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「運命の男たち」書評 沈黙から取り出した「生」の輝き

評者: 藤井光 / 朝⽇新聞掲載:2025年10月04日
運命の男たち 著者:ナディーファ・モハメッド 出版社:早川書房 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784152104434
発売⽇: 2025/07/16
サイズ: 13.1×18.8cm/384p

「運命の男たち」 [著]ナディーファ・モハメッド

 1952年、国王ジョージ6世が死去した直後の、イギリス南西部カーディフの港町で、事件は起こる。小さな商店を切り盛りするユダヤ人女性が、喉(のど)を切られて殺害され、現金を奪われたのだ。容疑者として逮捕されたのは、町で暮らすソマリ人のマハムード・マタン。本人は犯行を否定するが、裁判は容赦なく進行していく。
 埋め立てで造成された地盤のすぐ下は液状という、港町の不安定さは、そのまま登場人物たちの生活条件でもある。遺族は第2次世界大戦の傷痕を生々しく記憶しており、しばしば反ユダヤ感情にさらされる。一方、故郷ソマリアから各地を旅してきたマハムードも、カーディフでは人種差別から逃れられない。それぞれの人生に、歴史的そして地理的な奥行きを見いだす語りからは、ささやかな未来への希望や、時代の制約のなかで諦めるほかなかった夢が見えてくる。
 カーディフでのマハムードは、品行方正ではない。行動に矛盾があり、噓(うそ)をつき、衝動に任せてささいな盗みをすることもある。そうした人物像をもって、殺人犯だとみなすべきなのか。マハムードの行動や発言を、どう判断すべきか。警察も報道メディアと同じく、読者もまた、状況や細部の描写から、どのような事件の「ストーリー」を見いだすべきかという問いを突きつけられる。
 歴史ドラマや犯罪サスペンスの要素を借りつつ、社会の片隅に追いやられた者がそれでも守ろうとする尊厳を、小説は浮き彫りにしていく。マハムードは五つの言語を話すことができたが、英語というひとつの言語でしか人間性を測られることはなかった。そこで見失われたものは何か、消えてしまった声とはいかなるものなのか。歴史の沈黙から、ささやかな生の輝きを取り出してみせるこの美しい小説は、うまく語れない他者を前にして想像力をいかに働かせるべきか、私たちに問いかけている。
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Nadifa Mohamed 1981年、東アフリカ・ソマリランド生まれの作家。4歳で英国に移住。本作はブッカー賞の最終候補。