丸山正樹さんの読んできた本たち 少女漫画の「理想的な青春」に衝撃を受けた男子校時代
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
丸山:いちばん古いかははっきりしていませんが、タイトルを憶えているのは、『きんいろ目のバッタ』という児童書です。「きんいろの目」ではなく「きんいろ目」というのが変わった表現だなと思ったんです。リズム的にも憶えやすくて、このタイトルは強く印象に残っているんですが、内容は忘れてしまっていて。調べてみたら、ある日突然目が見えなくなった少年が金色の目をしたバッタと出会い、自分の目を探す旅に出る、といった話のようです。それを読んだのが、たぶん小学校低学年だと思います。
――本が好きな子供だったのでしょうか。
丸山:そうだと思います。活動的な子供ではあったんですね。本当に昭和の子供で、外で遊んで文字通り泥だらけになって、母親に洗濯で大変な思いをさせるという感じでした。一方で、かなり本を読んでいた記憶があります。
最初のうちは図書室で本を見つけていたのかな。推薦図書か何かの金色のシールが貼られた本がいいと聞いたので、そういうものから順に読んでいったと思います。その中のひとつが、『ドリトル先生』のシリーズでした。これは親に箱入りの本を買ってもらって、第1巻の『ドリトル先生アフリカゆき』から全部、夢中になって読みました。次から次へとシリーズを読んでいく面白さを知りました。
そこから、岩波書店の児童書を片っ端から読んでいくようになります。『ドリトル先生』の次に出合ったのはリンドグレーンとケストナーですね。ほぼ同時期だったと思います。リンドグレーンは『長くつ下のピッピ』を最初に読み、そこから『名探偵カッレくん』のシリーズや、『やかまし村の子どもたち』のシリーズとか。『長くつ下のピッピ』のピッピは天衣無縫で、怪力があって、金貨が入った旅行カバンを持っていて。スーパーガールですよね。そんなピッピの様子が、隣の家に住む姉弟の目を通して描かれるんですよね。自分と同じような普通の子の目を通しているかから、すんなり入り込むことができた。あれはすごく上手い作りだったんだなと後から思いました。
――ケストナーはいかがでしたか。
丸山:『エーミールと探偵たち』や『点子ちゃんとアントン』、『五月三十五日』、『飛ぶ教室』、『ふたりのロッテ』などを読みました。これらの本を通して、世の中には子どもの気持ちが分かる大人がいるのだ、という感銘を受けたように思います。
リンドグレーンの『名探偵カッレくん』のシリーズやケストナーの『エーミールと探偵たち』が好きで、ずっと、自分が児童書を書くなら少年探偵みたいなものがいいなと思っていて。それで、後に『デフ・ヴォイス』のスピンオフとして、主人公の荒井の娘である美和と友達の英知が子供探偵みたいな感じで活躍する児童書を書きました。
――『水まきジイサンと図書館の王女さま』と『手話だからいえること 泣いた青鬼の謎』ですね。その後の読書は。
丸山:その後も岩波少年文庫を読み進めていくなかで、自分にとって到達点みたいなところにあったのが『星の王子さま』でした。それまでは楽しい、面白い、という気持ちで本を読んでいたんですが、『星の王子さま』ではじめてメッセージを受け取ったというか。「たいせつなものは目に見えない」とか、「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから」とか。それと、「ぼく」が描いた絵は大人が見ると帽子の絵にしか見えないんですけど、じつはウワバミを飲み込んだゾウの絵で、王子さまにはそれが一目で分かるんですよね。すごいなあと思って。想像力というものを、そこではじめて感じた気がしました。
――国語の授業は好きでしたか。
丸山:やはり本を読むことが好きだったので、国語もずっと好きで、完全に文系でした。理数系は全然駄目だけれど、国語の成績だけで全体が底上げされていました。作文も嫌いではなかったんですけれど、それで何か表彰されたような記憶はないです。
