櫻田智也さんの読んできた本たち 「大長編ドラえもん」の伏線回収は、ミステリーの原体験だった(前編)
――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。
櫻田:この連載はいつも最初にその質問があるので、前もって考えてみたんです。それで、児童書の『もりのへなそうる』が、はじめて自分で文字の本を読んだ記憶かなと思って。おそらく幼稚園か小学校1年生の時、推薦図書のカタログみたいなものから選んで買ってもらったんです。今もあるかなと思って調べてみたら、まだ現役で売っていたので買って改めて読んだところ、たしかに僕が好きそうな話でした。5歳と3歳の男の子の兄弟が森に探検に行くところから始まるんですよね。小さな子が行ける場所ですからたぶん近所の森なんでしょうけれど、わざわざ地図を書いたりして。そういう探検とか冒険めいたところに惹かれました。それと、言葉遊びというか、弟が卵のことを「たがも」としか言えないところなんかも面白くて。森で大きな卵を見つけて、次にそこに行ったら卵から生まれたのか怪獣がいて、一緒に遊ぶんです。とても優しい冒険譚でした。僕はあまり物語に心が動く子どもではなかったんですけれど、これは憶えていました。で、今回考えた時にすぐ浮かびました。
――あまり物語に心が動く子どもではなかったのですか。
櫻田:そうなんですよね。物語の面白さにピンとこないタイプの子どもだったんじゃないかと思います。家に「世界童話全集」みたいなものがあったんですが、それを読んでもピンとこなかったですし。
なので小学生の頃は、漫画は別として、あまり本を読んではいませんでした。読書感想文を書かなきゃいけない時も、とにかく薄い本を選んでいたし、読んでも自分が何を感じたかよく分かっていませんでした。
――図鑑などは好きでしたか。
櫻田:家にあったので昆虫図鑑は読んでいました。ただ、そういうものに対しても、今ほどあまり感動がない子どもでした。物語同様、特に心が動かされない、みたいな。
――櫻田さんのデビュー作『サーチライトと誘蛾灯』から始まるシリーズは、昆虫好きの魞沢という青年が主人公ですよね。著者も小さい頃から昆虫が好きだったんだろうと思う読者は多そうですが。
櫻田:虫採りはしていたんですけれど、その虫の体がどうなっているのかとか、どう飼育するかといったことに深く興味を持つタイプではなかったです。あまり探求心がない、ぼーっとした子どもでした(笑)。
――漫画はお好きだったのですか。
櫻田:僕らの世代は子どもの頃に「少年ジャンプ」が流行っていたので、それこそ『キン肉マン』とか『キャプテン翼』とか『北斗の拳』などを読みました。ただ、最初に好きになったのはやはり『ドラえもん』ですね。小学生の頃は藤子・F・不二雄さんがご存命で「コロコロコミック」に描かれていて、僕は「大長編ドラえもん」がすごく好きでした。映画版の『ドラえもん』ですよね。普通の『ドラえもん』の単行本やアニメも好きではあったんですけれどそこまで熱心ではなくて、「大長編ドラえもん」のほうが好きで単行本版も集めていました。
今思うと、「大長編ドラえもん」って、ミステリー的な手法が使われているんですよ。僕が好きなのは『大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険』とか『大長編ドラえもん のび太と竜の騎士』なんですけれど、それがミステリーの原体験というか、張られていた伏線が回収されることに驚くというはじめての体験でした。
――他に映画やヒーローもの、ゲームなどで夢中になったのもの、影響を受けたと思うものはありますか。
櫻田:ゲーム世代なのでもちろんゲームも好きでした。ヒーローものだと、僕は世代じゃないんですけれど、とにかく初代の「仮面ライダー」と「ウルトラマン」が好きでした。初代って渋いんですよね。当時、初代の「仮面ライダー」や「ウルトラマン」はテレビでもうほとんどやっていなかったので、再放送があればかじりついて見ていました。家にビデオデッキが導入されてからは、親にどうしても見たいと言って、レンタルビデオを借りてきてもらったりして。
――初代が渋いというのは、どういうところなんでしょう。
櫻田:あまり子ども向けになっていないというか、ヒーローヒーローしていないヒーローだったんですよね。特に「仮面ライダー」の初代は、主人公が怪人に改造されて自分の人間性を失っているという原作の設定を引きずっていて、暗い部分を背負ったヒーローだったかなと思います。話自体もちょっと容赦がない感じで、そういうところになぜかはまりました。
