトーンだったんです。でも、ちゃんと盛り上げたほうがいいのでは? と意見をもらって、書いてみたら、本当によくなりました。唯一我を通したのは文体。私は、会話と会話の間の地の文を連用形でとじることが多いのですが、一文一文を『。』で終わらせるような、エンタメ的に読みやすい文章にしませんか? と提案されたときは、これまで10年、この文体でやってきたので……と、編集さんに時間をもらって話し合い、一部はママにさせてもらいました」

 その間に監査法人を辞め、専業作家になる決断をした。

「エンタメ作家としてやっていくためには、長編を年2作は出したいと思って、辞めました。士業のよいところは、ダメだったらいつでも復帰できるところです。作家志望は手に職がおすすめです」

「エクセルで山田に対する距離感がそれぞれどう変わっていくか、グラフ化したり、生徒の一人称も〈俺〉がいたり、〈オレ〉がいたり、なるべく散らそうと人物表を作って管理していました」=撮影・武藤奈緒美

エンタメだから届けられるもの

 エンタメ小説でデビューした今、なぜ純文学ではあと一歩届かなかったと思いますか。

「やっぱり、私の書いてきたものはエンタメ寄りだったんだろうな。これまでも、同志から『エンタメ的だね』と言われることがありました。純文学の賞って、〈面白い〉〈考えさせられる〉くらいじゃとれない。もっと切実さを伴っていなくちゃいけなくて。私も私なりにどの作品も切実な思いを込めているんですが、きっと文体が軽いから読み味に重みが足りないと思われていたのかな。『死んだ山田と教室』は自分がずっと抱えてきた『生と死』について書いた小説です。私の思いを私の思う形で表現できる場所がエンタメだったんだと思います」

 ずっと続けてきた純文学系ではなく、エンタメ系でデビューしたことに葛藤はありますか。

「ありません。もともとメフィスト賞が憧れだったこともありますし、2作目、3作目もぜひと言ってもらえ、『死んだ山田~』もたくさんの人の目に触れるように色々考えていただきました。メフィスト賞でデビューできてよかったと心から思っています」

 金子さんにとって、「小説家になる」とは。

「商業デビューをしてなくても、自分が小説家だと思ったら、それは小説家だと思います。自分は商業デビューしましたが、だからといって、自分の作品がアマチュアの人たちの作品に比べて優れているとも思いません。なんでこの人がデビューできないんだ? っていう才能をたくさん見てきました。アマチュアにも素晴らしい書き手がたくさんいるっていうのは発信しておきたいし、絶対に忘れちゃいけないなって思います」

 この先、また純文学に挑戦することもあるのでしょうか。

「エンタメを書き続けていくことは大前提の上で、やっぱり純文学にも愛着があります。目標とする佐藤友哉さんや舞城王太郎さんのように、SFもファンタジーも含めてジャンルにこだわらず書いていきたいです。『何でもあり』を標榜するメフィスト賞作家として」

 あえて、聞かせてください。今、小説は好きですか。

「この先、ずっと好きだと思います 」

【次回予告】
 次回は特別版「小説家になりたい人が、エッセイストになった人に聞いてみた。」。このたびエッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎、7月18日発売)でデビューすることになった私・清繭子のセルフインタビュー(という名のエッセイ)です。