――ご出身は東京ですよね。
丸山:東京の小金井市生まれで、5年生の時に埼玉の所沢に転校しました。ちょっと本と関係のない話になりますが、小金井にいた頃はやんちゃで野球も得意で、本も読んでいるし、自分で言うのも何ですが、勉強もできたんです。それで、自分でも自分のことをすごいと思っていたところがあったんですね。でも引っ越した時に、やはり転校生ということでちょっと萎縮したんです。その時に自分の中の万能感が少し影を落としたというか。そこがひとつの転機になりました。
私は小さい頃から吃音があって、今でも治っていないんですけれど、転校した時にそれをからかわれたんですね。小金井にいた頃はからかわれたことはなかったので、そこではじめて意識して、すごくコンプレックスになって。喋ることが得意ではなくなっていって、その分、頭で考えたり空想したりするようになっていったと思います。
萎縮したのは一時だけで、またやんちゃな感じに戻ったんですけれど、ただ、自分の中では以前とは全然違いました。それまでは本当にお山の大将で自分がナンバーワンだったのが、自分は2番手3番手だなという意識が芽生えました。
――空想から物語を作ったりしましたか。
丸山:作りましたね。最初は漫画を描きました。藁半紙に4作か5作描いて綴じて本にしていました。はじめの作品は巻頭カラーのつもりで色鉛筆で描いて、他は鉛筆で、ギャグ漫画やストーリー漫画、野球漫画や不良ものなどと描き分けていました。それが創作の原点かもしれません。小学校高学年までは将来漫画家になりたいと思っていました。まあ根本的な画力みたいなものがないと気づいて早々に諦めました。
小説も書きました。最初に書いた小説は、ボールの冒険、みたいな話でした。ボールが川に落ちて流れていって、いろんな人や動物と出会っていって...最後は忘れましたけれど。
それで思い出しましたが、小学校中学年くらいの時に、吃音矯正のために言語障害者センターみたいなところに通わされていたんです。箱庭療法的なものだったのか、そこで動物のフィギュアを使って遊んだ記憶があります。物語というか、小さな自分の世界を空想して遊んでいました。
それと、近くの空き地でよく、1人野球をやっていたんです。空き缶を投げてバットで打って、ヒットとかアウトとか決めて、両チームのメンバー18人ちゃんとつくって、9回まで試合をやっていました。それも空想の遊びですよね。大人になってから色川武大の『狂人日記』を読んだときに、カードに書いた力士の名前とサイコロを使って自分だけの相撲大会を開催する、という場面があって「おんなじだ!」と思いました。
――ごきょうだいはいらしたのですか。
丸山:ふたつ上の兄がいました。さきほど自分は勉強もできてと言いましたが、兄のほうが本当に優等生で、私は典型的な次男坊で好き勝手にさせてもらっていたんです。兄が親の言うことをよく聞くいい子ちゃんだったので、それに反発して生意気なことを言ったりしました。
兄は教師になりましたから文系ではあったんですけれど、趣味が違ったのか、本の話をしたことはなかったですね。小さい頃は野球が共通の趣味でしたけれど。
その兄が27歳くらいで亡くなるんです。そこから一人っ子のようになって、そこで立場が変わったことは大きかった。実は、『漂う子』に、兄が亡くなってそれまで折り合いが悪かった父親に墓の話をされて戸惑う、みたいな話を書きましたが、あれはほぼ自分のことです。わりと自分のことを書いちゃうんですよ、私。
私が影響を受けたのは叔父さんですね。母の弟で、私が浪人していた19歳くらいの時に亡くなるんですけれど。新聞記者で、すごく酒飲みで酔っ払っては姉である母に怒られている人だったんですが、その叔父さんに「本を読め」とすごく言われたんです。ご自身は高卒でアルバイトみたいな形で新聞社の雑用係になって、そこからおそらく独学で記者になったんですが、すごく本を読む人で、私にもとにかく「本を読め」と言っていました。
