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「ヤバい保険の経済学」書評 米国にみる強制加入が必要な訳

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2025年11月15日
ヤバい保険の経済学――〈選択問題〉で、なぜいつもコケてしまうのか? 著者:リラン・エイナヴ 出版社:みすず書房 ジャンル:世界経済

ISBN: 9784622097853
発売⽇: 2025/09/18
サイズ: 19.4×2cm/272p

「ヤバい保険の経済学」[著]L・エイナヴ、A・フィンケルスタイン、R・フィスマン

 いやはや呆気(あっけ)に取られてしまった。米国の大学で教える著者たちは、保険における逆選択の問題だけで一冊の本を書いてしまったのだから。逆選択とは、医療保険で言えば、不健康な者ばかりが保険に加入することで採算が取れなくなってしまう現象を指す。本書ではまず、保険がいかにこの逆選択の問題から逃れられないかということを示す例が列挙される。
 保険会社が医療保険の逆選択に対処する究極的な方法には、遺伝情報等に基づいて購入者ごとに保険料を設定するといったことが考えられる。だが、この方法はプライバシーや公正性の壁にぶつかる。保険販売において、極めて私的な情報による差別が許されてよいのかと。そこで保険会社は、購入者に健康リスクを自ら明かさせるような仕組みで健康な者を囲い込もうとする。スポーツジムを利用できる特典もその一つだ。しかし、それでも逆選択は完全には解消されないという。かくして保険会社と購入者のいたちごっこが繰り返されることになる。
 結局、逆選択を本質的に解決するには、政府が強制加入させるしかない。つまり、皆保険だ。だが、保障内容はどうするのか。加入をどう義務付けるのかといった問題もあり、強制加入も一筋縄にはゆかない。皆保険の達成には健康な者への補助こそが重要になるとの主張は、一見すると逆説的だが興味深い。
 ところで、著者たちはどうしてこの本を書こうと思ったのだろうか。実は、国民に医療保険の加入を義務付けたオバマケアの合憲性に関して、連邦最高裁判事の一人は、「政府が国民に医療保険を強制的に買わせられるなら、国民にブロッコリーを強制的に買わせることもできるのではないか」と述べたという。そう、著者たちはこの無理解に対して静かに怒っているのだ。
 本書は、皆保険に慣れ切って、それを当然だと思っている日本人にこそ、含蓄に富む内容だ。
    ◇
Liran Einav 米スタンフォード大教授▽Amy Finkelstein 米MIT教授▽Ray Fisman 米ボストン大教授。