1. HOME
  2. コラム
  3. 信と疑のあいだ
  4. 寄り添う人々の姿に尊さ 青来有一

寄り添う人々の姿に尊さ 青来有一

イラスト・竹田明日香

 今から36、7年前、昭和の時代の終わり近くの夏の夕方のことでした。長崎港から北に向かって走る路面電車の座席に、ひたすら眠りこんでいた家族の姿がありました。

 若い父親と母親のあいだに幼い子どもふたりが座り、4人がとけあうように眠っています。子どもたちは麦わら帽子をかぶっていたと思いますが、男の子か女の子かもはっきりしません。父親らしき男性は、たぶん、Tシャツにサンダルのラフな格好、母親も薄手のすその長いワンピースといった姿だった気がしますが、これも記憶というよりイメージ、あまりに遠い日のことでぼんやりとした印象でしかありません。

 長崎港からフェリーで近隣の離島に海水浴に出かける人々も多かったので、海水浴の帰りだろうと思ったことは覚えています。時を忘れて遊び、家族4人ぐったりと疲れ果て、家に帰りつく前に無防備に眠りこみ、いっしょに楽しい夢を見ている、そんな想像をしました。

 今もあのひたすら眠っている、ほほえましい家族の印象は残り、夏になるとなつかしい風景として思い浮かべています。

     *

 平成も終わりに近づいた7、8年前のことです。高齢の夫婦らしいふたりが寄り添う姿を近所でよく見ました。同じ生活圏で暮らしているらしく、何度か出会ったのでわりとよく覚えています。

 ふたりとも70代後半から80代のはじめといった年齢だったでしょう。ショッピングセンターの玄関前の広場、商店街の色とりどりの野菜がならんだ店の陳列棚の前、横断歩道の銀色の信号機の支柱のかたわらといった、街角のなんでもない場所に寄り添ってふたりはたたずんでいました。

 男性は頭頂部が薄く、長いまばらな白髪にジャケットといった格好で、うつむいて革靴の先あたりを見つめています。最初に出会った時、なにかを探しているのかと思い、男性の視線をたどって、彼の足もとに目を向けるとゆっくり足踏みをしています。

 一歩踏み出そうとしながら、どうしても足が前に出ない、そんなもどかしさを感じているようでもありました。自分では気がつきませんでしたが、好奇心から無遠慮な視線を向けていたのでしょう、そのうちに寄り添ってたたずんでいる女性の険しい視線に気がつきました。

 女性は普段着とちょっと趣の違った、どこか礼服のような黒っぽい上品な身なりで、夫に付き添って見守るというか、夫を守るためにかたわらで警戒しているといった感じです。

 彼のその場所へのこだわりというのか、なにか執着がほどけるのをじっと待っているらしく、他人にはうかがい知ることができない事情があったのでしょう。あれこれ推測するのも不躾(ぶしつけ)になるかもしれません。

 今はもう会うことはありませんが、彼らがたたずんでいた場所を通るとき、やはり、そこにいたふたりを思い浮かべています。あれも晩年を迎えた家族の寄り添う姿だったのかもしれません。

     *

 名前も知らない、なんの交流もない、ただすれちがっただけの人々が心に残るのはなぜなのか、そんなことをあれこれ考えます。家族をはじめとして、身を寄せ合って生きている人々の姿には胸をうつなにかがあるのでしょう。

 もしも、人間ひとりひとりが完全で強力な存在であったなら、寄り添う必要もなく、孤高のまま生きていけるでしょう。人間は無力な存在だから寄り添い、家族や社会もそこから始まるようにも思えます。寄り添う人々の姿に尊ささえ感じるのは、本来の人と人の関係が見えるからかもしれません。

 あのひとびとの姿がよみがえってくる時、街角の風景がちょっと変わって見えてきます。=朝日新聞2024年9月2日掲載