――その後、どのような本を読んだのですか。
丸山:小学校高学年の頃に読んだ古田足日はよく憶えています。『宿題ひきうけ株式会社』は小学生たちが主人公なんですが、タイトル通り、宿題を引き受けてお金を取る会社を作ろうとするんです。今思うと、宿題とかテストとか入試とか、競争社会に対する批判性のある内容でした。大げさな言い方をすると、自分の中の、間違っていることは間違っていると言っていいんだという感覚の芽は、この作品から受け取った気がします。
同じ時期に読んだのが、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』でした。これはコペル君とおじさんの関係が、自分とおじさんの関係とまったく同じだったので、「おおっ」と思いましたね。
生源寺美子の『もうひとりのぼく』は双子の話で、やはり兄が優等生で、弟がわんぱくなんですよ。たしか同じ女の子が好きなんですよね。その女の子が『智恵子抄』を暗唱するんです。なので私はこの本で高村光太郎の『智恵子抄』を知り、「あどけない話」とか諳んじたりしました。
山中恒の『ぼくがぼくであること』も、優等生の兄にコンプレックスを抱く弟の話で、自分を投影して読みました。これはNHKの少年ドラマシリーズを先に見たのかもしれません。このドラマシリーズはいろんな小説をドラマ化していたので、ドラマで先に見てから原作を読む、ということが結構ありました。「タイム・トラベラー」は筒井康隆の『時をかける少女』が原作だったし、「けんかえれじい」は鈴木隆の同名小説が原作でしたし。『山椒太夫』が原作の「安寿と厨子王」もありました。井上靖の『しろばんば』もドラマで見てから、後に三部作を読みました。
この少年ドラマシリーズの影響は大きかったですね。この頃から、テレビドラマというものが、小説や漫画と同じか、それ以上の影響を与えるものとして自分の中に入ってくるようになります。
それと、自分にとっての探偵ものの原点は、加納一朗だと思います。最初に読んだ『イチコロ島SOS』は冒険ものでしたが、その後に読んだ『名探偵入門』という、文章や漫画で問題が提出され、回答編でトリックが説明される本も好きでした。同じ頃、本ではないけれど、「スパイ手帳」というものが流行って、溶ける紙や、それで書いて紙をあぶると文字が浮き出てくる特殊なインクのペンが付いていて、楽しかったですね。当時は探偵やスパイがちょっとしたブームで、ポプラ社の「名探偵ホームズ」のシリーズと「怪盗ルパン」のシリーズは全部読みました。なのでホームズは、大人向けのものは短編集くらいしか読み返していないかもしれません。
――漫画は読みましたか。
丸山:小学校低学年からよく読んでいました。私は、手塚治虫という神様の影響を受けた人たちが漫画家として第一線で活躍していた世代なんです。赤塚不二夫や石ノ森章太郎の漫画をリアルタイムで読んでいました。
『あしたのジョー』、『巨人の星』、『タイガーマスク』、『空手バカ一代』なんかは、全部原作が梶原一騎なんですよね。影響を受けたのは否定できなくて、あまり認めたくありませんが、不良に対する憧れや、どこかで肉体的な強さに惹かれるところがあるのは、梶原一騎の影響の気がします。他には水島新司の『男どアホウ甲子園』や『あぶさん』といった野球漫画、本宮ひろ志の不良ものの『男一匹ガキ大将』なども好きでした。
永井豪の『デビルマン』と『バイオレンスジャック』、ジョージ秋山の『銭ゲバ』、『アシュラ』、『告白』といった、ちょっと暗い、人間の負の面や多面性が描かれた漫画も読みました。ジョージ秋山の『告白』は、著者本人が告白するスタイルで、少年の時に友達を感電させて殺したと告白する内容なんですよ。後にあれは嘘だと言っていましたけれど、強烈な印象に残った作品でした。
――中学は地元の学校に進まれたのですか。
