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「いくら新芽を摘んでも春は止まらない」書評 有事下の言葉 活字にして守る

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2025年01月18日
ミャンマー証言詩集 いくら新芽を摘んでも春は止まらない 1988-2021 著者:コウコウテッ 出版社:港の人 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784896294453
発売⽇: 2024/10/05
サイズ: 20×1.8cm/224p

「いくら新芽を摘んでも春は止まらない」 [著]コウコウテッほか

 本書が成立した過程はいささか複雑である。主たる詩とエッセイはもともと、ミャンマーの民主的政府に対し2021年2月に軍がクーデターを起こした際、ネットを通じて巻き起こった市民的不服従運動の具体的な現れを反映したものだ。
 が、ネットは自由に見えて直ちに検閲や追跡の対象と化す。非常時には持続性や可読性を全く持たない。「オンライン上で書かれた言葉を、安全で恒久的な場所に移動し、しっかりと保存」しなければならない。
 そのためには外の人たちに届く言葉に翻訳し、活字として出版しなければならない。こうして国の外へと持ち出された言葉の数々を、新たに日本語版として再編集したのが、いまわたしの手元にある一冊である。活字離れが人口に膾炙(かいしゃ)して久しいが、ひとたび「なにか」あれば最後に守られるのは活字なのだ。
 有事下の文学は、社会の安寧を前提とする長編の小説や本格的な評論ではなく、簡便で持ち運び易(やす)く、いっそ暗記できてしまう詩やエッセイだった(本書の表紙が「版画」であることに通じる)。ネットを封鎖し、本を焼いても、心のなかの詩やエッセイの一節まで消し去ることはできない。人々はそれを糧に理不尽な現実に対処し、抵抗し、闘い、時には命を投げ出す。そこには政治的である以前に、弾圧下で暮らす一人ひとりが目撃した千差万別な様相がある。こうした詩のあり方について、著者のひとりコウコウテッは「抗議詩」や「抵抗詩」と区別して「証言詩」と呼ぶ。
 忘れてならないのは、このような状況で書かれた詩やエッセイがユーモアを保っていることだ。市民が日頃から愛用しているサンダルが、過去から現在に至るまで「常に革命の重要な目撃者」でもあったとするくだりなどは最たるもの。いつでも手に入り、軽快で万能なこと。私たちもいつか、そのような「切実」な言葉を必要とする時が来るかもしれない。
    ◇
Ko Ko Thett ミャンマー出身の詩人。ミャンマー詩の英訳も手がける。学生運動で拘留された後に出国し、英国在住。