高橋伸夫さん「構想なき革命 毛沢東と文化大革命の起源」インタビュー 秘めた歴史、宝の山から
1960年代から70年代にかけ、中国で多くの知識人らが迫害され、社会が大混乱に陥った文化大革命(文革)。実は発動した毛沢東に明確なビジョンはなかったのではないか――。本書はそんな着想から、文革に至るまでの経緯や毛沢東の考えを追った。
60年生まれ。祖父は満州日日新聞勤務、父は第2次大戦終戦直後、ソ連軍接収下の旧南満州鉄道で電気技師として働いた。自然と中国研究の道に進み、中国本土にあるマルクス主義学院の海外学院長として招聘(しょうへい)されたこともある。
近年、中国での歴史資料の収集は困難になる一方だ。しかし、米カリフォルニア大学の図書館で見つけた「宝の山」が研究を支えている。
「中共重要歴史文献資料彙編(いへん)」。中国で機密扱いとされる内部文書などを含む数千冊からなる資料集だ。中国共産党や地方組織、公安、軍、少数民族政策などさまざまな情報が詰まっていた。米ロサンゼルスにある「中国語出版物サービスセンター」という団体が販売しているというが、どのように資料を集めているかは不明だ。
何度も学生と渡米し、資料を撮影して読み込んだ。そこで注目した一つが、文革の前に起きた汚職摘発運動で地方に派遣された党員が書いた記録だった。
新たな党員が派遣されるたびに、農村の党幹部が告発され、地元で権力を握る人物が次々と入れ替わる。記録の中で、運動で追及された人物が「(運動が)どれだけのよい人間を冤罪(えんざい)に陥れたか知れたものではない」「再審査があったら、俺が真っ先に名誉回復さ」と訴えていた。
毛沢東は「革命は継続して行う必要がある」と唱えていた。自身の復権を狙って「革命」を願ったり、予感したりした人が、毛沢東の思想と共鳴し、「次なる運動(文革)を手招きしていた」のではないか。そんな考察に至った。
「毛沢東が高い理想を掲げた革命が、悲劇につながったのはなぜか。理想と現実のギャップはどこから来たのか。そこが歴史の面白さであり、追究しなければならないところだと考えています」 (文・写真 渡辺七海)=朝日新聞2025年8月9日掲載