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「棺桶も花もいらない」書評 生きていくだけで、人生は上等

評者: 吉田伸子 / 朝⽇新聞掲載:2025年06月14日
棺桶も花もいらない 著者:朝倉 かすみ 出版社:U-NEXT ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784910207513
発売⽇: 2025/04/25
サイズ: 2.2×18.8cm/288p

「棺桶も花もいらない」 [著]朝倉かすみ

 久しぶりに物語に殴られた気がした。本書に収録されている冒頭の1編「令和枯れすすき」に。
 殴られたといっても、握り固めた拳でではない。作者の朝倉さんの作風は拳で殴ってくるようなものではないし、これからもそれは変わらないように思う。だから、平手でパシン、くらい。けれどこれが、絶妙な角度で当たるのだ。61歳の主人公「わたし」と同世代にとっては、クリーンヒット。
 30年以上勤めた会社で、人員整理の憂き目にあい、日雇い派遣として働いている「わたし」は、派遣会社の事務所で思いがけず近しくなった「あの人」から、「ずっとのおうち」の話を聞かされる。滑舌が悪く、「老若男女という言葉があるが、そのどれに当てはまるのか、ぱっと見では分からなかった」という「あの人」。「あの人は愚者のようにも、賢者のようにも、また、外出許可を得た入院患者のようにも見えた」
 「心の襞(ひだ)」という言葉があるけれど、朝倉さんは、襞は襞でも、折り込まれた谷の部分を描き出すのが抜群に巧(うま)い。そこに入りこんだほこりや一条の髪の毛さえ見逃さない。そのほこりにこそ、髪の毛にこそひっそりと宿る真実を、そっとすくいあげるのだ。
 収録されているどの短編にも、ちょっと忌々(いまいま)しいくらいにコロナ禍の影が落ちていて、あぁ、そうだった、コロナ禍は平場に生きる私たちを、こんなにも直撃したんだ、と腹立たしくさえなる。
 コロナ禍さえなければ、「令和枯れすすき」の「わたし」は、今も埼玉県の鄙(ひな)びたショッピングモールで契約社員としてバッグを売っていただろうし、「もう充分マジで」の明人の試験は上手(うま)くいって、「非常用持ちだし袋」の芙実は、高校進学をもう少し考えたかもしれないのだ。
 読後、本書のタイトルが、いっそ潔く響く。いつかの終わりまで、生きていくだけで上等! 棺桶(かんおけ)も花もないとしても。
    ◇
あさくら・かすみ 1960年生まれ。作家。『田村はまだか』(吉川英治文学新人賞)や『平場の月』(山本周五郎賞)など。