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映画「宝島」妻夫木聡さん×原作・真藤順丈さん対談 「沖縄の人たちの想いを届けていくことが使命」

(左から)妻夫木聡さんと真藤順丈さん=有村蓮撮影

(C)真藤順丈/講談社 (C)2025「宝島」製作委員会

文章を凌駕している部分も

――真藤さんの原作が放つパワーに圧倒されながら一気に拝読しました。映画でも熱量の高さはそのままに、主人公・グスクたちの生き様に見入ってしまいます。妻夫木さんは原作を読んで、どんな感想を持ちましたか?

妻夫木 映画のオファーをいただき、原作を読ませていただきました。圧倒的なエネルギーに満ちあふれる原作のすごさを感じながら、この先の展開がどうなるのか、ドキドキわくわくして。ただ、場所や予算や時間も含めて、この話をどうやって実際に映画化するのだろうかと気になりました。

――原作は1952年から1972年の、沖縄戦直後の米軍統治時代から本土復帰までの時代の沖縄を描いた作品ですが、真藤さんは東京のご出身で、沖縄を描こうと思った一番の理由はなんですか?

真藤 近現代の小説を書いていて、調べ込んでいくと、あらゆる問題は地続きで沖縄につながっていると感じます。戦争や日米の問題、支配と被支配の関係性、中央と地方、土着的なアニミズムの世界観も残っていて、日本について書くなら沖縄を書かなくてはとずっと思っていた。僕は沖縄にルーツはないですから、歴史をエンタメに落とし込むうえで当事者性や搾取性においてハレーションは起きる。立場的な批判はすべて受け止めるという覚悟が固まるまで筆が止まったこともありましたが、構想から含めれば7年をかけて書き上げました。

――映画は191分があっという間に感じられるほど息をのむ展開で、激動の時代を強く生き抜く沖縄の人たちの姿が鮮烈に心に残りました。真藤さんは映画についてどう感じましたか?

真藤 映画化の話をいただいたときは僕も、どうやって? というのがまず気になりました。とはいえ大友啓史監督ならば信頼できるとお任せして、191分ものあいだ熱量が落ちない大作が仕上がってきて腰を抜かしました。比べるのもおかしいですが、とくにコザ暴動のシーンの迫真性、歴史に裏打ちされた祝祭性のようなものは、文章で表現しうる世界を凌駕していると感じました。他にも忘れがたいシーンがいくつもあって、小説には出てこないのですが、最初のほうでどこかの路地でオンちゃんをグスクやレイが無邪気に追いかけるシーンがたまらなかったです。

妻夫木 大友監督が沖縄の街中をロケハンしていて、いろいろな場所を探したなかで、偶然見つかったのがあの路地。コザ(沖縄市の中心市街地の一部を指す文化圏の愛称)のゴヤ十字路の裏手の道です。

真藤 そうなんですか! あのシーンがあるのとないのとでは作品全体の印象が違いますよね。映画はグスクたちが大人になってから物語が動き出すので、あの路地のシーンには彼らが大人になる前の無垢な時代が凝縮されているように感じました。

妻夫木 僕らもオンちゃんの何に惹かれてずっと追いかけ続けたのか、説得力が必要になると思っていて、あのシーンのオンちゃんはグスクの目にも焼きつくほど、映像世界でもしっかりと物語ってくれるものがあったんです。だからこそ、どんどん離れていくオンちゃんをずっと追いかけているんですよね。

沖縄の想いを届けていくことが僕の使命

――妻夫木さんはそもそも“戦果アギヤー”から刑事となる「グスク」役を引き受けた理由は?

妻夫木 以前、同じコザを舞台にした映画「涙そうそう」(2006年公開)に出演したのですが、当時の縁でできた親友たちが沖縄にいて、とても大好きな街になりましたし、同じ街を舞台にした映画に出演できることはなかなかないので、『宝島』のお話をいただき、導かれたような運命的なものを感じたからです。言葉にならない声のようなものを聞いたこともあり、そんな沖縄の人たちの想いをグスクとして表現することで届けていくことが僕の使命だと感じました。

――真藤さんは原作者として、妻夫木さん演じるグスクをどのようにご覧になりましたか?

