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ウィル・エルスワース=ジョーンズ「失われたバンクシー」 人間の欲深さ示すエピソード満載

図版は英ケント州ハーンベイの空き家になっていた農家の窓に描かれた作品。集合住宅建設のため解体された ©Ashley Ovenden

 実にたくさんの登場人物が出てくる。バンクシーに作品を勝手に描かれた建物の所有者。所有者の無知につけ込んで安く買う者。所有権を主張する行政。アクリルガラスで保護する住民。壁やドアを丸ごと盗む人。作品に上書きして台無しにするライバルたち。本書は様々な理由で現場から「失われた」バンクシーの作品を紹介する。各作品の写真の横にはショートショートさながらのエピソードがついている。人間の欲深さのオンパレードでめっぽう面白い。読んでいると笑ってしまう。

 これは奇妙なことである。バンクシーが描くのは、もっぱら悲劇的な現実だからだ。貧困、戦争、理不尽なこの世の中を、持ち前の英国風刺精神で遠慮なく、世界のあちこちのストリートに(無断で)描いてきた。しかし高額で取引される彼の絵の周囲に群がる人々は、喜劇の国の住人のように映る。この写真のように解体直前の建物にわざと描いても、目ざとく見つける者がいる。描かれている少年(と猫)はいずれ市場に出回るだろうと著者は予測する。

 著者はバンクシーに関するルポルタージュで知られるジャーナリスト。彼自身、作品を「所有」する誘惑に駆られもする、平凡な登場人物の1人である。決してアーティストに忖度(そんたく)しないその視線がいい。バンクシーの作品は消えても、写真の中、そして著者によるウィットに富んだ描写の中に残る。芸術は常に、神出鬼没であると読者は知る。=朝日新聞2025年10月4日掲載