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丸山正樹さんの読んできた本たち 就職をやめて脚本家になろうと決めた山田太一の人生ドラマ

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丸山正樹さんの読んできた本たち 少女漫画の「理想的な青春」に衝撃を受けた男子校時代

大学時代の乱読

――大学は早稲田大学ですよね。どんなことを学ぼうと思って進学されたのですか。

丸山:浪人時代に、さきほど話した叔父さんが亡くなったんです。それまでは教師が自分には適任かなと思っていたんです。でも尊敬していた叔父さんが亡くなって、なんだか、好きなことをやれって言われているような気がして。方向転換し、映画をやろうと思いました。それで早稲田に行って、2年目から専攻が分かれるので演劇科にいきました。後から知ったんですが、村上春樹さんも演劇科なんですよね。私は直系の後輩なんです。

――演劇科では、お芝居の実践があったり、脚本を書いたりするのですか。

丸山:それがないんですよ。基本的には理論でした。歌舞伎や浄瑠璃といった古典や、映画・映像論みたいなことを学ぶんです。結局、大学時代にシナリオの学校に行って脚本を書き始めました。一方で、同世代の文学をリアルタイムで読み始めたのも大学時代でした。

――印象に残っている作家、作品は。

丸山:まず、村上春樹さんですね。私は『羊をめぐる冒険』以降は全部、新刊が出ると単行本で買ってきたんですけれど、『羊をめぐる冒険』が出たのが1982年で、私はもう21歳になっているんですね。なので、それまでにいろいろ読んでいる中で村上春樹に出会ったんでしょうね。

 とにかく、今まで読んだことのないものを読んだ、という衝撃がありました。中学1年生の時にビートルズを聴いて、それまで聴いたことのない音楽だとショックを受けたのと同じような衝撃を受けました。村上さんが早稲田大学の演劇博物館に通っていたと知って、自分も通って戯曲やシナリオ集をいろいろ読みました。シナリオのノウハウというか戯曲の構造みたいなものは、授業よりもそういったところで学んだ気がします。

――大学時代、村上春樹さんのほかに読んだ作家、作品は。

丸山:筒井康隆さんは『虚人たち』から読み始めて『虚航船団』、『夢の木坂分岐点』、『驚愕の曠野』、『残像に口紅を』、『文学部唯野教授』あたりまでリアタイして、その実験精神にはまりました。同世代のスター作家の島田雅彦さんは『優しいサヨクのための嬉遊曲』から『未確認尾行物体』くらいまでリアタイし、山田詠美さんは『ベッドタイムアイズ』から『風葬の教室』あたまでリアタイしてますね。他には福永武彦さん『草の花』、高橋源一郎さん『さようなら、ギャングたち』。

 佐伯一麦さんの、『木を接ぐ』『ア・ルース・ボーイ』の頃から始まり、やがて結婚して家族をつくるまで描く一連の私小説には〈デフ・ヴォイスシリーズ〉を書くにあたって影響を受けています。

 それと、もしかしたら私は、村上龍さんにも直接的な影響を受けているかもしれません。村上龍という人は、小説家として以上に表現者としてアジテーター的なところがあったんですよね。『コインロッカー・ベイビーズ』は素直にすごいなと思って読みましたけれど、『テニスボーイの憂鬱』や『愛と幻想のファシズム』は、わりと思想的なことを受け取るところがありました。バタイユのいう「蕩尽」という考え方がありまして。生産的消費に対するアンチテーゼとしての非生産的消費ということなんですが、私はそれを村上龍作品から受け取ったんですよ。

 この頃は作家って、小説以外のところで注目されることも多かったんですね。特に中上健次は、『岬』『枯木灘』といった小説ももちろんすごいんですけれど、その言動が注目されていました。中上健次が誰のことをどう言うかが、ひとつの文学的評価基準になっていました。

 20代半ばの頃に「吉本隆明24時」というオールナイトのイベントに行ったんですよ。いろんな作家や評論家が入れ替わり登壇するイベントで、中上健次、島田雅彦、山田詠美、といった人たちを生で見て大興奮しました。その時の講演内容が全部おさめられたムックは大事に持っています。

――丸山さんはニューアカデミズムの世代ですか。

丸山:そうなんですよ。大学を卒業する頃には完全にニューアカブームでした。当時の文学少年って、本ばかり読んでいるから正義とは、善とは、ということに対して近視眼的というか、観念的になっているんですよね。そこにニューアカブームが来て、また違う価値観を与えられたという感じでしたね。