真藤 原作と映画の一番大きな違いは、語り手。小説だと沖縄の総合意識のような存在なのですが、映画ではグスクがナラティブの役回りを務めています。小説ならともかく映像作品ではそれってけっこう難しくて、他のキャラクターよりも視点が高くなって浮いてしまいがちになると思うんですが、妻夫木さんはとてもよく馴染んでいて。グスクは原作だともう少しお調子者で抜けているところもある人物像なんですが、映画のグスクはとぼけた風味を残しつつも、彼が持つ包容力も体現されていたので、それは妻夫木さんが演じたグスクならではのことではないかと思いました。

妻夫木 もう本当に恐縮です。真藤先生が思い描く「宝島」を表現できているのかは不安なところもまだありますし、何より沖縄の方にご覧いただくのもすごく緊張します。僕も沖縄で生まれ育っていませんが、本当に心を込めて、グスクを演じました。その作品の生みの親である真藤先生にお褒めの言葉をいただくと、少し太鼓判を押していただいたような感覚があります。

“生命力の塊”を目の当たりに

真藤 役作りはどのようにされたのですか?

妻夫木 事前にひとりで沖縄の街を各所回って、歴史のことを調べました。さらに当時、実際にコザ暴動に参加した方やその時に刑事をされていた方など、いろいろな方のお話を聞かせていただいて。でも、一番の核となったのは佐喜眞美術館です。「沖縄戦の図」を見た時にハッとしました。沖縄のことを調べて学んだりしているだけでどこかわかった気になっていないかと言われたような気がしました。

真藤 グスクには、沖縄の代弁者ではなく、常に沖縄の“今”を生身で生きる人物であってほしい。そういう役を演じるのが簡単なわけはない。オンちゃんがいなくなったあとのヤマコとレイの“ニイニイ(お兄さん)”でもあり、警察官でもあり、コミュニティーの心臓でもあって。とにかく多面的な人でなければいけなくて。妻夫木さんのグスクはそれを見事に体現されていた。観る人によって印象が移ろうような表現ができるのは、一元的ではないキャリアを積まれた俳優さんだからこそですよね。個人的には、原作よりずっと危険な気配をまとっているところも良かったです。

 危険というとレイに目が行きがちなのですが、妻夫木さんのグスクもなかなかどうして危ない。何かの拍子に、理性や緊張感がぶつんと切れてしまうのでは? という一心不乱さが表情に宿っている。その瞬間がコザ暴動のシーンで来るんですよね。小説にはないグスクの魂の叫びは、おなじ言葉を一緒に叫びたくなりました。あの台詞は、妻夫木グスクがあの時代の沖縄を生身で生きた証のように感じました。あそこはこっちの魂も震えるほどで大好きです。予告でも繰り返しリピートして見ちゃいました。

妻夫木 いろいろな文献を調べると、コザ暴動では怒りや憎しみが大きくなってしまうのですが、実際に参加されていた方の話を聞くと「怒りだけじゃなかった」とおっしゃる方もいるんです。ある方は、「ゴヤ十字路でめちゃくちゃきれいなカチャーシー(沖縄の伝統的な踊り)を踊ってるおばぁがいて印象に残ってる」とか、「自分にとっては暴動だと思ってないよね」とか。では、なぜああいうことが起こったのか。怒りではなかったなら何なのか? ということは、映画として追及しなきゃいけないと思っていました。

 だから、監督が最終的にオープンセットをやめてスタジオ撮影に移行して、そこで焦点を当てたのは“人”だったんです。通常ならありえないのですが、のべ2000人を超えるエキストラの方、一人ひとりに演出をし始めて。個々で動き出して命が宿っていくんですよ。最終的にはひとつの大河となって群衆が基地に突っ込んでいくのですが、“生命力の塊”のようなものを見せられました。

 最近、大友監督とよく話しているのは、コザ暴動は「俺たちはここに生きてるんだ! 俺たちの場所なんだ!」と存在を証明する“叫び”みたいなことだったのかな、と。僕たちの映画としての答えは、そういうことだったのかもしれないですね。

好書好日の記事から

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