真夜中の首都、別世界に浸る 青来有一
東京の夜にしてはいつになく静かで、街のざわめきも感じなければクルマの騒音もまったく聞こえてきません。喉(のど)がかわいてめざめ、なかば夢うつつのまま、月の光なのかとぼんやり考えながら、遮光カーテンのすきまからもれてくる光をしばらくながめていました。
頭がようやくはっきりしてきて、腕時計を見たら3時22分。重い身体をベッドからひきはがして起き上がり、厚い遮光カーテンをめ 東京の夜にしてはいつになく静かで、街のざわめきも感じなければクルマの騒音もまったく聞こえてきません。喉(のど)がかわいてめざめ、なかば夢うつつのまま、月の光なのかとぼんやり考えながら、遮光カーテンのすきまからもれてくる光をしばらくながめていました。
頭がようやくはっきりしてきて、腕時計を見たら3時22分。重い身体をベッドからひきはがして起き上がり、厚い遮光カーテンをめくってみました。
道路の向かい側にそびえる高いオフィスビルが視界をおおい、月どころか、空も見えません。真夜中に働く人もいないのでしょう、びっしりとならんだガラス窓に光はなく、無表情な黒い鏡面のようでした。
ホテルの6階の部屋のすぐ下は日比谷通りです。慶応大学の煉瓦(れんが)造りの東門の前を通り、東京タワーを間近に見ながら、芝公園、増上寺の前を通り、やがて日比谷公園から皇居へといたる、大きなカーブのない、ほぼまっすぐな一本道でした。
夜明け前の時間、人の姿もクルマの往来もすっかり途絶えており、白っぽく霞(かすみ)がかったような道路をまたいで架けられた歩道橋が、窓のすぐ下に見えました。踊り場のないまっすぐな階段が、両側にコの字に取り付けられた、なんの変哲もない歩道橋です。
文字は読めませんが、橋げたには交通標識が取り付けられ、欄干も手すりも、細い竹細工に見える柵も、全体として白っぽく塗られています。
橋げたの両端には防犯灯が立っており、その光と街路灯の光に照らされ、だれも渡る人もいない歩道橋だけが、ぽつんと夜に浮かび上がっているのでした。
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真夜中、スポットライトに照らされたステージのような歩道橋と、それを見つめている自分だけがこの世界に存在しているといった妙な孤独感と、それでいて充たされている神秘の感覚に心がゆれたのはその時です。
大きな宇宙の片すみで、ほんの一瞬、明滅する微小ないのちにすぎない、自分がここにいることをふしぎに感じたのです。星空をながめていて時々感じる茫漠(ぼうばく)とした感じといったらわかるでしょうか。
高校生の夏休みの課題だったと思いますが、夜、友だちと3人で高台の公園まで続く、長い階段を上り、三脚にカメラを設置して、北極星の方向にレンズを向けて、天球を回る星の軌跡を撮影したことがありました。
どのような機材を使ってどう撮影したのか、カメラに詳しい友だちにまかせきりだったのでよく覚えてはいませんが、1時間とか2時間とか、シャッターを開放したまま夜空をながめていたと思います。流れ星もたまに目撃し、あの時もなんども宇宙の無限の広がりに心がゆれるような感じになりました。
石垣島の海辺の宿で、寄せては返す波音と壁に貼りついたヤモリの鳴き声を聞いていた夜にも、地の果てにいるような一抹の寂しさとともにそんな感じにとらわれたことがあります。
おそらく多くの人々が同じような瞬間の経験があるのではないかと思います。子どもの頃、もっと頻繁にそのような神秘感にゆれていた気がしますが、年齢を重ねるにつれて、心はごわごわとした鱗(うろこ)のようなものにおおわれるらしくめったに感じなくなりました。
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翌朝、旅行カバンを手にして、ホテルの玄関近くの歩道橋を上りました。空は夏の青空。強い陽射しが階段に濃い影を投げかけます。クルマの往来は激しく、大きなダンプカーが地響きをたてて通過していきました。
歩道橋を渡って、反対側の階段を下りはじめた時、高いビルの間には赤と白に塗られた二台の巨大なクレーンが突き出しているのが見えました。昨日の夜、遮光カーテンのすきまからのぞき見た街はここではなかったのではないか、ちらりとそんなことも考えたのでした。=朝日新聞2025年8月11日掲載