わたしは耳の穴が小さい、らしい。推測形なのは自分の耳穴をのぞいたことがないためで、だから当然、他人と比べてどうかも確認できない。
それを指摘されたのは数年前だが、昔からイヤホンを使うのは下手だった。ただイヤホンで何かを聞くのも、準備のために耳にイヤホンを入れるのも、どちらも非常に個人的な行為なので、入れても入れても落ちるイヤホンについて人に話す機会はなかったし、目立った不便は覚えなかった。
ただこの八月、縁あって、お盆を長崎で過ごした。長崎では八月十五日、県内各地で精霊流しが行われる。この一年に亡くなった方の魂を、家族が手作りした大きさも形も様々な船に乗せ、町中を練り歩いてから極楽浄土に送り出す伝統行事だ。
「爆竹が飛んでくるので服は長袖長ズボン。耳栓は必須です。当日はコンビニでも売ってますけど」
長崎の知人が事前にこんな連絡をくれた。そう、長崎出身のさだまさしさん作詞・作曲の「精霊流し」ゆえにしめやかと思われがちだが、古来、中国との窓口でもあった長崎の精霊流しは、爆竹が鳴り響き、手持ち花火が輝き、時に故人の好きなものにちなんだオリジナリティーあふれる船が行く賑(にぎ)やかなものなのだ。
爆竹だって一束二束ではない。船に付き添う方々が次々火をつけては投げ、場合によっては爆竹の段ボール箱ごと点火する。おかげで道路は、爆竹の残骸で真っ赤だ。なるほどこれは耳栓必須と持参のものを取り出したが、やはりちゃんと入らない。一方で警備に当たる長崎県警の方々は誰も耳栓をなさらず、足元で爆竹が炸裂(さくれつ)しても平然としていらした。ただそれは非常事態にすぐ気づくための即応態勢であって、決して耳の穴が小さいためではないのだろう。
当然とばかり耳栓を使う人々と、お仕事として使わない方々。その狭間(はざま)で自分の耳の穴のサイズをつくづく思い知り、いつかの時のために小さめの耳栓を探しておこうと誓った。=朝日新聞2025年8月27日掲載