- 『ボヴァリー夫人』 フローベール著 太田浩一訳 光文社古典新訳文庫 1870円
- 『やりなおし世界文学』 津村記久子著 新潮文庫 935円
- 『遊びの詩』 谷川俊太郎編 ちくま文庫 880円
世界中の状況がリアルタイムで手に入る現在において、海外文学と日本文学の差異は、用いられている言語の違い以外に何処(どこ)にあるだろうか。人間の欲望や願望は古今東西を問わず、常に定まるところなく混沌(こんとん)としている。世界文学、と構えることなく名作を手にすることによって、時代や場所を違(たが)えれど変わらない、人間の本質に触れることができるだろう。
文学史上において有名な「ボヴァリー夫人は私だ」の言葉で知られる(1)は、近代フランス文学を代表する作品である。姦通(かんつう)や借金といった、人間の業がこれでもかと展開されるなかにおいて、言葉によって人間の感情の機微を掬(すく)い上げる文学の役割と使命を知る。数々の名訳で知られるこの作品を、今回新たに訳した太田浩一は、現代の私たちにとってより自然な日本語であるよう注力していると考える。
(2)は世界文学の名著を案内するガイドブック的な一冊。全九十二作が、芥川賞作家・津村記久子による快活な文によって紹介されている。(2)を読了後、(1)に触れることによって、世界文学における近代フランス文学史といった相対的な視点をも得られるだろう。実作者による、物語を構成する視点からの解釈も愉(たの)しい。
(3)は、現代詩の大家による、遊びの詩を主題としたアンソロジー。とかく難解と言われる現代詩ではあるが、本書は、肩の力を抜いて読むことができる。詩とは、いや、文学の本質とは、言葉は遊ぶ、言葉を遊ぶ、ことにあるのではないかと思わせる一冊となっている。=朝日新聞2025年12月20日掲載