本書は初めての出産経験を綴(つづ)ったエッセイである。著者が「オニ」と呼ぶ息子を出産したのは2012年。文庫版は2017年に出版された。なぜかくも読者の心を摑(つか)み続けるのか。
私は著者と同じ年に出産したのだが、本書を開くと、すっかり忘れていたはずの、赤ちゃんのほわほわとした匂いが蘇(よみがえ)った。
物語は妊娠検査薬の陽性反応から幕を開ける。ほどなく始まるつわり。著者は無痛分娩(ぶんべん)を選ぶが、小説家なら痛みを経験すべきだといったおせっかいも向けられる。「女の一生ありがとう」的な発想にはほとほと疲れる、という著者の言葉に膝(ひざ)を打つ。
著者は、人間最大の痛みという指の切断をも上回る出産の痛みに怯(おび)えつつも、食欲は衰えない。モスバーガーを思いっきり食べようとした矢先、陣痛は突然やってくる。思いがけず帝王切開に。そして、世界がゆがむほどの痛みと眠気の中、夜な夜な赤ちゃんに授乳し続ける壮絶な日々が始まった。
あまりに女性に偏りがちな子育て負担に、なぜ男たちは自分事として感じられないのだろう、と著者は切実な疑問を抱く。それでも小さな「オニ」を胸に抱くと「ほんとうにしあわせだ」と心の底から思うのだ。
出産は十人十色だが、同じ道をも通る。本書は私にとって切ない記憶が詰まったタイムカプセル。妊娠中、産後ならママ友と語り合う共感を覚えるだろう。育児は女の天性でしょという輩(やから)には、一個の人間が次々と降りかかる試練と格闘して親になる過程をまざまざと描いてみせる。
本書は鋭い感性とウィットに富んだ母親戦記であり、小さな命を死に物狂いでケアする女性たちへのエールでもある。売れているのは、多くの読者がそのエールをしかと受け取ってきたからに違いない。
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文春文庫・792円。17年5月刊。14年7月の単行本刊行から累計27刷13万6千部。「出産・子育て世代の読者がSNSに投稿した感想がたびたびバズった。パートナーや友人、家族に薦める方も多い」と担当者。=朝日新聞2025年11月8日掲載