家族のかたち 心を配り合う、一瞬があれば 都甲幸治〈朝日新聞文芸時評26年7月〉
果たして血がつながっていなければ家族ではないのか。給料が安くて結婚できない。結婚はしたが、子どもを持つ余裕がない。必死に働いているうちに時は過ぎ去り、気づけば親は年老いている。両親に子どもは二人が当たり前、みたいな時代はすでに終わって、僕らは皆、遅かれ早かれ一人ぼっちになるしかない。
もはや、家族の定義を組み替える必要があるのではないか。かつてフロイトが語ったように、僕らは師弟関係や友人関係、あるいは恋愛関係の中で、家族的な感情を繰り返し体験している。ならばもうそろそろ、こうした関係を「本当の」家族だと言い張ってもいいのではないか。
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相川英輔「丸洗い」(「文芸」秋号)の主人公はずっと非正規で働いてきた。だが、どの職場でもやがて人間関係が息苦しくなる。ようやく彼がたどり着いたのが、個人経営のコインランドリーの仕事だ。仕事内容は良さそうだったが、一つ奇妙な条件がある。経営者である孤独な老人の息子、謙治になってくれ、というのだ。
実の父親には認められず、友人もいない。ならばいっそ謙治になってやろうと決意した主人公は、老人の家の謙治の部屋で暮らし始める。ややボケ始めているらしい老人の話から謙治の過去を抜き出して記憶し、五十年かけて培った老人の経営やメンテナンスの技を素早く身につけた主人公は、短期間で「本当の」謙治になりおおせる。不思議なことに、出入りの業者も、あるいは以前から謙治を慕っていたらしい常連の若者も、誰一人、主人公が謙治とすり替わっていることに気づかない。
それでは、怠け者であるがゆえに、老人の後継ぎになれなかった息子はどこへ行ったのか。実は主人公は二号店の倉庫の扉を決して開けてはいけない、と老人にきつく言われていた。ならば、殺された息子の遺体がそこに隠されているのか。だが、主人公はただ「禁止というなら守るだけだ」と無関心だ。
ピストルが出てくれば弾は発射されなければならない、というのがミステリーの基本なら、鍵のかかったこの扉は、いつかこじ開けられなければならない。だが結局最後まで閉じられたままだ。実は扉の向こうには何もないのではないか。そして同様に、本当の家族関係など存在しないのではないか。むしろ偶然出会った他人同士が心を配り助け合う。そこに一瞬、家族が立ち上がる。本作はそう主張しているように思える。
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仁科斂(れん)『丹心/まごころ』(新潮社)の表題作で、幻想の家族関係は国境を越える。中国・寧波の郊外にある、建設途中で放棄された集合住宅を美術館に作り変えるというプロジェクトを、教授の鹿野川が依頼されるところから物語は始まる。建築家としての夢が叶(かな)った、と鹿野川ははしゃぐが、教え子のレンはそんな気にはなれない。中国育ちで中国語も堪能な彼は、彼らが「安く利用できる人材を海の向こうに求めてきている」だけだとわかっているのだ。
けれどもそのことはレンのやる気のなさを意味しない。むしろ並々ならぬ熱意で、事実上のリーダーであるミスQの家族に食い込む。あるいは、金は払ったものの建物が完成せず、行き場を失い集合住宅を不法占拠している人々と親しくなり、飯を食い冗談を言い合う仲になる。彼のおかげで、この放棄された建物は一瞬、友愛のコミューンと化すのだ。
それにしても、なぜレンはここまで頑張るのか。彼は鹿野川についてこう考える。「育成や育児に逃げずに、まだまだ現役でいてほしいと思う」。これは濃厚な師弟愛なのか。あるいは無意識の同性愛なのか。いずれにせよ、彼の「丹心」は縦横に広がり人を巻き込む。
サマンサ・ハントの短篇(たんぺん)「ストーリー・オブ」(『ダーク・ダーク』所収、壁谷さくら訳、白水社)で主人公のノーマは突然、もう一人の自分と出会う。いくら夫婦でがんばっても妊娠できない彼女は、精神的にとてつもなく追い込まれる。そんなある日、浮浪者のような見知らぬ女が家を訪ねてくる。聞けば彼女の名前もノーマで、最近になって存在が判明した夫の妹であるらしい。おそらく薬物中毒者である彼女は妊娠していて、兄に金を無心するためにやってきたとわかる。どうして真面目に生きてきた自分には子どもが与えられず、このノーマは子を宿すことができるのか。その答えはない。ただ二人は互いを家族として受け入れるだけだ。(翻訳家・米文学者)=朝日新聞2026年7月31日掲載