日々使っている言葉に関するメモが溜(た)まっていたので、今回少しまとめて書きます。
●「よだれ鶏」はハイコンテクスト過ぎないだろうか?
すっかり日本人に定着した、茹(ゆ)でた鶏肉に辛いタレをつけて食べる「よだれ鶏」なのだが、最初に感じた違和感をわたしは引きずっている。高熱か何かで地面によだれを垂らしてトサカを真っ赤にして苦しんでいるニワトリのことばかり考えてしまうのだが、実態は、中国のえらい文学者さんが「思い出すだけでよだれが出てくる」ぐらいうまいから「よだれ鶏」だという。複雑な背景だ。ハイコンテクストとは、話される言葉そのものだけでなく、文化的背景や関係性なども加味した文脈のことで、京都の「ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」がその代表だ。ぶぶ漬けほどではないが、よだれ鶏も難しい。料理自体と名前の間に一人挟んでいる。それも「ステラおばさん」みたいな作り手ではなく「感想を言う人」がいる。難しい。「麻薬卵」も似てるけれども、個人の感想ではないので料理の実物と名前までの距離がまだ短い。
●「懺悔(ざんげ)」の「懺」は入れる
「懺」の真ん中の「非」の下を「一」で塞ぐことで出来ている部分には、入れそうな感じがする。入ってひたすら過去の軽率な行動などを悔いる。周りのややこしい部分は、入ろうとする者を威圧する豪華な飾りだ。「懺」が漢字というより入り口なのは「懺」を使った言葉が「懺悔」ぐらいしかないことからもわかる。「懺」は暗い。でも居心地はわりといい。
●知力の限界のパンダ
せめて仕事を楽しくしようと、TODOメモの隅に動物の顔を描くようになった。動物からは大きな吹き出しを出して、日にちとタスク、仕事の注意点などを書く。ある日、パンダが、タスクの後に「知力の限界を感じる」と言っていた。二十年やっている仕事に、自分は最近そんなことを感じているらしい。=朝日新聞2025年10月15日掲載