捕り損ねた白球の行方 青来有一
眼(め)の前に脇道からふいに白いものが飛び出し、はっとした時には歩道から国道に横切っていきました。
ボールがひとつ、路面電車の軌道敷がある片側2車線の国道を転がっていきます。野球帽をかぶり、グローブをつけた小学生の男子ふたりが、脇道から駆け出してきて、ボールの行方を目で追い、反対側の歩道の縁石に止まるのを見ていました。
クルマの往来がなくてよかったのですが、下手をしたら事故をまねきかねません。「危ないよ」と注意しようとしたら、「やっぱり、こっち向きはアブナイ」と2人はすでに反省しているらしく、横断歩道の方に軽快に走っていきました。
彼らが走り出してきた脇道をのぞくと、いわゆる旗竿(はたざお)地なのでしょう、奥の方で横に広がっているらしく、2階建ての店舗兼住宅といった建物の玄関が半分ほど見えました。
ビルのすきまのその脇道は、奥の家の庭と一体で整備され、縦張りの板塀で囲われて、夕暮れのオレンジ色の光に照らされていたせいか、ちょっとなつかしい下町の路地の雰囲気も漂っていました。
ボールを投げては捕るという単純なくりかえしは、人と人のコミュニケーションや対話のたとえとしてよく使われます。
スローボールではなくキャッチボールというのは、投げるより捕ることにそれとなく注意が向いているのでしょうか。対話もコミュニケーションもしっかりと受けとめるのは思いのほか難しいかもしれません。
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昭和の時代、特に巨人軍が9連覇をした昭和40年代、男子小学生の人気のスポーツは野球でした。長崎では土曜日の夕方6時からテレビアニメの「巨人の星」が放映され、架空のエピソードですが、長嶋選手や王選手も登場し、毎週、楽しみに見ていました。
夏みかんほどの大きさのソフトボールを使い、三角ベースで野球のまねごとをし、路地でよくキャッチボールをしたのも、その影響だったでしょう。
夕方6時30分に「巨人の星」が終わると、近所に住む野球好きの友だちは「キャッチボール、しよっ!」とグローブとソフトボールを持って、誘いにきます。夏の長崎の夕暮れは遅く、白いボールを見失うことはありませんでした。
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細い腕で山なりの投球のキャッチボールをしていると、大人たちも姿を現し、おもしろ半分に見物し、グローブは右手で押さえて捕れとか、ゴロは腰を落としてとか、あれこれうるさいぐらい教えてくれます。
野球部の中学生も加わり、小学生に強肩をいばりたいのか、手加減もなく力をこめて投げてきます。子ども用のグローブでは手のひらが痛いぐらいの球威でしたが、「へっぴり腰」でもなんとかずしりと重いボールを受け止めるとなんだか誇らしい。大人たちは背後に立ち、「もいっちょ!」とけしかけ、ボールを捕りそこねた時にはちゃんと走って止めてくれました。
それでもサンダル履きにステテコ姿の、いくらか酔いもまじった、すきだらけの大人たちの股の下をボールがすりぬけることがあります。
路地から転がりでて、川沿いの狭い車道を横切り、浦上川の支流というか、大きな排水溝にボールが落ちたらもう拾うことはできません。ボールは浅い流れをゆっくり転がり、やがて浦上川に流れこみ、ぷかぷかと浮き沈みして消えていきます。
ボールをあきらめられない友だちは、川岸の鉄の柵に手足をからめ「ちゃんと捕ってくれんけん」とぐずぐずと嘆き続け、気がつけば宵闇に包まれ、空に星も現れ、大人たちはナイター中継を見るため家にひっこみ、路地にはもうだれもいません。
手すりにへばりついた友だちを放ったまま帰るわけにもいかず、なんだか泣きたい気分で暗い川下をながめ、「ちゃんと捕ってくれんけん」とつぶやくばかりでした。=朝日新聞2025年7月12日掲載