「バナナはおやつに入りますか」と聞かれたら少し迷うが、「マンガは読書に入りますか」と問われれば、答えは「入ります」一択だ。読書の効用として、語彙(ごい)力・思考力・想像力を育む、知識・教養を得られる……などがよく挙げられる。が、それはマンガにも言えること。というか、読書体験そのものを描いたマンガすら存在する。
高野文子の作品集『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』(講談社=品切れ)の表題作は、図書室で借りた『チボー家の人々』に没頭する高校生女子の内的宇宙を見事に再現してみせた。我を忘れて活字を目で追い、ページをめくる。通学バスの中や昼休みはもちろん、布団に入ってからも夢中で読む。読んでいない時間も心はジャック・チボーとともにある。
現実と物語世界を往還する「読書」という一種のトリップ行為を、大胆な構図と重層的なイメージ、リズミカルな言葉のシャワーで追体験させる。読書の豊かさをここまで生き生きと描けるものか――と再読のたび感嘆する。と同時に、昭和の雪国の生活も精緻(せいち)に描かれ、自分の体験ではないのにどこか懐かしい。
卒業間際に全5巻を読み終えて物語世界に別れを告げた少女は、工場に就職する。そんな娘に読書好きの父がかける言葉がまた素晴らしい。
語る楽しさ
施川ユウキ『バーナード嬢曰(いわ)く。』(一迅社・既刊7巻・681~770円)も読書がテーマの作品だ。いつも図書室で本を読む(フリをしている)高校生・町田さわ子。彼女にとって読書はカッコイイかどうかがすべてである。読んだこともない作家の名言や名作の一節をつぶやいてみたり、小難しそうな本の表紙をアピールしながら歩き回ったり、自分を読書家キャラに見せることに余念がない。
そんなさわ子と、彼女のことが気になる男子、その男子を好きな図書委員でシャーロキアンの女子、典型的SFオタクの女子が古今東西の本を語り遊ぶ。連載開始当初は、本の内容よりも“読書あるある”的なネタが主だったが、それでも本好き、SF好きなら共感するところ大だろう。
しかし、本作の真価は3巻以降にある。SFオタク・神林の読書熱、本への偏愛に感化され、さわ子も一端(いっぱし)の読書家になっていく。そして二人は、かけがえのない友達になっていく。好きな本について語り合う楽しさがひしひしと伝わってくるのも良いが、友情ともシスターフッドともちょっと違う二人の関係性が至高。さわ子の無邪気な言葉にハートを射抜かれる神林の惑乱ぶりがたまらなく尊い。
全編通じて読書にまつわる芯を食ったセリフが続出。作者自らの読書体験を綴(つづ)った1巻あとがきは感動ものだし、2巻以降のあとがきや合間に挿入されるコラムも切れ味鋭い。登場する本は実在なので読書ガイドとしても好適。
一心不乱に
読書家と愛書家は似て非なるものであるが、双方の意を併せ持つのが「書痴(しょち)」という言葉だ。『書痴まんが』(山田英生編、ちくま文庫・858円)は、タイトルどおり本と読書に関するマンガを集めたアンソロジー。『ボヴァリー夫人』で知られるG・フローベールの小説を辰巳ヨシヒロが翻案した「愛書狂」、カバーイラストにも使われた諸星大二郎「栞(しおり)と紙魚子(しみこ)」シリーズより「殺人者の蔵書印」など全16編を収録する。
なかでも読書の愉悦を活写した西村ツチカ「きょうのひと」が出色。単調な仕事の休憩時間に本を読む女性の脳内イメージが美しい。一方、同僚に押し付けられた〈仕事の効率を高める本〉を読んだときの強制労働感には苦笑。
何のために本を読むのか。理由は人それぞれだろうが、読みたい本(マンガも含む)を一心不乱に読む喜びは、何物にも代えがたい。=朝日新聞2024年12月14日掲載