 ただ、私の場合はちょっと違って、ニューアカの前に笠井潔さんがいたんです。『バイバイ、エンジェル』から入ったんですが、これが小説を通して現代思想が分かるという画期的な作品だったんです。この矢吹駆シリーズを読み進めると同時に、笠井さんが当時発表していた評論も読みました。それで影響を受けたのが『テロルの現象学』と『戯れという制度』で、これはもう目からウロコでした。笠井さんによる党派観念批判で、自分のそれまでの善とか正義とかに対する観念的な考えがひっくり返されました。うまく説明できないんですけれど、どんなに善なる思想や理想も、それが党派観念にエスカレートすると、結局連合赤軍や新左翼内ゲバのような、他者を排除してよいとするテロリズムに転化していく、と主張していると私は受け取りました。

 笠井さんの著作に吉本隆明さんの名前がちょくちょく出てきたんですね。中上健次も吉本吉本と言っている。それで吉本隆明の本も読みました。『言語にとって美とはなにか』とか『共同幻想論』とかを読むんですけれど、ぜんぜん分からなかった。ただ、『重層的な非決定』は、タイトルの言葉がストレートに入ってきました。物事は重層的に、さらに非決定的に論じなければいけないんだっていう。それは自分の、物事を多面的にフラットに見るというところに繋がっていると思います。当時、文学や映画を通して正しさや理想的なものを追求したいという思いと、左翼的な運動も含めた現実の政治活動に対する抵抗感の間でもだえていた私は、この二人の言説によって救済された思いがしました。エンターテインメントに哲学や思想を持ち込んでいいのだと思わせてくれたという意味でも、笠井潔と吉本隆明は、私にとって重要な人ですね。

――さきほど、大学時代にロス・マクドナルドの『さむけ』を読んだとおしゃっていましたが。

丸山:『さむけ』をいつ読んだのかは正直よく憶えていないんですけれど、大学時代にミステリも含めて翻訳ものをよく読んだので、この頃だと思います。『さむけ』は私にとって、目指すべき到達点だと思いました。その理由は、作品の完成度や物語の面白さに加え、事件の解決の過程で、「家族」の問題を中心とした社会的な課題や主人公自身のアイデンティティも同時に問われる、という構成の妙にあると思います。執筆時に強く意識しているわけではありませんが『デフ・ヴォイス』をはじめとした自分の作品には、自分もそうした作品が書ければ本望だという思いがあるような気がします。

 この時期に翻訳小説を読むようになったのは、人の影響です。シナリオ学校では、まわりがだいだい年上の人で、その人たちから海外ものを読めと言われたんです。ジャック・フィニィの『盗まれた街』、『レベル3』、『ふりだしに戻る』、『ゲイルズバーグの春を愛す』、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』、ハインラインの『夏への扉』、レイ・ブラッドリの『華氏451度』、『何かが道をやってくる』、カート・ヴォネガット『タイタンの妖女』、『スローターハウス5』、J・P・ホーガン『星を継ぐもの』...。SFが多かったですね。

 ポール・オースターも読みましたが、それがはじめての同時代のアメリカ文学でしたね。最初はミステリだと思って『鍵のかかった部屋』か『シティ・オブ・グラス』を読んで、ミステリではなかったけれど「ああ、面白い」と思って。それで、柴田元幸という翻訳家と、翻訳家で選んで読むということを知りました。

 ジョン・アーヴィングは、それまで読んだものと違うタイプだと感じました。『ガープの世界』、『熊を放つ』、『ホテル・ニューハンプシャー』、『サイダーハウス・ルール』などを読みましたが、SFでもないし、完全なリアルの小説とも違う。村上春樹をはじめて読んだ時に近い感覚がありました。他の人とは違うという、ちょっと特別な存在です。

 アーヴィングは映画化された作品も多いので、映画も観ました。それでいうと、映画から入って読んだミステリもいろいろありましたね。パトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』とか、セバスチアン・シャプリゾの『シンデレラの罠』とか。スティーブン・キングも映画化されたものが多いですよね。『キャリー』は原作を読んでから映画を観て、他には『呪われた町』とか『クリスティーン』とか『ミザリー』とか。『クージョ』は映画と小説をほぼ同時に体験しましたね。