他も、ヒーローヒーローしているような物語ではないものが好きといえば好きだったかもしれません。祖父母が近くに住んでいたのでよく家に遊びに行っていたんですけれど、テレビのチャンネル権を絶対に譲らない祖父だったんですね。週末に祖父母の家に行くと、野球を見て、その後は洋画劇場みたいなものを見るのが絶対で、僕もつきあって見るんです。それで衝撃を受けた映画が「俺たちに明日はない」。主人公があんな最期を迎える物語にびっくりしたんです。だから、絶対的な正義ではない主人公の物語がちょっと好みだったかもしれないですね。その後もヒーローものは、「いつか主人公負けないかな」と思いながら見ていたんです。劣勢だった主人公がなんかよく分からないうちに逆転して勝っちゃうのが不満でした。「今回こそ主人公負けないかな」って思いながら、ちょっと敵側を応援しながら見ているタイプでした。
――北海道ご出身ですよね。
櫻田:はい。埼玉大学に進学して実家を出ましたけれど、それまで北海道に住んでいて、実家は今も北海道にあります。
――本を貸し合うようなごきょうだいはいらっしゃったのですか。
櫻田:妹がいて、読むものの趣味がすごく合ったんですよ。妹が少女漫画誌の「りぼん」とかを買うようになると僕も一緒に読んでいたし、妹も僕が買った漫画や小説を読んでいました。学生時代以降は離れて暮らしていましたが、推理小説もほぼ同時に似たようなものを読んでいました。
――インドアな子どもでしたか。それとも、アウトドアなタイプでしたか。
櫻田:小さい頃はそれこそ虫を採ったり、自転車で友達と出掛けたりと、外で遊ぶのが好きでした。でもだんだんファミコンとかテレビゲームが出てくると、みんなでうちに集まって遊ぶようになりました。インもアウトもという感じでしたけれど、うちの親がそんなに外に出掛けるタイプではなかったので、なんとなく内側志向ではありました。
子どもの頃の最初の夢が漫画家で、周りもみんな漫画を読んでいたので、家に集まって漫画家ごっこみたいなこともしましたし。
――どんな漫画を描いていたのですか。
櫻田:いやもう真似事です。自分で何かを作るというより、ただ『キン肉マン』や『ゲゲゲの鬼太郎』や『ドラえもん』を真似して描いている感じでした。ストーリーも本当に、味方と敵が出てきて戦ってどっちかが勝つ、というだけのお話でした。それを本の形にして綴じて友達と交換していました。
――あ、ヒーローヒーローしたヒーローを描いていたのですか。
櫻田:ああ、そうですね。勝手なもので、自分が作ったヒーローには愛着があったようです(笑)。漫画家になりたいと言いつつ、どうやったらなれるのかも分からず、漫画家になるために何かをしたわけではなかったです。漫画家入門みたいな本を読んで、ペンとか紙にはいろんな種類があると知っても、田舎でどうやってそれを揃えたらいいかも分からなかったし。だから結局何もせずに終わってしまいました。ただ、僕が漫画を描いていた印象が残っているみたいで、昔の友達には「小説家より漫画家になると思ってた」と言われます。
――学校ではにぎやかな子だったのか、それともおとなしいタイプだったのでしょうか。
櫻田:にぎやかだったんだと思います。よくふざけて先生に怒られていました。
――国語の授業は好きでしたか。
櫻田:国語はとにかく苦手で、テストでも全然点数が取れなかったんですよね。どう勉強したらいいか分からなかったんです。でもあまりに国語の点数が悪くてこれはどうにかしなきゃいけないと思って、中学時代に現代文も古文も教科書をひたすら繰り返して読むようにしたんです。そうしたら点数が上がりました。まあ単純に、何回も教科書を読んでいると、漢字の読みとか穴埋め問題とかは分かるようになりますし。で、国語が得意教科になると同時に文章を読むことにも慣れて、それでちょっと物語を読むことにピンときたところがあって。小説が分かるようになったというよりも、読むことに慣れたというくらいの感覚だったんですけれど。
教科書に載っていたもので、今でも印象に残っている作品もありますね。山川方夫さんの『夏の葬列』はすごく印象に残っています。谷川俊太郎さんの詩の『二十億光年の孤独』も。それらがすごく刺さって、小説や詩って面白いんだなと、なんとなくピンときたのが中学校の頃でした。
――ちなみに、国語の他に好きな科目はありましたか。
櫻田:なんだろう...。小学校の頃からそろばんを習っていたので、計算という意味の算数だけはやたら得意でした。小学校3年生くらいから始めて、中学3年までやっていたので、いっときは趣味兼特技がそろばんみたいなことになっていました。
――暗算がめっちゃ早いってことですか。
櫻田:僕は暗算七段を持っています。昔、消費税が導入された時は、買ったものの金額を合計して消費税まで計算してきっちり払う、みたいなことをやっていました。もう今はそんなことは面倒くさいのでやめましたけれど。
――中学は地元の中学に進まれたのですか。
櫻田:はい。函館の中学校に行っていました。
――文章を読むことに慣れてからは、読書にも変化がありましたか。
