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井上有一「はじめての井上有一」 私だけの響き持つ言葉と出会う

伝統的な書を超え、前衛芸術家として国際的に活躍した井上有一(1916~85)の著書を再編集した入門書。図版は「不思議B」(京都国立近代美術館蔵)。「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン 1970s―1980s」展が東京の渋谷区立松濤美術館で11月3日まで開催中©UNAC TOKYO

 顔の皺(しわ)はその人の年輪だ、という言葉がある。文字にも時に、年輪が現れる、と私は思っている。そして、年輪のある文字を見た時、言葉は己と共に歳(とし)を重ねるものなのだと気づくことができるのだ。

 言葉は顔と同じくらい、その人の歴史を刻むものだ。「愛」という言葉一つをとっても、その人がどんなふうに「愛」に向き合ってきたかによって、その人が「愛」と発言するときに、含まれる意味は変わっていく。みな同じ言葉を用いて、気持ちや情報をやり取りするが、でも、それぞれが違う人生を生きて、違う環境から世界を見ている限り、同じ言葉でもその言葉に持つ印象は異なっている。だから、完全に同じ意味がその言葉に含まれているとは言えないし、コミュニケーションはそれによって少しずつずれていくのだ。言葉はどれもその人とともに、その人の人生の中で息づき、時に歪(ゆが)み、時に乾き、時に染められ、そして時に輝いて、そうやってその人だけの言葉になっていく。たとえば、「さようなら」という言葉は、その言葉を聞いたその人だけの響きを纏(まと)って、その人の心臓に届くのだ。

 そのことをつい人は忘れて、言葉の中にある人生の気配を見落としてしまう。けれどこの世界には、直感的に、言葉とは私だけの響きを持つものなのだと、はっとわかる瞬間がある。たとえば、井上有一の書に出会った瞬間。最果タヒ(詩人)=朝日新聞2025年9月6日掲載