影響を受けた2人の脚本家

――映画やドラマもかなりお好きだったようですね。

丸山:ドラマはよく見ていて、実は、自分が作家としていちばん影響を受けたのは、倉本聰、山田太一という脚本家の両巨匠ですね。

 私は15歳の頃に、山田先生の――どうしても「先生」をつけてしまうんですけれど――『岸辺のアルバム』の新聞連載を1回目から読んでいるんですね。毎日毎日楽しみで、連載で完結したら単行本でまた読んで、さらにドラマで見ました。当時15歳の少年が、主婦が不倫する話を楽しみに読んでいたっていう。山田先生のドラマは「男たちの旅路」や「沿線地図」、「想い出づくり。」や「ふぞろいの林檎たち」も好きですけれど、私の人生を決定づけたのは「早春スケッチブック」です。

 ジェームス三木という脚本家が、「倉本聰は『What Is Life』で、山田太は『How To Live』だ」ということを書いているんです。中学生くらいの時にそれを読んで、私が感じていたのもまさしくその通りだと思いました。倉本さんは人生を丸ごと書く。人間の嫌なところも悪いところも、情けないところも。山田先生はもう本当に、人生どう生きるかっていうことを書く。

 まず、山田先生の「沿線地図」というドラマを18歳の時に見たんです。主人公も18歳で、受験間近の優等生なんですが、ちょっと不良っぽい女の子を好きになってしまう。その子が「親に逆らわずに毎日学校行っていて楽しいの?」みたいなことを言うので影響されて、駆け落ちみたいにして家を出て学校を辞めるんです。それで二人で生活して肉体労働を始めるという、そういう話なんですね。それを見て、自分も親の言うこと聞いてレールを敷かれた人生歩いていていいのかと思いました。幸か不幸かその時は相手がいなかったので道を誤らずにすみましたけど(笑) その次に、大学生の時に「早春スケッチブック」を見たんです。主人公は当時の私よりちょっと年下の青年なんですけれど、ほぼ同世代。彼は母親が結婚前に、別の男との間に作った子なんですね。その後母親が結婚した相手、つまり現在の父親は小市民というか。会社では上司に逆らわず、家で愚痴を言うような、いってしまえば小さい人間なんです。そんなある日、青年の本当のお父さんが現れる。山崎努さんが演じていて、フリーのカメラマンで、無頼を絵に描いたような強烈なキャラクターなんです。その父親が主人公に「お前こんな生き方していていいのか」と言うんです。「その気になりゃいくらでも深く激しく広く優しく、世界を揺り動かす力だって持てるんだ」ということを言うわけですよ。これについては、私は「ユリイカ」の山田太一特集に寄稿しています。

 大学時代にそれを見て、自分のやりたいことをやろう、就職なんかするのはやめて脚本家になろうと思いました。本当に単純ですよね(笑)。

 大学卒業後はバイトしながら脚本を書く生活に入ったんです。その後山田先生にお会いする機会もあったんですが、「弟子にしてください」と言えなかったのが悔いですね。でも心の中ではずっと、自分は山田先生の弟子だと思っています。

――倉本聰さんの作品は何がお好きだったのですか。

丸山:中3の時に「前略おふくろ様」を見たんです。いまだにあれが自分にとって最高のテレビドラマです。後々、大学の後半になって「早春スケッチブック」を見て山田太一派になるんですけれど、それまではどちらかというと倉本聰派でした。実は大学生の時に「北の国から」の最終回を見て、弟子入りしよう思って北海道の富良野に行ったんですよ。連絡先も何も知らなかったんですけれど、富良野に行けば有名人だから会えるんじゃないかと思って。そうしたら本当に泊まった民宿の女将さんが「倉本先生なら知ってるよ」と言うんです。「先生は今富良野にいないよ」って。でも先生の友達に連絡してくれて、その人のトラックで「北の国から」で作った丸太小屋に連れていってもらって、そこで一日番人をさせられました。東京から来たただの大学生なのに(笑)。一日観光客の相手をして、東京に帰ってきました。きっと私みたいな弟子志願の人間がたくさん来たんでしょうね、後に倉本聰は富良野塾を作るんです。もし私があの時倉本さんに会っていたら、きっと富良野塾の第一期生として共同生活して農業しながら芝居の稽古をして、今小説を書いていないので、会えてなくてよかったんでしょうね(笑)。

