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秀吉と秀長 時代のありよう、映し出す「鏡」 佐藤雄基

大阪・豊国神社にある豊臣秀吉像=大阪市中央区、2020年撮影

 今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、豊臣秀吉の弟秀長である。私にとって豊臣兄弟のイメージは、1996年の大河ドラマ「秀吉」が今なお強烈だ。竹中直人が「心配御無用!」の決め台詞(ぜりふ)とともにエネルギッシュに演じた秀吉。その傍らで実直な補佐役を務めた、高嶋政伸演じる秀長。私はこのコンビの名演に魅了された。

 「貧しい農民の子として生まれ、己の才覚一つで天下人にまで上りつめる」という秀吉の立身出世物語は、日本人に最も広く流布した歴史像の一つといえるだろう。だが実は、秀吉の生い立ちは今なお多くの謎に包まれている。

天下人の出自は

 この謎めいた秀吉の出自について、社会史の観点から大胆な議論を提起したのが服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社・3080円)であった。秀吉は子どもの頃に乞食(こじき)や針売りの行商をするなど、その生い立ちは中世の非農業民・被差別民の世界と隣り合わせだったと主張し、大きな話題を呼んだ。秀吉は被差別民の世界との繫(つな)がりを背景に頭角を現したと論じた。ところが、天下人となった秀吉は、かつての出自を塗り替えるかのように被差別民を弾圧していく。

 一方で、近年の戦国史研究は、当時の政治社会の具体像をより緻密(ちみつ)に描き直し続けてきた。黒田基樹『羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで』(角川選書・2024円)は、今回の大河ドラマで時代考証を務める著者による最先端の成果である。黒田氏は秀吉の家族関連の史料を網羅的に検討し、秀吉は父の死で一時的に貧困化したが、本来は上層百姓の出身であったと推定する。

補佐だけでなく

 実は秀吉以上によく分からないのが秀長である。河内将芳(かわうちまさよし)『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥〈えびすこうしょう〉出版・2200円)は歴史に詳しくない人でも読みやすく、大河の入門書に最適である。とともに、兄弟の母大政所(おおまんどころ)の存在に光をあて、単なる補佐役にとどまらず、天下人秀吉の後継候補となった新たな秀長像を示す。

 黒田氏が兄弟の出自とする上層百姓は、村を飛び出して大名の家来となり、社会を流動化させ、戦国の動乱の原動力となった階層である。これに対して、藤木久志氏が名著『刀狩り 武器を封印した民衆』(岩波新書・1166円)で説いたように、豊臣政権は刀狩令によって身分規制を図り、平和を実現した。中世から近世への転換を、非農業民・被差別民の世界から照らし出すのか、村の百姓に見出(みいだ)すのか。秀吉の出自論争は、中近世移行期をめぐる歴史像にもつながっている。だが、いずれにせよ、天下人として自らの出自を否定しなければならなかった秀吉の抱えた矛盾に、私は思いを馳(は)せざるを得ないのである。

 秀吉の前半生の謎は、後世の想像力を激しく喚起してきた。堀新・井上泰至編『秀吉の虚像と実像』(笠間書院・3080円)は、よく知られる秀吉関連のトピックをめぐって、歴史学者が実像編、文学研究者が虚像編を担当するユニークな構成をとる。歴史研究者は実像に力点を置きがちだが、虚像自体も後世の人々が生み出した歴史の産物である。私たちが馴染(なじ)んできた物語がその虚像の歴史のどこに位置するのか、本書から見取り図を得られるだろう。

 結局のところ、実像が「よく分からない」からこそ、人々は秀吉という存在にさまざまな願いを読み込んできた。それゆえに秀吉像は、その時々の研究状況や社会情勢を反映しやすい。いわば秀吉像とは、それぞれの時代のありようを映し出す「鏡」である。秀吉の弟秀長に焦点を当てた今回の大河が、令和の現代にどのような秀吉像を描くのか。歴史の深淵(しんえん)と人々の想像力が織りなす新たな物語を、私は楽しみに待ちたい。=朝日新聞2026年1月24日掲載