丸山:そうです。所沢の市立中学でした。中学時代は、みなさんが通る道ですけれど、星新一にはまってほぼ全部読みました。本当に面白かったですね。最初に読んだのは『ノックの音』だったか『声の網』だったか...。とにかく一冊読んで、どんな才能なんだとびっくりして、次から次へと読みました。自分でもショートショートを書いてみようとしましたが、全然オチが書けませんでした。子供の頃から自分も小説家になれたらという思いがありましたが、自分には無理だなと思いましたね。その後、40歳くらいになるまで小説家になろうとは考えませんでした。
他には、北杜夫さん。最初は『船乗りクプクプの冒険』を児童書的な感じで読んで、『どくとるマンボウ青春記』など「どくとるマンボウ」のシリーズや『怪盗ジバコ』にいきました。その流れで『楡家の人々』を読んだのが、はじめて読んだ純文学的な長篇でした。自分にもこんな難しそうな本が読めるんだと、読書体験の喜びを知って、『幽霊』なども読みました。
その北杜夫のお友達ということで、遠藤周作も読むんですが、読んだのは別名義の狐狸庵先生のエッセイですね。小説は『おバカさん』といういわゆる中間小説を読みましたが、それもわりと感動したんです。ああいう軽いタッチの小説の中にも、遠藤周作のキリスト教観を感じました。
井上靖は少年ドラマシリーズの影響で『しろばんば』を読んでいたので、三部作の他の『夏草冬濤』や『北の海』も読みました。特に『夏草冬濤』が面白かったですね。なぜか、あの頃は旧制中学・高校ものに興味を惹かれたんです。『どくとるマンボウ青春記』も旧制高校ものですよね。五木寛之の『青春の門』や山本有三の『路傍の石』、少年ドラマシリーズでも見た鈴木隆の『けんかえれじい』、尾崎士郎の『人生劇場』や夏目漱石の『三四郎』、芹沢光治良の『人間の運命』なんかもこれに含まれます。
旧制中学・高校ものって、要は成長譚なんですよね。それと、必ずといっていいほど、主人公にとってマスター的な存在となる不良が出てくる。いいことも悪いことも教えてくれるワルですよね。そのワルに喧嘩を教わって主人公も強くなるという。私は大学生くらいから脚本を書くようになるんですけれど、青年や少年の成長譚ばかり書いていたのはその影響ですね。悪友がいて、不良たちがいて、恋もするけれど好きな子には振られる、みたいな話ばかり書いていました。
――翻訳小説は読みましたか。
丸山:オー・ヘンリーは中学時代に読んだ記憶があります。それと、ドラマ「刑事コロンボ」のノベライズで『構想の死角』や『死の方程式』などを読んだのを憶えています。確認したところ、ノベライズが出たのが1974年で、私が13歳の時なんですよ。なので、大人向けのミステリを読んだのはコロンボが最初なのかもしれません。自分でもトリックを考えて、コロンボの二次創作をしたんです。
――素晴らしいトリックを考えたのですか。
丸山:すごく考えたんです。カエルが口にへばりついて窒息しちゃうっていうトリック。友達に笑われました。
――すみません、私も今笑っちゃいました。
丸山:自分は小説家になれないって、挫折するのも分かるでしょう(笑)。ミステリはクリスティーも文庫で読んでいましが、『カーテン』は単行本で買ったんです。確認したら単行本が出たのは私が14歳の時でした。クリスティー作品を全部読んでしまってもう読むものがないと思っていたところに「新刊」が出たので買ったんです。お蔵入りしていた作品だったというのは後から知りました。
同時にエラリイ・クイーンも、『Xの悲劇』や『Yの悲劇』といったドルリー・レーンものを読みました。
――名作を押さえている印象ですが、どうやって見つけていたのでしょう。
丸山:自分でも分からないですね。ただ、書店にはよく行っていました。人と本の話をすることはほとんどなかったんですけれど、ただ、例外的にロス・マクドナルドの『動く標的』は社会科の教師に薦められて読みました。ちょっと個性的な女性の先生で、いろんな本を薦めてくれたんです。他の本は忘れてしまいましたが、『動く標的』は難しそうだったけれど読みだしたら面白かったので憶えています。ただ、ロスマクの『さむけ』を読んだのは大学生になってからだと思います。