――では大学卒業後はバイトをして、脚本を書いて...。

丸山:バイトしながらオリジナルの脚本を書いてコンクールに応募していました。官公庁や企業が作る30分くらいの啓発教育もののビデオドラマを作る仕事をやり始めたので、それで生活していました。30代の時に一応Vシネマでデビューするんですけれど、泣かず飛ばすでした。

――その頃の読書生活は。

丸山:20代の頃は、純文学を読むことが多かったんですよね。新しい作家を発見する、みたいな感じで、純文学の新人賞の作品を続けて読んだりしていたんです。『群像』や『文學界』といった文芸誌を買って読んでいました。

 それと、時期は不確かですが、社会人になってからハードボイルドにはまったんです。矢作俊彦さん『マイク・ハマーへ伝言』、原尞さん『そして夜は甦る』などの沢崎シリーズ、志水辰夫さんの『行きずりの街』、『いまひとたびの』とか。志水さんや原さんの作品はミステリのランキングで1位になったから知ったんだと思います。

 あとは吉田修一さんですね。文學界新人賞受賞作の『最後の息子』からずっと読んでいました。新人賞受賞作を読んでいたと言いましたが、その一作を読むだけで終わる人もいれば、その後ずっと読み続ける人もいて、吉田さんは後者でした。その後出た長篇の『悪人』は、純文学というよりエンタメに近いと思って。私は純文学とエンタメの狭間にいる人が好きなんですよね。それが理想だという気もします。桐野夏生先生もそうですよね。『OUT』はエンタメだけれど、『柔らかな頬』はエンタメとして読むだけでいいのか、と思うし。打海文三さんの作品も、自分の中ではミステリの枠を超えています。特に『時には懺悔を』は、ご自身の息子さんの障害そのままミステリの題材としていて、ああ、こういうことをしてもいいんだと思いました。じゃあ自分もしてもいいのかな、と思ったところがありますね。

 他にも、純文とエンタメの狭間にいる人はたくさんいますよね。町田康さんや川上未映子さんも最初は純文学として読んでいたけれど、エンタメとして読むこともできる。阿部和重さんも純文学だけど、映画を志していたこともあってかエンタメ要素がありますよね。他にも、絲山秋子さん、帚木蓬生さん、池澤夏樹さん、宮部みゆきさん、横山秀夫さん、重松清さん...。帚木さんの『閉鎖病棟』は自分が目指す小説の形のひとつですね。

――『閉鎖病棟』は読んで大号泣した記憶があります。

丸山:ですよね。私も、ああ、こういう小説を書きたいと思いましたね。簡単に言うと、困難な状況にある人たちを描き出していて、だけど小説として面白くて、感動があるっていう。そういうものが書けたら理想ですよね。

 それと、太宰治賞を受賞した時からずっと読んでいるのが津村記久子さん。リアルタイムで単行本を買っています。面白くない作品がひとつもなくて、すごい人だなと思っています。細かい描写が本当にうまいですよね。文章を読んでいるだけでほれぼれするっていう。

 やっぱり自分は、文書が上手い作家が好きなんだと思います。

 佐藤正午さんも本当に文章が素晴らしい。『永遠の二分の一』からリアルタイムで全作読んでいますが、どの作品ももうずっと読んでいたくなる。至福の時ですね。最近の作家でいえば、早瀬耕さんの『未必のマクベス』を読んだ時に、自分がこれまで読んできて敬愛している作家たちと同じような性質を持った人が出てきたなと思いました。最初は淡い恋の話かと思ったら、すぐにぶっ飛んだ展開になっていく。あれもすごいセンスだなと思って。伊坂幸太郎さんもそうですけれど、文体や文章がちょっと特異な、他にいない作家だなと感じます。

 新井千裕さんも文章が好きなんですよね。デビュー作の『復活祭のためのレクイエム』の時からリアルタイムで読んできた作家のひとりです。特に『忘れ蝶のメモリー』が好きですね。とにかく文章にセンスがある。

 佐藤亜紀さんはまたちょっと違って、スケールの大きさに圧倒されます。『バルタザールの遍歴』とか。『ミノタウロス』、『吸血鬼』あたりから新刊をリアタイで読んでいます。日本で世界に通用する作家をひとり挙げよと言われたら、私は佐藤さんを挙げますね。世界的な作家だと思う。

小説家デビューと自作のこと

――ところで、丸山さんは、長年ご家族の介護をされていますよね。

丸山:そうですね。大学卒業して6、7年経った頃からそういった生活に入りました。それまでは普通にバイトもしていましたけれど、そこからは基本的に在宅でできる仕事しかできなくなりました。もちろん打ち合わせや取材で出かけることもありますけれど。