櫻田:そうですね。テレビ発ではありますけれど、当時2時間のサスペンスドラマが流行っていて、よく西村京太郎さんのトラベルミステリーを放送していたんですね。それをいつも見ていたところ、祖父母の家に西村京太郎と横溝正史の文庫本が大量にあることに気づいたんですよ。へえと思って西村京太郎さんの文庫本を読み始めたのが、たしか中学時代でした。だから、いちばん最初に読んだ推理小説というと西村京太郎さんだと思います。十津川警部がドラマとは全然違うのでびっくりした記憶があります。ただ、祖父母の家にはトラベルミステリー以前の初期の作品や、左文字進という探偵のシリーズのほうが多くて、僕は最初にそっちのほうにはまりました。タイトルもちょっと格好いいというか。『発信人は死者』とか『血ぞめの試走車』とか。他にも『華麗なる誘拐』とか『ゼロ計画を阻止せよ』といった、今でいうと劇場版「相棒」みたいなスケール感の小説がありました。推理小説としても普通の小説としても面白く読んだのは西村さんが最初じゃないかなと思うんですね。
もちろんトラベルミステリーも結構な冊数を読んで、いまだに僕の中で好きなミステリーというと十津川警部ものが浮かびます。「終着駅」と書いて「ターミナル」と読ませる『終着駅殺人事件』という、寝台特急に乗った同級生たちが一人、また一人と殺されていく話があるんです。僕はその頃、ミステリーというのは犯人が分かってトリックが分かったらおしまい、というふうに思っていたんですけれど、この『終着駅殺人事件』はその先に、なんでこんな事件を起こしたのかという、いわゆる動機の謎があって。そういうタイプのものを読んだのがはじめてで、すごくびっくりしたんです。それがまた切ない動機で、読んだ後にしばし呆然としちゃって。だから西村さんの中で一冊選ぶとすると、この『終着駅殺人事件』になりますね。
西村さんから派生して、内田康夫さんもよく読みました。家の中で回し読みするくらいだったので、たぶん読んだ冊数ではいまだに内田さんがいちばん多いんじゃないかという気がします。ミステリーを読むというより、とにかく浅見光彦見たさに読んでいる感じでした。
――祖父母のおうちにあった横溝正史も読まれたのですか。
櫻田:当時読みましたが、その頃はまだ、横溝の長篇の面白さがよく分からなくて。たぶん、僕が西村京太郎的なものを期待して読んだからだと思います。『本陣殺人事件』や『悪魔が来りて笛を吹く』なんかを読みましたが、あまりピンときませんでした。横溝は短篇集のほうが好きでした。「百日紅の下にて」という短篇がすごく好きでしたね(角川文庫『殺人鬼』などに収録)。横溝は短篇のほうが面白いなという印象は大学時代まで続きました。中学時代に『獄門島』を読んでいたら、また印象が違ったと思うんですけれど。
――ミステリー以外は読みましたか。
櫻田:高校生になってから、清水義範さんをよく読みました。高校に受かったらパソコンを買ってくれと親に言っていて、受かったので富士通のFM TOWNSという機種を買ってもらったんです。それで「Oh!FM TOWNS」などのパソコン雑誌を読むようになったのですが、そのどれかの雑誌に、清水義範さんと弟さんが交代で書くエッセイの連載があったんです。弟さんは作家ではないと思うんですけれど、僕は最初に弟さんのエッセイを読んで、すごく面白いと思って連載を読むようになりました。その後お兄さんの清水義範さんが作家だと知り、この人の書いたものを読んでみたいなと思い『永遠のジャック&ベティ』という短篇集を買って読んだんです。それで僕、はじめて文字を読んで大笑いするという経験をして。もう大好きになって、清水義範さんの小説を買い集めました。
たぶん同じ頃に、中島らもさんの『超老伝-カポエラをする人』を読んだんです。中島らもさんに興味があったというよりは、なぜかその頃、カポエラという格闘技に興味を持ったんですね。カポエラってなんだろうと思っていた時にこのタイトルの本を見つけて手に取って読んだら、これがまた面白くて、清水義範さんに続いて小説で爆笑するという経験をして。それで中島らもさんの本もがーっと買い集めました。当時読んだのはエッセイが主でした。僕の高校時代の読書は、推理小説というよりは、清水義範さんと中島らもさんの本でした。
――中高生時代、部活やバンド活動など、なにか打ち込んだり夢中になったりしたものってありましたか。
櫻田:中学校では、全然素人だったんですけれど剣道部に入りました。なにか部活に入らなきゃいけないけれど毎日はしんどいなと思って、週3しか練習がなかった剣道部にしたんです。僕は勉強でもなんでも、最初は嫌だなと思ってもやり始めると好きになっちゃうタイプなので、下手なりに真剣にやっていました。家に帰ってきたあとも素振りをしたりして。
