1. HOME
  2. コラム
  3. 信と疑のあいだ
  4. 日常、僕の前に未踏の山 青来有一

日常、僕の前に未踏の山 青来有一

イラスト・竹田明日香

 どこから手をつけたらいいのかわからないで行き詰まる、そんな経験はだれにもあるのではないかと思います。

 山の頂上は見えていながら登るルートがわからない、あるいは前人未到の山でルートそのものを自分でつくりだしていかなければならない、そんな状況を思い浮かべたらイメージしやすいかもしれません。

 高村光太郎の『道程』の精神、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という、その凜(りん)とした気魄(きはく)は尊いのですが、世の中の取り組みの多くは先人がつくった道を知っていれば効率的に解決もできるはずです。長い時間をかけて学ぶのもそのためで、常に創造的であるのは難儀なことです。

 とはいっても、日々の暮らしのいたるところに小さな未踏の山は出現します。超えなければいけないのにどう辿(たど)ったらいいのかわからないで立ちすくむ、些末(さまつ)なことを含めたら、毎日、そのような事態に直面しているのではないかと思います。

     ◇

 この春、ある本の解説を頼まれ、まとまった量の文章を書くことになりました。自分として以前からその作者もよく知っていて、その本を巡る様々な反響も理解しているつもりで、気楽に引き受けましたが、さあ、書こうとすると書けない。全集をめくり、図書館から関連の解説本も借りて傍らに積み上げ、国会図書館から古い文献の複写を取り寄せもしましたが、密集した枝葉や蔦(つた)や葛がまとわりついて藪(やぶ)で身動きができないような状況に陥り、うーんと唸(うな)って机に長くへばりついていました。夜は眠れないし、顔は青ざめ、それこそ遭難状態です。

 締め切りまでいよいよ残り少なくなり、なんとか最初の一文を書いたら後の文章はするするとでてきて、危ういところで脱したのでした。

     ◇

 19年間、ひとり暮らしをしていた日々を思い出しました。外食は費用がかかり、栄養も偏るので自炊していたのですが、食事の準備は自分ひとりでも、毎日続くとなるとじわじわと重荷になってきます。

 今夜、なにを食べるか、頭が真っ白になってなにも思い浮かばない日もありました。今ならインターネットで検索したりもできるでしょうが、携帯電話も普及する前で、仕事帰りのバスでなにを食べるか、けっこう深刻に思い悩んでいる自分に気づいて苦笑しました。

 そんな時は市場やスーパーマーケットに飛び込み、あれこれ食材をながめていたら、手短で簡単にできるメニューが思い浮かぶのでした。

 0から1の飛躍が難しい。よく、そう感じます。1を数えたら2、3、4……と自然に続きますが、解決の糸口となる1がなかなか見いだせません。

 数学史では「0の発見」が大きな飛躍ですが、日々の暮らしは、実は小さな「1の発見」の連続ではないかとも思います。0と1の間の深淵(しんえん)をひょいと飛び越え、暮らしの中に出現する未踏の山々を登ったり、降りたりしているのが、私たちの日常のようです。=朝日新聞2026年5月28日掲載