 それで、ずっとシナリオや啓発ビデオの仕事をしていたんですが、40歳くらいの頃、不況でPRものの仕事がなくなっていったんです。Vシネマの仕事もなくなってしまって、もう二進も三進もいかなくなって。それで、もう小説を書くしかないかなあということで、小説を書き始めました。また、書いてはコンクールに応募する日々となりました。だから小説は私にとって本当に「最後の仕事」ですね。

 本当に仕事がなくなった時には、介護の仕事をしようと思って資格も取ったんです。でも結局、介護の仕事に就く前に小説家デビューが決まりました。後に書いた特養老人ホームを舞台にした『ウェルカム・ホーム!』は、介護実習などその時の経験をもとに書いたものです。

――デビュー前は、どんな小説を書いていたのですか。

丸山:いろんなものを書いていました。恋愛ものからミステリからコメディから。漫才師の話なんかも書いて、これは選考で二次くらいまでいったんじゃなかったかな。

 だいたい短編で、長くて100枚くらいでした。最初は、純文学の賞に応募していたんです。文芸誌を読んでいたから、すばる文学賞や群像新人文学賞は知っていたので。途中で自分は純文学ではないかもしれないと思って、すばる文学賞に送ったものをほぼ手を入れず枚数だけ調整してオール讀物新人賞に送ったんですよ。そうしたらいきなり最終選考までいきました。そこではじめて、自分が書いていたのは純文学ではなくてエンタメだったんだと気が付いたんです。その後オール讀物新人賞で3回くらい最終選考に残って、松本清張賞にも出すようになって。清張賞に4回目の応募で出したのが『デフ・ヴォイス』でした。

――『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』は、ろう者の両親のもとで育ったコーダの荒井尚人が手話通訳士となり、とある事件に関わっていく物語です。手話の種類や手話通訳士の仕事など知らないことが多かったのですが、いろいろと情報を集めてお書きになったのですか。

丸山:あれを書く前までは、手話のことはまったく知らなかったんです。でも自分は家をあけられないし取材する時間もなかったので、図書館で借りた本を読み、手話の学習用DVDを見て書きました。

 松本清張賞の最終選考では青山文平さんと私の決選投票になって、青山さんに決まったんです。その時に私に入れてくださったのが、伊集院静さんと桐野夏生さん。それで、受賞はできなかったものの、『デフ・ヴォイス』も刊行してもらえることになりました。このお二人に対する御恩は忘れません。桐野先生にはその後も勝手ながら本が出来るたびにお送りしていたんです。『ワンダフル・ライフ』の文庫の解説をお願いしたら快く引き受けてくださって、素晴らしい解説を書いていただいて、もう、泣きましたよ。

――『デフ・ヴォイス』を最初にお書きになった時、シリーズ化は意識されていましたか。

丸山:していなかったです。私は『デフ・ヴォイス』を書いてから、2作目を出すのに5年かかっているんですよ。というのも、書いても書いてもボツになったんです。担当者が異動になって文藝春秋とは縁が切れてしまって。何社かから書下ろしの依頼はいただいていたので、その方たちに向けて順番に毎年1冊ずつ書いたんですが、それも全部ボツになって。

 そんな時に「読書メーター」で、誰かが薦めてくれたのか火がついて、『デフ・ヴォイス』の登録者が1000人になったんですね。それでようやく文庫化できたんです。なのでシリーズ化云々なんて話はもちろんなかったです。

 文庫がちょっと話題になってくれたおかげで2作目の『漂う子』を出すことができて。そんな頃に声をかけてくれていた東京創元社の編集者から、「『デフ・ヴォイス』の続篇はどうですか」と言われたんです。文春で書いたものだから他社で続篇を書いていいのか分からないと思い、文春の方に聞いてみたら「どうぞどうぞ」ということで続篇を書くことになりました。だから、シリーズ化が決まったのは『デフ・ヴォイス』を書いてから6年くらい経ってからなんです。そこから『龍の耳を君に』と『慟哭は聴こえない』と『わたしのいないテーブルで』という続篇を東京創元社から出した後で、第1作の『デフ・ヴォイス』も創元推理文庫に入れてもらいました。

 続篇以降は、文献にあたるのでなく当事者にお話を聞いて書いています。1作目を出してからは、ろう者や手話通訳者の知り合いもいっぱいできていたので、山のように題材があるんです。