高校に入ってからは、ずっと音楽をやりたかったんですけれど、ついぞやりませんでした。当時トレンディドラマが流行っていて、「ひとつ屋根の下」というドラマの主題歌が財津和夫さんの「サボテンの花」だったんです。それを聴いてからは財津さんのバンド、チューリップ一筋の音楽人生、みたいな。今でもずっとチューリップが好きです。
それでバンドをやってみたいと思うようになりました。大学に進学して寮に入ると楽器をやってる人たちがいたんですけれど、そういうところで「僕もやりたい」とは言い出せなくて、一人で埼玉の浦和から週一回、銀座の山野楽器に通ってピアノのレッスンを受ける、ということを数年やってました。大学には管弦楽や吹奏楽の人が練習できるように開放された場所があって、そこのピアノが自由に弾けたので、夜な夜な大学に出掛けていっては次のレッスンのための練習をしていました。でもついぞ、バンドというものをやることはなく終わってしまいました。
――チューリップにそこまで惹かれたのは、どうしてだったのでしょう。
櫻田:チューリップの音楽の世界観が、僕がものを書く上の最初の土台になっている気がします。詞がどうとかいうことではなくて、たとえば、大ヒットした「心の旅」は明るいメロディーなんですけれど別れの歌ですし、「青春の影」は哀切なメロディーのバラードだけれど、男女が結ばれる歌だったりする。悲しいものを悲しいまま歌わない、みたいなところがすごく格好いいなと思ったんです。僕はわりと自分の小説でもそれを狙っているというか。つらいものをつらいフォーマットで届けたくない気持ちがあります。悲しいものものを悲しいままで届けたくないから、ちょっとは明るいメロディーにのせたいなっていう。
――ああ、櫻田さんの魞沢のシリーズは、ユーモアを交えながらも最後切なさが迫って来る短篇が多いですよね。
櫻田:財津和夫さんを聴いた時に格好いいなと思ったことを、自分も小説で出せたらいいなという気持ちがあるんです。
――埼玉大学を進学先に選んだのは、どういう動機があったのですか。
櫻田:いちばん大きいのは、いずれ戻るにしても一度は北海道を出てみたかったということですね。親元を離れて暮らしてみたかったし、このまま北海道の大学に進んで就職したら、もう一生北海道から出ないかもしれないなと思って。私立に行けるような経済状況でもないから国公立から選ぶことになるんですが、僕は理系を選択していたのに数学が壊滅的にできなかったんです。算数はできたけれど数学になったとたんにもう何を言っているかが全然分からなくなっちゃって。数学ができないから当然物理はできないんですけれど、生物と化学はできて、で、相変わらず国語だけは抜群にできたんです。生物学がやりたい気持ちがあって、関東のあたりで行けそうな大学を探してみたら、埼玉大学の試験の点数配分が数学と英語が低くて生物と化学が高かったので、ここなら受かるのではないかっていう。そういう理由でした。
――入学してからは寮生活だったのですか。
櫻田:そうなんです。僕は大学院までいたので、6年間学生寮に住んでいました。なのでずっと二人部屋で、二人暮らしでした。
――その頃の男子学生寮というと、毎晩お酒飲んだり麻雀やったりしているイメージが...。
櫻田:まさにそうでした。僕は麻雀ができないので参加しませんでしたけれど、麻雀部屋とされている部屋がありました。各階に学部8年生とかのボスみたいな人がいてフロアごとに特色があって、異界というか、すごい世界でした。
僕も学生寮に馴染み過ぎてしまって、学校に行くより寮にいる時間が長いタイプだったので、本を読む時間はありました。自炊しないから食事はコンビニで買ってばかりで、たしかよく行っていたコンビニに綾辻行人さんの『十角館の殺人』があったんです。僕らの世代はみんな御多分に漏れず読んでいると思うんですけれど、その時僕は綾辻行人という名前も新本格というジャンルも知らなかったんです。なにか推理小説を読みたいなと思っていたらタイトルに「殺人」と入っている本があったので、なんの気なしに手に取って読んでみたら、これがとても面白い。ああ、こういうやり方があるのかと感動しました。その当時綾辻さんの作品は5作目の『時計館の殺人』まで文庫になっていたのかな。そこまで一気に読んで、そこから講談社文庫で法月綸太郎さんの『密閉教室』や法月綸太郎シリーズ、歌野晶午さんの『長い家の殺人』、我孫子武丸さんの『8の殺人』といった講談社文庫を読んでいきました。当時の僕は、単行本とか文庫といったシステムをよく分かっていなくて、新本格はすべて文庫で出ているという認識でした。それで新本格と書かれている講談社文庫を買って読み漁っていきました。
『十角館の殺人』の登場人物はお互いを海外のミステリー作家の名前で呼び合っていますよね。そこでそういう作家がいるんだと知り、じゃあその作家の本を読もうと思って、最初に手に取ったのが、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』でした。それがまた僕にはいたく刺さったというか。面白かったですね。そこから海外の古典にも手を出すようになりました。なので現代ものは講談社文庫、海外の古典は創元推理文庫という二本柱でしばらく読んでいました。
