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変わりゆくもの 柴崎友香

 先日初めて買った老眼鏡を書類の上に置いていて、ふと見たときにレンズ越しの文字が虫眼鏡と同じゆがみ方で、あ、すごくおじいちゃんという感じがすると思った。近視用の眼鏡と老眼鏡のレンズの違いを意識してじっくり見たことなどなかったのに、視界に入るものの記憶と付随するイメージってこんなに結びついているものなのか、と感心した。

 普段は中近距離用に調整した眼鏡を使っていて、その老眼鏡はほぼ使わないのだが、自分の身体が人間の変化のどの時間帯に位置するかを実感するできごとだった。四十代後半からあちこちに「今までとは違う」感覚が生じた。今のところ、私にとってそれは忌避感や喪失感ではなく、興味が勝っている。これまでに見てきた、年長の人たちが細かい字が書かれたものを離す姿や、祖母から糸を通してほしいと渡された針などが思い出され、あれはこういう感じだったのか、と知る面白さだ。もっと不自由なことが出てくればそんなことも言っていられなくなるだろうとは予想するが、年齢を経て身体が変化すること自体を否定的にとらえがちな風潮はしんどいなと思ったりもしている。

 一方で、肩や首が痛くなることが減ったのは不思議だ。以前は日常生活の動作もつらいくらいに肩や首の凝りがひどくて、病院や鍼(はり)などの治療をさまよったのに、最近はそこまで痛いのはときどきしかない。若いころのほうが体力があるから仕事も長時間がんばれて、力が入っていたからこそ痛みも強かったのかなと考えたりする。今は夜中まで原稿を書くこともないから、そこまで身体を酷使しないというかできない。体力は減って疲れるし時間もかかってしまうが、偏頭痛も減ってきた。

 若いころから元気ではないほうだったので、がくっと衰えを感じることがないのも、今となってはよかったかもしれない。変化は一方向の矢印だけではないし、なにが自分にとってほどよいのかも、一つの基準でははかれないと思う。=朝日新聞2025年9月3日掲載