――その後のどの作品も、社会的に声が大きくない人たちを掬いあげていると感じますが、それは意識されていることなのでしょうか。

丸山:そうですね......。小説を書くというのは大変で、ものすごくエネルギーが要るんです。なので、よほどのモチベーションがないと書けないんです。日頃、新聞やニュース、あるいは身近なところで見聞きしたことで、困ったことや理不尽があるのに世間に全然届いていないと感じることがあるんですね。自分自身もそれを知らなくて驚くと同時に、これは世間の人も知らないだろうから、小説で伝えられたらなって思うんです。そういうモチベーションが生まれたら書く、それだけのことなんですよ。

 自分の体験を投影していることが多いのは、やっぱりいちばんよく知っているからです。出し惜しみする理由はないというか。小説にとってなにかいい効果があるのだったら、それは書きますよ。

――『デフ・ヴォイス』に登場する刑事の何森を主人公に、別シリーズも生まれましたね。『刑事何森 孤高の相貌』と『刑事何森 逃走の行先』と。

丸山:『デフ・ヴォイス』シリーズでも人気のキャラクターなんです。それで、小説家としての欲が出てきて、自分なりの探偵小説みたいなものが書きたくなったんですね。何森は刑事ですけれど。『デフ・ヴォイス』の裏の話でもあるので、あちらでは見えていない荒井家の内情が見えたりもします。

――並行して読むとまた面白いですよね。

丸山:そうですね。どちらのシリーズも時間が進んでいるので、荒井家と何森、それぞれの変化をどちらにも書いていくことになります。

――『漂う子』や『ウェルカム・ホーム』はご自身の体験が反映されているとのことでしたが、『ワンダフル・ライフ』も、最初の一篇の妻を介護する男性の話の介護生活については、ご自身の日常が反映されていますよね。あれはさまざまな人が登場する連作形式ですが、最後にびっくりしました。

丸山:正直、びっくりされると思っていなかったんですよ。だから「びっくりしました」という読者の反応に、私がびっくりしています。あの本の最後に添付したものも、実は編集者への説明用として添えたものだったんです。

――全編を読み終えた後で、あのページを見て復習できるのがいいですよね。ネタバレしたくないのでここで具体的には説明しませんが。そして、ドラマ化もされた『夫よ、死んでくれないか』はタイトルにインパクトがありますが、これは、女性たちの生きづらさを書こうと思われたのですか。

丸山:何年か前から、女性のことを書きたいと思うようになったんです。というのも、国連の人権課題の話題で、日本において人権リスクのある人たちとして、障害者や在日外国人と並んで、女性が挙がっていたんですね。それを見て私はびっくりすると同時に、自分は今まで気づいていなかったのか、と思って。きっと自分のように気づいていない人は結構いるだろうから、小説に書こうと思いました。『刑事何森』でもコロナ禍で経済的に行き詰ってパパ活をする女性や在日外国人の女性のことを書きましたが、まだ書き足りていなかったし、特殊な状況かどうかに関係なく、どの女性にも困難があるだろうと思っていたんですね。特に結婚している女性は、夫という存在にかなり抑圧されている部分がある気がしたので、それで書いてみたくなったのが『夫よ、死んでくれないか』でした。

 ただ、後書きにも書きましたが、発想自体は、作家になる前に読んだ『夫の死に救われる妻たち』というノンフィクションの存在が大きいですね。それが頭にあったから『夫よ、死んでくれないか』というタイトルにしたんですが、ドラマ化された際にこのタイトルがバッシングされました。自分では「どうか死んでくれないでしょうか」とお願いしているくらいのソフトなイメージでしたし(笑)、実際、女性読者からは「インパクトのあるタイトルだと思った」と好意的な意見が多かったんですけれど。

――最新作『青い鳥、飛んだ』は万引き犯を捕まえようとして誤って死なせてしまったコンビニ店長の柳田と、コロナ禍の影響で困窮し、自分では望んでいなかった仕事に就くミチルが主要人物です。

丸山:『夫よ、死んでくれないか』を出した後、何も書けなくなったんです。2作目が出て以降、1~2年で1冊ぐらいのペースだったのが、この数年は年3冊も出せるようになってありがたかったんですが、どこかでパンクしちゃったんですね。それでいったん仕事をストップしました。その時に、どうせ自分はこれで作家として終わりだから、最後に書きたいものを書こう、と思って。

