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「人びとの社会戦争」 高揚する「空気」が国家を導く先 朝日新聞書評から

評者: 酒井啓子 / 朝⽇新聞掲載:2025年11月22日
人びとの社会戦争──日本はなぜ戦争への道を歩んだのか 著者:益田 肇 出版社:岩波書店 ジャンル:歴史

ISBN: 9784000245623
発売⽇: 2025/09/08
サイズ: 5×21cm/662p

「人びとの社会戦争」 [著]益田肇

 居心地が悪い。読んでいて、気持ちがざわざわする。それは本書が読者に、太平洋戦争の責任を突き付けるからだ。普通の人びとに、戦争は軍部や「上層部」の横暴のせいだとして、安全な地に逃げ込むことを許さないからだ。
 太平洋戦争とそれに先立つ時代、総動員体制と統制強化のなかで、人々は圧政にあえぐ無力な犠牲者だった……。こうした見方に真っ向から異議を申し立てるのが、本書である。政府も軍も、ぎりぎりまで戦争回避を模索した。だが開戦を後押ししたのは「世間」であり、妥協したら「内乱」が起きるのではとの「世情」への不安だった。
 著者はいう。日本社会は、個人主義や多様性の開花を享受し、ときに「エロ・グロ」までに発展する「解放の時代」と、それをよく思わない、「あるべき姿」の喪失を嘆き「らしさ」(日本らしさや男・女らしさ)と「一体感」の回復を求める社会保守運動とが、繰り返し戦いを繰り広げてきた。それが本書の言う「社会戦争」で、政府・軍による国家間戦争と並行して、人びとは社会戦争を戦ってきたのだという。
 草の根社会保守を求める人びとにとって、戦時下の引き締め、八紘一宇(はっこういちう)や大政翼賛会に見られる差異や対立の否定は、国家から押し付けられたのではなく、彼らが「社会戦争」に勝利し「一体感」を確立するための格好の機会だったのだ。人びとにとって戦争は、帝国領土拡張のためでも「興亜の大業」のためでもなく、あくまでも「統一ある秩序と調和を回復すること」、つまり「らしさ」を取り戻すための道具だった。世論が南進論に傾斜したとき、南とは何を、どこを意味するのか明確ではないまま、「勇ましい発言」が行き交ったという。
 読んでいて気持ちが最もざわつくのが、この高揚する「空気」に今も直面しているという事実だ。『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の再々ブームを挙げ、30年周期の「引締めの時代」が2020年代にあたると指摘する。「今」を強く意識しつつ、著者は「何が争われているのかを私たち自身が見つめなおすこと」の必要性を強調する。あとがきの日付に著者の危機意識が透けて見える。
 最後に、少しばかり欲を。普通の人びとの普通の社会意識が、政治や軍までをも突き動かす「空気」を作り上げるなかで、思想家や知識人と呼ばれる人々、さらにメディアは、どういう役割を果たしたのだろう。「空気」を増幅させるのか、鎮静させるのか、あるいは国家との橋渡しをするのか。そういう仕事を生業にする以上、気になる。
    ◇
ますだ・はじむ 1975年生まれ。シンガポール国立大准教授(日本近現代史、20世紀アジア史、アメリカ外交史)。『人びとのなかの冷戦世界』で大佛次郎論壇賞、毎日出版文化賞を受賞。