「ありのままの感情が書けた」
――韓国では2022年9月に映画が公開され、同年11月に『成功したオタク日記』が出版されました。映画公開後、2カ月で出版に至った経緯は?
韓国では劇場公開に先立ち、2021年10月の釜山国際映画祭で上映されたのですが、その時にSNSを中心に話題になり、出版のオファーを頂いて、「この作品を本という形でも伝えられたらいいな」と思ったんです。自分の日記が本になるとは思っていませんでしたが、元々文章を書くのが好きで、「いつかは本も出してみたい」とも思っていて。そこで劇場公開前から出版の準備を進めて、私の日記と映画にも登場するインタビュー、さらに公開後の反響や私がお伝えしたかったことをエッセイにまとめて、出版しました。
――本と映画の違いは、どのように捉えていましたか。
映画はより自分の見せたいものに焦点を当てていた気がします。映画制作は長期にわたるので、その間に私が経験したこと全てを収めるのは不可能です。起承転結があり、観客も共感しやすいよう作ったものが映画だったと思います。また、映画では私も登場人物の1人なので、私という存在をギュッと縮小していましたが、本では私のささいな悩みまで、気兼ねなく書くことができました。そのせいか、「本のほうが“人間オ・セヨン”がよく見える」とおっしゃる方もいました。混乱している状態で書いた文章もあります。でも、誰かに見せるつもりがない日記だったからこそ、ありのままの感情が書けたと思います。
――そんな日記を公開するというのは勇気の要ることでもあったと思います。
私は始める前は「とりあえずやってみよう」と考えるタイプなんです。実は出版後、私はこの本を一度も読めていません。自分で読むにはあまりに気恥ずかしくて(苦笑)。だから「本、面白かったです」と言ってくださる方にお会いすると、その方が私について、ものすごくよく知っているような気がして、照れくさくもなります。
「どう考えても、すごく悲しいこと」
――オ・セヨンさんは映画と書籍を通して「推しが犯罪者になった」という自身の過去に向き合っていますが、映画を制作する中で、どんな心境の変化がありましたか。
最初は「どうしてこんなことができるの?」という怒りで、映画を作ろうと決心しましたが、自分の心の傷が癒えないまま、事件に向き合っていたので、すごくつらくなってしまったんです。「どう考えても、これはすごく悲しいことだ」ということに、遅ればせながら気付いたんです。それでも映画を作り終える頃には、「怒ったり悲しんだりして当然」「でもこれはもう過去。私の過去に彼が存在したことは否定できない事実だけれど、私はもう前を向いて歩いていかないと」と、自分の気持ちにある程度、整理がつきました。
――映画公開後はいかがでしたか。
泣いてしまう方もいましたし、「こういう映画を作ってくれてありがとう」と言ってくださる方もいました。自分としては「これはあくまで自分の話だから共感してもらえないかもしれない」とも思っていましたが、こんなにも「これは私の話だ」と思ってくださる方がいるんだと知って、ありがたい気持ちになりました。
――「失敗したオタクに近いわたしが、『成功したオタク日記を書いてもいいのか』」とも書いていましたが、映画は当初から『成功したオタク』というタイトルだったのでしょうか。
はい。私自身が元“成功したオタク”で、それが誇りでもあったのですが、「推し」が事件を起こしてから、そんな自分の過去が恥ずかしくなり、いじられるネタになってしまって。私にとっては、この言葉自体が非常に象徴的だったので、二重の意味を込めて付けました。また、普通は推しが自分の名前を覚えてくれたことなどを“成功したオタク”と言いますが、本当の“成功したオタク”とは何だろう、という問題提起でもありました。
――「推し活やオタクの微妙な心をとらえて見せるのが重要なのだ」というくだりも印象的でした。
人って何事も良いか悪いかの二択で考えがちですよね。オタクに対する一般の人のイメージも極端なものが多いですが、実際にはいろんな人がいます。また、推しに対するファンの気持ちというのも一言では言い表せません。恋愛感情のようでもあり、家族のようでもあり、いつも応援している友達や同僚、さらには尊敬する人のようでもあり。映画でファンに焦点を当てるならば、そういうファンの複雑な心理まで見せたいと思いました。