 実は、前から書きたいけれど書けない題材がありました。それがコンビニの店長が万引き犯を誤って死に至らしてしまう話と、体を売らざるを得ない立場になった女性の話でした。それで、プロットをまったく立てずに、この二つの話を同時進行で書いていったんです。一行書いてから次の一行を生み出すという書き方だったので、本当に苦しかったです。

――最初は別々の話だったのですか。作中、二人は意外な形で邂逅を果たしますよね。

丸山:書いている途中で、これは不寛容と自己責任の話としてリンクするなと気づいて、そこからひとつの話として考えはじめました。罪と罰、みたいなことも考えました。刑事罰は受けなくても社会的に大きな罰を受けることって結構ありますよね。その反面、「なぜこれが罪にならないの?」というようなこともある。罪と罰が釣り合っていないなあ、と感じることが前から多かったので、そうしたことを入れ込んでいきました。

――物語は、他にも謎の視点人物が登場しますよね。作中に「M」という人物が登場しますが、終盤まで誰のことか分からないという。

丸山:誰のことか分からない、というのはつまり、みんなそうなる可能性があるんですよ。みんな、被害者にも加害者にもなりうる、ということが書きたかったんです。

――万引き犯を捕まえたことで炎上していく様子や、風俗的なメンズエステでの労働の様子がすごく生々しかったです。

丸山:メンズエステの仕事については、ここまで描いたら読者は不快感をおぼえるかもしれないけれど、その不快感こそミチルの不快感であり、そんな思いをしてまでなぜミチルがそういった仕事をしなくてはならないのか、ということを感じてほしかったんです。

 なんか、映画に負けていられないって気持ちがあったんですね。たとえば、「あんのこと」っていう映画があるんですけれど。

――観ました。河合優実さんが主演で、母親に虐待を受け売春を強要されて育ち、違法薬物の常習者になった少女あんが、刑事に勧められて自助グループに参加して更生していくけれど...。実在の女性に関する、ある新聞記事がきっかけになったという作品ですよね。

丸山:ああいう映画に、小説は負けていると思ったんですよね。あれくらい生々しさのある小説をなんで書けないんだろうって。正直、「あんのこと」に負けないようにと思いながら書きました。

 でも、純文学はすでにやっているんですよね。たとえば金原ひとみさんの小説、特に『アッシュベイビー』『AMEBIC アミービック』『オートフィクション』のあたりって、ものすごく生々しい描写をしているじゃないですか。ああいう小説に拮抗できるような描写をしたかったんです。

最近の読書と今後の予定

――その後の読書生活は。

丸山:小説家になってからは知り合った、といっても私の場合ほとんどSNSでのお付き合いですけど、作家の本を読むことも多いですね。姫野カオルコさん『彼女は頭が悪いから』、葉真中顕さん『ロスト・ケア』、伊与原新さん『宙わたる教室』、寺地はるなさん『水を縫う』、深沢潮さん『縁を結うひと』、足立岬さんの『春よ来い、マジで来い』、水沢秋生さん『君が眠りにつくまえに』...。ブレディみかこさんは『THIS IS JAPAN--英国保育士が見た日本』以降の作品はすべて読んでいるし、木村紅美さんはデビュー作の『風化する女』から最新作の『熊はどこにいるの』まで全部読んでいます。

 知り合いじゃないですけど、以前の「純文学系新人賞を読む」が最近また復活してきて、『最高の任務』や『本物の読書家』などの乗代雄介さんは最新の推し作家です。

――翻訳小説は読まれていますか。

丸山:最近は翻訳家読みになっていて、柴田元幸さんからの流れで岸本佐知子さんを知って、今は「岸本さんが訳したものなら読もう」という感じです。どれも面白いですよね。ニコルソン・ベイカーの『もしもし』や『中二階』とか、ミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』とか。それとルシア・ベルリン。『掃除婦のための手引き書』や『すべての月、すべての年』といった短編集は、一篇一篇が短いのにどれもガツンときますよね。岸本佐知子さんには、エッセイも含めて、絶大な信頼を寄せています。

 それと翻訳ものでは『湿地』『緑衣の女』などのアーナルデュル・インドリダソン。犯罪捜査官エーレンデュルのシリーズは、何森のシリーズに多少影響を与えているかなと思います。それと、『犯罪』などのフェルディナント・フォン・シーラッハの淡々とした筆致は、自分の目指すハードボイルドだったりするので参考にしています。