――ミステリは海外ものが多かったのですか。
丸山:日本のミステリでは、松本清張と横溝正史ですね。完全に映画の影響です。松本清張の『砂の器』は13歳、横溝正史の『犬神家の一族』は15歳の時に映画が公開されて、映画から入ってこの二人の作品を読み始めました。
――『砂の器』は丹波哲郎さんや加藤剛さんが出演しているバージョンですよね。『犬神家の一族』は金田一耕助役が石坂浩二さんですか。
丸山:そうです。『砂の器』は小説よりも映画のほうに影響を受けました。実をいうと、私の『デフ・ヴォイス』の一作目は、完全に『砂の器』の骨格をお借りしています。映画の最後のコンサートシーンが、『デフ・ヴォイス』の結婚式のシーンにあたります。あまり指摘されたことはないんですけれど。
――ああ、なるほど! そこに至るまで地道に調査して...というのも同じですね。
丸山:そうです。〈デフ・ヴォイスシリーズ〉の中で初めて刑事の何森の視点で描いた「静かな男」(「慟哭は聴こえない」に収録)という短編があるのですが、それもちょっと「砂の器」の影響下にあるかもしれません。映画の脚本は橋本忍さんという巨匠で、傑作だと思います。松本清張は他にも読みまして、動機や背景で面白いものが書けるんだと思いましたね。それまではトリック重視でしたが、それよりも動機なんだという自分の中のミステリ観が出来上がりました。『一年半待て』の一事不再理の話なんかも、当時すごくびっくりしましたし。小説を通してそうした知識を得ることが多かった。自分が小説にあまり知られていないことを書こうするのは、そうした経験があるからだと思います。
丸山:板橋の私立の男子校にいったんですが、殺伐とした、暗い高校生活でした。進学校なんですけれど当時はツッパリ(今でいうヤンキー)もいて、恐怖による統治みたいなことをやっていて。日常的に喧嘩もありました。あの高校生活が、自分にダークな面を持たせた要因だと思っているんですけれど。中学から剣道をやっていたので高校も剣道部に入りました。生徒は大体ツッパリか勉強君か体育会系の3つに分類されるんですけど、最初は私も一応体育会系にいたんですね。でも封建的な部活で、精神を鍛える目的なのか、詩吟をやらされたりして。先輩たちの前でやらされて、声が小さいなどといって正座をさせられて、しごかれて。それが嫌で2年生の時に仲間みんなで辞めたんですね。それはやはり、ひとつのことを成し遂げられなかったという挫折体験でした。今も体育会系なものに対して抵抗感があるのは、その頃植え付けられたのかもしれません。
通学に1時間15分くらいかかっていたので、その間本を読みましたし、家に帰ってからもそんなに勉強をしないで読んでいました。ただ、剣道部を辞めてからは、映画に夢中になりました。ほぼ毎日、学校帰りに池袋の「文芸座」か銀座の「並木座」に通う、という至福の日々でしたね。
――高校時代、小説はどんなものを読みましたか。
丸山:乱読で、日本の近代文学を片っ端から読みました。まあ本好きの正統的な読み方みたいなものです。夏目漱石、森鴎外、川端康成、谷崎潤一郎、島崎藤村、三島由紀夫、太宰治、宮沢賢治、石坂洋二郎...。漱石は『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』よりも、青年の成長譚として『三四郎』『それから』『門』の三部作が好きでしたし、太宰はやっぱり多くの人と同じように、私も『人間失格』を読んで自分のことを書いているんじゃないかと思いました。太宰の道化とか三島の仮面といったものは、自分が内包している思いが投影されているように感じましたね。後に島田雅彦さんの『僕は模造人間』という小説を読んだときに「ああ、自分たちの世代の太宰が出てきた」と思いました。