当時の創元推理文庫って、なんか、作品の紹介文の煽り的な文句がなかなか強烈というか、そそってくるんですよ。今思うと多少大げさではないかと思うところもあるんですけれど(笑)、それでどんどん読み進めていっちゃって。ただ、僕はあまのじゃくなので、いきなりメインには行きたくない気持ちがありました。それで『十角館の殺人』に出てくる名前の中でもエラリーとかでなくルルーにいったんだと思います。その流れで、「俺はホームズにいきなり行かずにその周辺から探ってやるんだ」みたいな感じで、チェスタトンのブラウン神父のシリーズを読み始めたんです。当時の創元推理文庫では、「ホームズのライバルたち」みたいな紹介のされ方だったと思います。それでブラウン神父のシリーズを読み、ものすごく好きになって。いまだに海外のミステリーで何が好きからと訊かれたらチェスタトンだと言っています。
――なぜそこまでブラウン神父に惹かれたのでしょうか。
櫻田:まず、ヒーローっぽくないヒーローが好きだったのと同じように、名探偵っぽくない探偵というところです。「どうだ」といわんばかりの謎解きはしないんですよね。罪を暴くことを目的にしているわけではなく、なにかに巻き込まれたとか、たまたまそばで事件が起きたから解いちゃうという、そのさりげなさがすごく面白いなと思いました。
それと、『ブラウン神父の童心』に収録された「青い十字架」なんかが特徴的だと思いますけれど、視点人物は最初、ブラウン神父のことを間抜けでのろまな奴だと思うんですよね。でもブラウン神父が謎解きを終えた時に、視点人物の中に新しい見方が入ってきて、最後に神父に対して敬意を示そうとする。そこに僕はいたく感動しました。謎を暴いた先に、語り手が新たな見方を手にして物語が終わっている、そこに成長みたいなものを感じたし、読者として納得感みたいなものを得られたんですよね。自分もそういうものが書きたいというのは常に思っています。
――その頃、ミステリーを書きたいという気持ちはもう芽生えていたのですか。
櫻田:大学1年2年の頃はなかったと思います。どうやったらこんなことを思いつくのかという驚きでミステリーを読んでいて、自分に思いつくわけがないと感じていました。それでも長くミステリーを読んでいると書きたくなってくるんですよね。音楽を聴いてバンドマンになりたいと思うのと同じで、憧れに近づきたくなるというか。大学の後半、4年の時だったかな、ちょっとチャレンジしました。50枚くらいの短篇を書いて、オール讀物推理小説新人賞に応募したことがあります。それが、はじめて物語を最後まで書いた経験だったと思います。新本格の影響を多分に受けた話で、でもどこかの島に行くわけではなく、街中で起こる事件の話だったんですけれど。叙述トリックみたいな書き方を使った短篇でした。もはやデータも何も残っていないので、僕も記憶がおぼろげですが、名探偵っぽい人間が出てくるんじゃなくて、ちょっとリアリティー寄りのものだった気がします。学生時代は、他には阿刀田高さんのショートショートの賞に何本か送って一回予選通過に名前が載ったくらいです。
――ちなみに大学ではどんなことを専攻されていたのですか。
櫻田:生物学なんですけれど生き物を観察するような研究ではなく、分子生物学といってDNAなどを調べて仕組みを研究する分野を専攻しました。遺伝子がどんなタンパク質を作って、その結果としてどういうことが起きているのか、とかを調べるんです。分子レベルで解析しようとするので分子生物学と呼ばれていると思うんですけれど。
――大学院にも進まれたんですね。
櫻田:はい。結局ものにはなりませんでしたけれど、何か研究職的な仕事に就けたらいいなと思っていたので修士課程で2年追加しました。大学の学部の卒業研究って、4年生の1年間だけではやったかやらないか分からないくらいの実験しかできないんですよね。なので、自分でちゃんとやったと思えるように、修士までいって終わりたいなという気持ちもありました。
――ブラウン神父シリーズ以外に、好きな海外の作家や作品はありましたか。
櫻田:海外ものは「本格」みたいな惹句に惹かれて手に取ることが多くて、そのなかで好きだったのはコリン・デクスターのモース警部シリーズですね。推理小説として面白い部分もありますが、僕はモースというキャラクターに惹かれてどんどん読んでいった感じです。あのシリーズは初期の『ウッドストック行き最終バス』とか『キドリントンから消えた娘』がメインとして語れられていると思うんですけれど、僕はシリーズが進めば進むほど好きになっていって、最終作の『悔恨の日』とそのひとつ前の『死はわが隣人』といった、モース自身の最期に近づいていく話が好きです。
