迷いの春、行きつ戻りつ… 青来有一
公園の梅の枝に白い花が三つ、四つと咲いたのが、3月の半ばでした。倉庫の陰で日当たりが悪かったせいか、花が咲くのが遅いようでした。それでもいったん花がほころぶと、まもなく枝が白く見えるほどたくさん咲き、春に一気に向かうと思ったら寒がもどってきました。
梅の枝の花を白いものがかすめ、路面で勢いよくはねていたのは、霰(あられ)ではなくて雹(ひょう)だったそうです。九州北部はそれほどではありませんでしたが、関東では雪が積もり、都心でも滑らないように歩く人々の姿がニュースに映しだされました。
その数日後、梅の枝には花が残っていましたが、公園の桜の褐色の枝についた堅く閉じたたくさんの蕾(つぼみ)に色があるのを発見しました。ちょっと不格好なカメノテを思わせる茶色っぽい蕾の集まりの、それぞれの先端が割れ、すでに色づいたピンクの花びらの一部がのぞいているのです。
*
今年の春はためらうように行きつ戻りつしながら訪れました。毎年のことながら、新年度になって、入学、入社、進級、進学とあわただしく、遠くの街に引っ越したり、昇進で職場環境が急に変わったりした人々も多いでしょう。
期待と希望と不安が交錯しながらも気分は高揚し、風の爽やかな感触も、明るく暖かな日の光も心地よいのですが、春のこの陽気な騒々しさ、世の中の明るい気分が苦手という人たちも少なからず知っています。
人間の心がそうそう季節の移り変わりに歩調を合わせられるわけでもなく、明るさも楽しさもストレスになることもあります。希望の学校に進学できなかったとか、就職が思うようにならなかったといった現実の壁にぶつかった人々もいるでしょう。自分にもその経験はあり、焦りながら途方に暮れて青空を仰いでいた春がありました。
大学を卒業し、就職しそこね、そもそも自分がなにをしたいのかわからないで迎えた春の記憶です。悶々(もんもん)と悩みながら、思いがけず20カ月も、その状態で過ごして、2度、迷いの春を迎えたのでした。
朝、起きて行くところがないのがつらいことだとわかり(今はなんだか、それがうれしいのですが)、家でぼんやりと過ごしていると、髪と爪がよく伸びることも知りました。4月1日の新聞の特集のページに、笑顔がならんだ新社会人紹介の記事を見た瞬間、新聞をそっと閉じた記憶があります。
自分がなにをしたいのか、そもそもそれがわかりません。今、思うとこれをやるのだと「えいっ!」と決めればよかったのでしょうが、それができないまま迷いに迷いがもつれた状態だったのでしょう。
未来はまっすぐな直線の向こうにではなく、まがったりねじれたり、くねくねとした軌跡をたどった先にあるとは想像できませんでした。
人生、最短距離ばかりを行こうとしても難しく、迷いも楽しむぐらいの気持ちで、行きつ戻りつしていいのじゃないか、と考えられるようになったのは最近のことです。
*
店先にならんだ野菜や果物の色が急にカラフルに感じるのもこの季節です。今は露地ものだけでなく、ハウス栽培の果物や野菜も多く、一年中、いろんなものが売られていて「旬」が薄れていますが、やはり、果物も野菜も春は内から輝きがにじみでている感じがします。
そんな春の店先にビニールシートが敷かれ、ごろりと大きな薪が数本並んでいました。乾燥させた木に菌を打ちこみ育てる原木シイタケです。
春と秋が収穫の季節で、ささくれだった黒っぽい樹皮に、大きな厚みのある茶褐色のシイタケがちょっとグロテスクと感じるぐらい、びっしり生え、その存在感に圧倒されながら、丸々一本、そのまま買って持ち帰りたいと迷いました。こんな春の姿というか、春の景色もまたあるのです。=朝日新聞2025年4月7日掲載