「昔と同じ推し活はもうできない」
――本では、事件後もファンでい続ける人たちについて、「何ごともなかったかのように、あの人を推し続ける人を見ると怖くなる」ともつづっていました。オ・セヨンさんは映画を作る中で、そういうファンの取材をしないという決断をしますが、そのきっかけは何だったのでしょうか。
最初に映画を撮ろうと決めた時、会うべきだと思ったのは“いまだに残っているファン”でした。「なんで今も好きでいられるの?」という気持ちからスタートした映画でもあったからです。ただ、取材対象としては、もう推しを好きではない“元オタク”の友達のほうが、インタビューがしやすくて。それで彼女たちと先に話をしていたら、以前、私があの人を好きだった頃のことを思い出して、いまだに好きでいるファンの気持ちも何となく分かる気がしてきたんです。
私自身もあの事件が起こるまでは、何かのスキャンダルが起こっても「そんなはずはない」と思っていましたから。本当に悪い事をしたのはファンではないですよね。だから、その方たちに会って話を聞くというのも、果たして道徳的に正しい事なんだろうか、と疑問に思うようになって。
――映画では助監督と一緒に“グッズの葬式”をするシーンがありますが、背景には助監督の新たな推しである俳優のカレンダーが映り込んでいましたよね。新たに好きになった俳優のミュージカルのチケットを購入しようとするシーンもありました。今のオ・セヨンさんに取って推し活とは? 以前と違う点はありますか。
昔と同じような推し活はもうできない気がします。推し活をたくさん経験された人なら分かると思いますが、「この人以上に好きになれる人はいないかもしれない」と感じる瞬間ってありますよね。一度大恋愛をすると、その後に出会った人は、どうやってもその人を超えられなくなるというか。
また、今は純粋に100%相手を信じるのではなく、常に「この人は本当に大丈夫かな?」と疑いの目で見てしまうようにもなって。だから、その後何人か好きになった人はいましたが、実際に見に行った人は1人もいないんです。今後も誰かを好きになることはあっても、あれほど全身全霊で好きになる人はいないかもしれないとも思っています。
「我を忘れることも多いけど…」
――本の後半では観客に会った時のことも書かれていますが、日本と韓国の観客の違いで感じたことは?
韓国では映画を見ながら泣いたという人はいても、私と話しながら泣く人はいなかったのですが、日本では私がサインをしている時に突然、泣き出す方が何人もいらっしゃったんです。推し活というのは自分たちの中だけで話せるマイナーな話でしたよね。だから、1人で苦しんでいた方も多かったと思うんです。そんな今まで日の当たらなかった推し活の話が映画になったことで、そういう方も初めて自分の推し活の話をできるようになり、思わず泣いてしまったのかなと思いました。
――一ファンから映画監督になって変わったことは?
それまでは常に私が誰かを見に行く側だったので、逆に私がサインや写真をお願いされる側になるのが慣れなくて。また、こういう映画を作った私にファンができたというのも不思議な気分でした。今は世の中に何かを発信する側になったので、「より良い影響を与えられる人になりたい」と思います。作り手である私の価値観も必ず作品に投影されるものだと思うので、「悪い事はせず、誠実に生きていかないと」とよく考えます。
――オ・セヨンさんが考える、推し活をする上で大事なこととは?
推し活をしながら自分が健康かつ幸せであるためには、まずは“自分”ありきだと思います。でも推し活をしていると、推しばかり見ていて、我を忘れてしまうことも多いですよね。でも、自分が日々を一生懸命生きていてこそ、自分にいい影響を与えてくれる推しの存在が、より貴重に感じられるものだと思うんです。だから、まずは自分を見失わないこと。簡単ではないですが、何よりも大切なのは自分だということを忘れないことが一番大事だと思います。