日本統治下の台湾で、2人の若き植物学者は夢を語り合う。「いつか、僕らで南洋植物専門の標本館を作らないか?」。時代の大きなうねりの中を懸命に生き抜いた人々を、葉山博子さんはデビュー2作目の「南洋標本館」(早川書房)で描き切った。
葉山さんは、1988年に金沢市に生まれた。子どもの頃から文学好きだったものの、新人賞の倍率の高さから、はなから小説家をめざすのはあきらめていた。
だが、書いてみたらと友人に後押しされ、2022年にアガサ・クリスティー賞に応募。翌年に再び挑戦すると、「時の睡蓮(すいれん)を摘みに」で大賞を受け、デビューを果たした。
詳しい経歴は「当面語らない」としつつ、これまで、真面目に頑張ってもうまくいかないことが多かったと振り返る。「違う道では花が咲かなかったと思う。本来やるべき努力、路線が見つかったという感覚があります」。取材や調べものをする中で、異なる世界や人々と出会うと視界が開け、前進したように思える。
元々、自分と距離のある価値観や世界に触れられる本や、歴史にひかれてきた。デビュー作では、大戦中のハノイを舞台に。2作目となる今作は、日本統治下の台湾で植物学者を志す台湾人の陳と、台湾生まれの日本人・琴司の物語を描いた。
きっかけは23年秋、台湾の書店で出会った1冊の本だった。台湾大学植物標本館の胡哲明館長が書いた植物学者・細川隆英氏の伝記を手に取った。その後、植物標本館を訪れ、細川氏に関する展示も見た。帰国し、これは小説にしないといけないと思った。
「軍人や兵隊からではなく、非政治的な存在である植物学者から見た戦争の景色を見たかった」
日本の責任が問われる場面が多い東洋の近代史に、小説家も向き合っていい時代になったのではないかと考える。統治した側として、自分の頭で当時の台湾人たちについて想像する場を持たないといけない、という思いもある。だから、歴史書ではなく小説を選ぶ。
「目に見えない心理的な出来事や、未完に終わったために評価すらされなかった人間の営みについて、心が自由に想像し始める。その心の広がりを求め始める瞬間が、私は小説の始まりだと思うんです」
「戦争小説家」になるつもりは一切ない、という。「だけど、(書きたい時代に)紛争や戦争、その予兆が出てくれば、私は多分無視せずに書くと思う」(堀越理菜)=朝日新聞2025年9月3日掲載