僕は、職業探偵が好きなんですよ。モース警部のような刑事とか、私立探偵のように仕事として捜査・調査している人のことですね。
なので、法月綸太郎さんが紹介していたこともあり、ロス・マクドナルドやチャンドラーの職業探偵もののハードボイルドを読んだりもしました。そのなかですごく好きになったのは、マイクル・Z・リューインが書いている探偵アルバート・サムスンのシリーズ。ロス・マクドナルドなんかをちょこちょこ読んだ後に、他にハードボイルドで面白いものはないのかなと思って最初に読んだのがアルバート・サムスンシリーズの『消えた女』で、それがすごく面白くて。それで遡ってシリーズ第一弾の『A型の女』から読んでいきました。当時もうあまり手に入らなかったので、図書館を使いながら読んだ記憶があります。リューインの作品は『夜勤刑事』などのリーロイ・パウダー警部補のシリーズや、サムスンの恋人の女性が活躍する『そして赤ん坊が落ちる』なんかも読みました。とにかくリューインだったら全部面白い、みたいな。
――アルバート・サムスンは「心優しき探偵」と言われていますよね。決してマッチョな探偵じゃないというか。
櫻田:そうですね。拳銃を向けられて怯えたりとかして。あと、シリーズ後半になると思想的な雰囲気も出てきてサムスン自身のことが心配になるところもあるんですけれど、それも含めてもう全部好きでした。ああ、こういう探偵ものもあるんだな、という感じで。
リューインもデクスターもチャンドラーもそうですけれど、海外のミステリーは、日本のミステリーと違うところがあって、そこが面白かったんです。最近特にそうなってきていますが、日本のミステリーでは伏線の回収がよく言われますよね。読む側も、ここに書かれてあることは本筋とは関係なさそうだけれどきっと伏線で、後半に関係してくるだろうと思いながら読んだりする。でも、海外のミステリーって、「あ、本当に関係なかった」ということがあるんですよ。それがすごいなと思って。枝葉どころか落ち葉みたいなエピソードがふんだんにあるのが面白かったんです。今回の自分の長篇でもそのへんを狙ってみたかったんですけれど、さすがにうまくいきませんでした。
――櫻田さんの新作『失われた貌』は、刑事の日野らが殺人事件の捜査を進めるなか、平行して周辺でさまざまな出来事が起きていく。拝読して確かに、モース警部やウィングフィールドのフロスト警部のシリーズを思い浮かべました。
櫻田:最初は本当に、そのへんを狙ってみようかなと思っていたんです。冒頭近くの、主人公の日野が推論で部下の入江を動かすけれどその推論が間違っていた、という部分はモース警部ものっぽくしたかった名残りですね。ただ、そうやって本筋ではない要素を入れれば入れるほど物語が長くなってしまうし、今の日本の読者にはそんなに好まれないんじゃないかという気がして、どんどん削って筋肉質にはなっていきました。
――なるほど。日野の推論の部分は刑事としての思考が面白かったし、後半の伏線回収にも圧倒されました。ところで、モース警部やサムスンのシリーズを読まれていたということは、創元推理文庫だけでなく、ハヤカワ・ミステリ文庫もいろいろ読まれていたのですね。
櫻田:そうですね。ハヤカワ・ミステリ文庫だと他にはピーター・ラヴゼイとか。最初に『偽のデュー警部』を読んだら面白くて、ピーター・ダイヤモンド警視のシリーズなんかも読みました。ラヴゼイは短篇集がすごく好きでしたね。『煙草屋の密室』や『ミス・オイスター・ブラウンの犯罪』を読み、すごくセンスのある人だなと思いました。
他にハヤカワ・ミステリ文庫だと、これはだいぶ後になりますが、法月綸太郎さんが言及していた記憶があってジョン・スラデックの『見えないグリーン』なんかも読みました。
それと、エラリー・クイーンはだいたいハヤカワ・ミステリ文庫で読みました。というのも、僕はあまりシリーズの順番にこだわって読むタイプではないので、エラリー・クイーンを最初に読んだ時、創元推理文庫から出ているドルリー・レーンもののシリーズ4作目、『レーン最後の事件』を最初に読んじゃったんですよ。
――ああ...。
櫻田:「最後の事件」という力の入ったタイトルだから面白いに違いないと思って『レーン最後の事件』を読んで、あ、これは最初に読んだら駄目なやつだと思って。痛い思いをして、一回エラリー・クイーンから離れちゃったんですね。しばらく時間が経ってから、再入門として薄い本からいくことにして、ハヤカワ・ミステリ文庫で出ている国名シリーズの『チャイナ・オレンジの秘密』を読みました。それが面白かったので、その後はドルリー・レーンシリーズの『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』なり、国名シリーズの『ギリシア棺の謎』なり『エジプト十字架の謎』なりも読みました。『レーン最後の事件』を最初に読まなければ、僕はもっとエラリー・クイーンが好きになったのではないだろうかと思っています。でも、『レーン最後の事件』も読んでなるほどなとは思ったんですよね。日本の作家の作品を読んでいても「これは『最後の事件』をやってるな」と分かってニヤリとすることがありますし。まあ、海外ものはそうした失敗もあって、結局国内ものを読むことが多かった気がします。