日本史が好きだったし、大河ドラマも見ていたので、時代小説も読みました。海音寺潮五郎の『天と地と』、吉川英治の『宮本武蔵』、山岡荘八の『徳川家康』、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や『国盗り物語』など。
さきほどどうやって本を見つけたか分からないと言いましたが、考えてみると高校以降は、文庫に関しては各版元が出している出版目録を見ていたと思います。あれは読むだけで面白くて、宝の山のようでした。
詩歌も読みました。中原中也なんかは、高校生くらいの時に読むと、なにか直接入ってくる感覚がありました。それと、さきほど話した高村光太郎の『智恵子抄』、あとは北杜夫の流れで斎藤茂吉とか。
――歌人の斎藤茂吉は北杜夫のお父さんですものね。
丸山:高校の同級生が大学に入ってから現代詩を書き始めて、「ユリイカ」に投稿していたんです。その影響で自分も「ユリイカ」を読み、現代詩も読むようになりました。現代詩文庫という新書サイズのレーベルはかなり持っていますね。
――翻訳小説は読みましたか。
丸山:中学から高校にかけてですが、父親の書棚にあった世界文学全集を読んでいました。父親は全然本を読まないので、飾りで置いてあったんですよ。最初は難しいかなと思ったんですけれど、手に取ったら意外と読めたんですよね。そのなかでよく憶えているのがパール・バックの『大地』。舞台が中国なので身近で読みやすかったのかもしれません。すごくスケールが大きな物語の中に、貧困や差別や、知的障害のことが描かれていて。ドストエフスキーの『罪と罰』やヘッセの『車輪の下』やジッドの『狭き門』、ゲーテやツルゲーネフも読みましたが、いま真っ先に思い出したのが『大地』なので、無意識のうちに影響を受けたのかもしれません。
――漫画で印象に残っている作品は。
丸山:諸星大二郎を読んだのが高校時代かな。手塚治虫賞を受賞したデビュー作を読んですごいなと思っていたんです。決定的だったのは『暗黒神話』ですね。手塚治虫の『火の鳥』にも通じるような神話的で壮大なスケールの話で、ちょっと怖さもあって。諸星大二郎は自分の中で特別な存在でした。
高校時代か浪人時代の時に、少女漫画にもはまりました。くらもちふさこの『おしゃべり階段』を読んではまって、くらもちさんの作品は全部読みました。
――読んだきっかけってなにかあったのですか。
丸山:友達が教えてくれたのかな。剣道部時代の友達が、まあ硬派っぽい奴なんですけれど、そいつが「別冊マーガレット」を買ってくるのでみんなで回し読みしていたんですよ。とにかく『おしゃべり階段』が衝撃でした。男子校で恋愛経験が全くない中で、理想的な青春がここにある、って。漫画で人の心の機微をこんなに描けるのか、とも思いました。そこから少女漫画を深く広く読んでいったわけではないんですけれど、大島弓子や萩尾望都の漫画も読み、新しい世界を知りました。
ジュニア小説も高校時代によく読みましたね。彼女がいなかったので疑似恋愛的なものとして富島武夫にはまったんです。すごく純粋な世界が書かれていたので、後々、富島武夫が官能小説を書いていたと知ってショックだったんですよね(笑)。
疑似恋愛的な読み方としては、漫画で、柳沢きみおの『翔んだカップル』や江口寿史の『すすめ!!パイレーツ』や『ストップ!!ひばりくん!』、あだち充の『みゆき』や『タッチ』もはまりました。『翔んだカップル』は内容が面白かったんですけれど、江口寿史とあだち充はとにかくもう、登場人物に恋しちゃうくらい絵が可愛かったですね。
それと、本とは関係ないですけれど、お笑いブームにもどっぷりはまりました。19歳くらいの頃に漫才ブームがあったんですが、私はただ笑うだけじゃなくて、理論的なほうにいったんですよ。小林信彦の『日本の喜劇人』や、テレビ朝日のプロデューサーだった澤田隆治という人が書いている『私説コメディアン史』といった演芸関連の本を片っ端から読みました。落語も、聴くようになる前から興津要編の『古典落語』で読んでいました。