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追う立場だからこそ望みがある。山本周五郎「ひとごろし」のように 中江有里の「開け!野球の扉」 #18

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 2024年9月14日午後2時、わたしは東京の書店にいた。

 紀伊國屋新宿本店で新刊『愛するということは』の発売記念トーク&サイン会が開催される同時刻、ここから500キロ以上離れた阪神甲子園球場では阪神×広島の試合が始まる。
心の中で勝利を祈りつつ、わたしは壇上へ上った。

 約2時間後、サイン会を終えてスマホを取り出すと、0-3で阪神が負けている。
 去年の今日はAREした日。そんな記念日に……さっきまでサイン会で高揚していたのに泣きそうだ。
 気分を変えようと、イベントに来てくれた友人(巨人ファン)とお茶をしながら、努めて野球以外の雑談をして、小一時間が過ぎた。
 おそるおそる試合結果を見ると3-3に追いついている!
 友人に了解を得て、スマホで試合中継の動画を見始めた。ちょうど9回裏、中野拓夢選手が打席に立った。
 2アウト二・三塁の3球目。真ん中高めに浮いた変化球を、狙い澄ましてセンター返し。なんとサヨナラヒットの劇的勝利。
やっぱり阪神強いやん!

 8月に首位から5ゲーム差をつけられ3位だったときは「良い結果もそうでない結果も、喜びも悲しみも受け止める」と半ば覚悟を決めていた
 しかし9月に入り、連勝を重ねた阪神は2位に浮上。残り10試合を切った時点で首位・巨人を僅差で追っている。
 去年とは全く違うペナントレース。勝つ喜びと負ける苦しみに心は動かされっぱなしだ。

 どれだけ強くても負けないチームはない。そうわかっていても、負けた日は落ち込んでしまう。
 「あそこで打っていたら」「エラーを出さなければ」「打たれなかったら」
 タラレバを繰り返しても、時は戻らない。気分を変えて次の試合に向けて切り替えていく。明けない夜はないのだ。

 しかし、しかしだ。もう残り試合は少ない。
 一つの負けが、めちゃくちゃ重くのしかかってくる。
 こんな時、私はファンクラブ向けの会報誌にあった岡田監督の言葉を思いかえす。

 (0勝143敗からのスタートと思ってるから)

 究極のマイナス思考。昨年日本一になったチームだというのに、控えめすぎやしないか。

 言葉とは裏腹に、この9月の阪神の闘い方を見れば、負ける気などないのは自明。

 岡田監督の言葉の意味は、言葉通りではない。きっと、もっと深い。

 時代小説の名手・山本周五郎『ひとごろし』はおどろおどろしいタイトルだが「こっけいもの」と呼ばれるユーモラスな時代小説。
 藩中きっての臆病者といわれる六兵衛が主人公。臆病者の兄のせいで嫁の貰い手がない、と妹からも責められる始末。ある日、六兵衛は誰も手を挙げなかった咎人・仁藤昴軒を討つ役目を引き受ける。はたして六兵衛は、剣術と槍の達人と名高い昴軒をどう打つのか?

 「臆病」といわれる六兵衛だが、誰だって「臆病」な面を持っているはず。その「臆病」をあまり見せないようにしている。「臆病」は弱点になるから。
 しかし六兵衛は「臆病」を逆手に取り、奇想天外な方法で昴軒を追い詰めていく。
 (これ以上は、ネタバレになるので控えます)

 私は、六兵衛は決して臆病ではないと思う。
 彼はあえて自らを過小評価することで、己の闘い方を見つけたのだ。

 よく野球には「流れ」があるというが、言い方を変えれば「風」のようなものだろう。
 人によってそれは「向かい風」にもなり「追い風」にもなる。
 風に立ち向かうのではなく、あえて背を向ける。そうして風を味方にする。

 岡田監督の「0勝143敗」という言葉には「向かい風に抗っても仕方がない」というような無常観があるのではないだろうか。

 143試合のうち、打てない時もエラーする時もある。今年の阪神はそんな時期が長かった。
 しかし、どんな風にも無理に抗わず、背中で受け止めていけば、吹く風は追い風に感じられるはず。

 残り試合はあと少し、阪神タイガースを信じて応援するしかない。