――国内ものは講談社文庫が多かったのですか。
櫻田:途中で、講談社ノベルスというものがあるぞと気づいたんですよね。大学の生協に京極夏彦さんの『絡新婦の理』が入荷したんですよ。なんかやたら分厚い本が入荷したなと思って。それが講談社ノベルスで、どうやら新本格の一派ぽいなと思い、例によって順番にこだわらないタイプなので買って読んだらこれは面白い、となって。それで遡ってシリーズ第一弾の『姑獲鳥の夏』から読んで、自分は結構分厚い本も読めるなと思って。
それで、今度は笠井潔さんの『哲学者の密室』を読んだんです。とんでもなく分厚い本があるじゃないかと思い、またシリーズの順番を無視して読んだら面白くて。その後、創元推理文庫で初期の『バイバイ、エンジェル』、『サマー・アポカリプス』、『薔薇の女』が徐々に復刊されたので、それらも読みました。
あとは分厚い本でいうと、誰もが通る『黒死館殺人事件』、『ドグラ・マグラ』、『虚無への供物』、『匣の中の失楽』も、「分厚い本?よこしない」という感じで(笑)、読み漁っていました。
あとは、平石貴樹さん。『笑ってジグソー、殺してパズル』とか、『だれもがポオを愛していた』などが創元推理文庫で復刊されていたので結構読みました。たしか新本格の作家たちが、影響を受けた作品として言及していたからだと思います。笠井さんや平石さんといった、日本の新本格以前の作家さんが書くロジカルな推理小説を経たことで、手がかりのばらまき方とか、ロジックの組み立て方といった古典的な手法みたいなものを知り、そこから海外の古典の手法に対する理解も深まったし、面白さが分かったように感じます。そういう意味で、笠井潔さんの著作は印象深いですね。「なるほど」というところを教えてもらいました。
それから、泡坂妻夫さんと連城三紀彦さん。僕が知った頃はおふたりの初期の作品は手に入りづらくて古本屋で探すことが多かったんですけれど、創元推理文庫に入ったりハルキ文庫で復刊されたりしはじめたんですよね。好きな作家の本を古本でなく定価で買える喜びで買いあさりました。泡坂さんの『亜愛一郎の狼狽』とか『乱れからくり』とか、連城さんの『変調二人羽織』とか『夜よ鼠たちのために』とか。そういった、新本格以前の作家にはまっていきました。
――櫻田さんは以前からよく泡坂さんの「亜愛一郎」のシリーズに言及されていますよね。泡坂さんは作風が幅広いですが、このシリーズがとりわけお好きなのですか。
櫻田:そうですね。『亜愛一郎の狼狽』が泡坂さんの作品で最初に読んだ本で、それまで泡坂さんの名前も「亜愛一郎」というシリーズも知らなかったんですよ。チェスタトンの本を全部読み終わっちゃった時に、なにか他にそれっぽいものがないかなと書店で棚を見ていた時に、『亜愛一郎の狼狽』というタイトルが目に入ったんです。「冒険」とかではなく「狼狽」というタイトルの付け方に、ちょっとブラウン神父っぽいのかな、と思いました。ブラウン神父も、『ブラウン神父の不信』とか『ブラウン神父の醜聞』といった、あまりいい表現ではないタイトルがついているんですよね。それで『亜愛一郎の狼狽』というタイトルの背表紙が見えた時に、創元推理文庫だし、面白いミステリーなのかもしれないなと思って。これが大当たりでした。当時は創元推理文庫で続刊の『亜愛一郎の転倒』と『亜愛一郎の逃亡』はまだ復刊していなかったので、「狼狽」を読んだ後は『乱れからくり』などの他の出版社が出している泡坂さんの作品にいったんですけれど。
『亜愛一郎の狼狽』は本当にショックを受けたというか、なにかとんでもないものを読んだなと思いました。
――それは、探偵役となる亜愛一郎のキャラクターとか、各短篇で亜愛一郎でなく違う人物が視点人物になって展開していくところとかでしょうか。
櫻田:そうなんですよね。ブラウン神父の「青い十字架」で僕が感動したポイントが、亜愛一郎シリーズではもっと明白になっていたんです。視点人物が、最初は亜愛一郎をちょっと馬鹿にしてるんですよね。亜を見て、最初は二枚目だと思うけれど、彼の振る舞いを見ているうちに、どうもこいつはそんな優れた人間じゃないぞ、と思うようになる。話が進んで、最後に亜が推理を披露することで、まあ簡単にいうと視点人物は彼のことを見直すわけですよね。