――ノンフィクションで印象に残っている作品はありますか。

丸山:シナリオライターを目指していた頃、なかなか入選しないのは題材が普通すぎるからかなと思ったことがあって。自分にしか書けないようなものを見極めなきゃいけないと考えた時に、自分には吃音や妻のこともあるし、障害のことを書こうと思ったんです。実は、『刑事何森 孤高の相貌』の「二階の死体」の、頸椎損傷の少女のお母さんが二階で殺されているという話はデビュー前に書いているんですよね。

 それから『ワンダフル・ライフ』の「仮面の恋」に出てくる重度脳性麻痺の青年が、名前を偽ってネット上で知り合った女性に会いにいく話もデビュー前に書いているんです。あの話は実はモデルがいて。妻が行っている施設に脳性麻痺の青年がいて、最初のうち、コミュニケーションもとれないので、私は彼に知的な障害もあると思い込んでいたんですよ。でもメールアドレスを交換してやりとりするようになったら、とっても知的な文章で明瞭な会話を交わすことができて、びっくりして。本当に自分の偏見と無知が恥ずかしくなったんです。でもきっと、そういうことは自分だけじゃないよなと思って、小説にしようと思ったんです。でもうまく書けなくて。

 それで、他の障害の人のことも知ろうと思い、いわゆる自閉症とか発達障害の人が起こした事件のノンフィクションをいろいろ読みました。そのなかのひとつが、佐藤幹夫さん『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』です。これがすごいノンフィクションなんですよ。路上で女性が刺殺され、捕まった青年が自閉症と軽度の知的障害と診断された事件について書かれている。犯人の育成歴とか、加害者の家族がその後どうなったのかに衝撃を受けました。こうしたことってみんな知らないことだよなと思った時に、小説に書いてみたらどうだろうと思って。障害者の内面って、みんな普段は全然関心がないけれど、事件を起こすとその内面や背景や動機をすごく追及される。だから、障害者が加害者になる話を書こうと思いました。私がわりと障害者が被害者でなく加害者になる話、誰もが被害者も加害者になりうるという話を書くのは、ここが原点かもしれません。

 それと、山本譲司さん『累犯障害者』は、刑務所にいる障害者についてのノンフィクションで、このなか暴力団のろう者の話があるんです。そこではじめてろう者と日本手話ということを知りました。そういう意味では『デフ・ヴォイス』の原点ですね。

――1日のタイムテーブルは決まっていますか。

丸山:私は午前中型ですね。朝6時頃には起きて、食事の支度とか妻のケアを一通り終えてから、8時半くらいには机に向かっています。午前中にどれくらい書けるかが勝負です。午後からの予定は日によります。週3回介護ヘルパーが来てくれるので、その日は昼から出かけて打ち合わせだったり取材だったりをして、そうした仕事がなければ映画を観に行くかジムに行くか。ただ、外出する時もパソコンは常に持参して、用事が終わってから図書館や喫茶店で2時間程度は仕事をしています。家にいる日の午後も、妻のケアや家事のかたわら、資料を読んだり、調べ物をしたりはしますね。基本的に夜は仕事はしないです。

――そういえば、ボクシングジムに通われているとか。

丸山:小説家デビューした年、つまり40歳を過ぎてから始めました。「あしたのジョー」世代なので、子供の頃からボクシングの試合を見るのは好きで。いつか自分もやってみたいと思いながら実現できないでいたんですが、たまたま近所にボクシングジムを見つけたんです。すごく小さなジムだったのでコロナ禍の時に感染対策が難しくなり、それからは大きなジムに移りました。そこでブラジリアン柔術のコースがあってやってみたことで、『キッズ・アー・オールライト』が書けたところがありますね。今はそのコースをとる時間がなくなったので、自主トレみたいな感じでサンドバッグを叩いたりしています。

――今後の刊行予定はいかがですか。

丸山:東京創元社の「紙魚の手帖」という隔月刊の雑誌に『デフ・ヴォイス5』の連作を連載しているんですが、もうすぐ完結して来年単行本になる予定です。それが終わると、15年ぶりに文春で2冊目の単行本を出させていただけることになったので、それに取り掛かります。今、打ち合わせをしているところで、こちらも来年か再来年に刊行できればいいなあ、と。医療少年院や刑務所に勤務する精神科医の話を考えています。

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