ドキュメンタリー映画「東北おんばのうた:つなみの浜辺で」(鈴木余位監督、2020年)を通して、生活言語と詩歌表現の関係を考える催しが、6月25日に東京・築地の朝日新聞本社で開かれた。企画したのは詩人の新井高子さん。東日本大震災後、岩手県大船渡市のお年寄りと石川啄木の短歌の東北語訳に取り組んだ。「おんば」たちの生命力あふれる言葉と人柄に魅了され、映画を制作。そして詩集「おしらこさま綺聞」に結実させた。
詩集は東北弁や出身地の群馬県桐生市の方言が溶け合った文体で書かれた。作者の自分語りにとどまらず、日本の女性史の地層をも垣間見させ、昨年度の大岡信賞を受賞した。
上映後の座談会では、詩人の管啓次郎さんとアーティストのやなぎみわさん(ともに大岡信賞選考委員)が、おんばが伝えてきた言葉の意義を新井さんと探った。
管さんが「日本の近代、典型的な男たちは地元を離れ、仕事や地位を得て、ふつうの生活文化はもっぱら女性が担い、その共同体が支えた文化が伝統として残っている」と語ると、新井さんは「多分、話し言葉の主導権を握っているのは女。東北語訳も最初はおじいさんが参加していたけれど、結果的に熱心な女性たちが残った」。
新井さんの実家は織物工場。女性工員に囲まれ、着物や糸が身近だった幼少期の影響も作品の随所に表れる。大学で染織工芸を学んだやなぎさんは、まゆや糸の表現にひかれたという。また、「詩の終わり方が唐十郎っぽい。ここで暗転、とか、音響や照明を想像した」という。
新井さんは「唐十郎は、ギリシャ悲劇ではなく、生活の中でふと演技してしまう瞬間に演劇の始まりを探した。映画の最後に出てきた94歳の不二子さんも、自分を語りながら、演劇的だった。詩も演劇も混然一体となった言葉の現場を私にくれた」。
新井さんは言う。「映画の100歳のおばあちゃんは、3回津波に遭ったけれど、なくした記憶は一個もない。漢字が書けず声の世界で生きてきて、文字に頼らず、パソコンにも頼ってない。体ひとつに何でもある。そういう豊かさを私なりの回路で伝えていきたい」(藤崎昭子)=朝日新聞2025年7月30日掲載