面白いなと思ったのは、普通は名探偵のところに謎を解くヒントが集まって、それを手がかりに名探偵が謎を解くパターンが多いけれど、亜のシリーズの場合は、亜が知っている情報の他に、語り手しか知らない情報があるんですよね。亜が推理を披露することで、語り手は自分が持っていた情報の意味に気づく。亜は少ない手がかりで1から10まで推理を飛躍させますが、その間を語り手が持っている情報が埋めてくれるんですよ。それで語り手も読者も「ああ、そういうことか」と納得が得られ、亜に対する印象も変わる。そういう語り手の成長みたいなものが、短い話のなかに見えてくるところが構造としてすごく上手で、斬新だと思いました。作り方が見事すぎて、僕も短篇を書く時はそれを目指している感じです。
――亜愛一郎という名前からしてふざける感じだけれど、高度なことをやっているという。泡坂さんはヨギ ガンジーのようなユーモアたっぷりのシリーズでも超絶技巧をやってますよね。
櫻田:そうですよね。あのシリーズも本当にミステリーとしてのクオリティが高くて。僕はもう信者的になっちゃってるんで、泡坂さんについてはもう何を読んでも面白いと感じる体質になっているんですけれど。
――連城三紀彦さんはいかがですか。
櫻田:泡坂さんと同じ「幻影城」という雑誌の出身だということで、連城三紀彦さんも読み始めたんです。こっちはこっちでとんでもないっていう。どの短篇を読んでも、どの長篇を読んでも、もう驚くばかりで。なので泡坂さんと連城さんは僕の中では二大巨頭のようになっています。
古典的な推理小説って、たとえばこの人は几帳面な人間ですとなったら、それが基準になるというか。簡単に言うと、パズルとして、「几帳面なあの人がこんなことをしたはずはない」とか「几帳面な人間だからこうするはずだ」みたいなステレオタイプに基づいた推理があると思うんです。でも連城さんは、人間の多面性というのをすごく上手く推理に使うんですよね。泡坂さんは逆に極端な志向しか持たない人間を作ってミステリーの材料にしているところがある。このおふたりは、それぞれベクトルは違うけれど、古典的なミステリーのパズルの中での人間の描き方をもう一歩発展させたと思いますね。人間の考え方をパズルに使うのであればこういうふうにしなきゃ駄目でしょう、みたいなふたつのパターンを見せてもらったような気がします。
そういう意味で、連城さんは文学的かなと思います。宮本輝さんとかを読むと連城さんと近いなと思うんですよね。宮本さんも、人の多面性というか、ころころものの考え方が変わっていく様子を描いて、それが人間でしょう? みたいな感じで物語を転がしていくところがある。そこに謎解きというものを加えたのが、連城さんの作品のような感じもしていて。
――宮本輝さんもよく読まれたのですか。
櫻田:若い頃に読んだ時はあまりピンとこなかったんです。まあ当時は何にもピンとこない子どもだったんですけれど。ただある時、たぶんもう社会人になっていたと思いますけれど、帰省したら実家に宮本さんの『蛍川』があって。「蛍川」と「泥の川」の2編が収録されていました。帰りになにか読むものがないかなと思ったら妹の書棚にあったので、ちょっと拝借したんです。薄い本だというのが選んだ理由だったんですけれど、薄いからもう一度読んでみるかと思って、読んだらすごく腑に落ちて。
その後、『錦繍』とか『幻の光』といった初期のものから、『優駿』のような大長編まで、一時期宮本さんの作品をすごく読みました。特に『優駿』はそうだったんですけれど、宮本さんの作品って、さっき言ったような人間の多面性とか、考えの脆さみたいなものが描かれているんですよね。若い頃の自分は、考えがころころ変わるところに「なんじゃこりゃ」と思ったと思うんです。でも大人になってから読むと、「分かるぞ」と。「人間ってそういうもんだろう」と。人の多面性を受け入れねばならないよね、みたいな考えになっていたので、それが響いたんです。
僕は短篇の新人賞を受賞してから、単行本が出るまでに4年くらいかかっているんです。その間、なかなかうまいものが書けなかった。ミステリーとしてのアイデアも弱いけれど物語としても弱いところをどう作ったらいいのか考えていた時に、わりと読み返していたのが宮本輝さんなんです。読むと自分が書けていないからこそ、宮本さんの書けている部分がよく見えてくる。「物語を書くってこういうことか」みたいなものが自分の中に入ってきたんです。なので自分が今の書き方のスタイルになる上で、宮本輝さんは大きい存在だったのかなと思ったりもします。
――自分では書けていない部分というのは、具体的にどういう部分ですか。
櫻田:ものすごく基本的なところです。たとえば、語り手の感情をストレートな表現で書いちゃおしまいだよ、というのは当然ですけれど、じゃあどう伝えたらいいの? みたいな部分ですね。何かに託す書き方というか、つまりは描写ってことなんですけれど、そういう部分がとても参考になりました。