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「鶏まみれ」 見たくないけど見たい肉の光景 朝日新聞書評から 

評者: 吉川トリコ / 朝⽇新聞掲載:2026年07月04日
鶏まみれ 著者:繁延 あづさ 出版社:亜紀書房 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784750519098
発売⽇: 2026/04/03
サイズ: 18.8×3.5cm/440p

「鶏まみれ」 [著]繁延あづさ

 リストラで職を失った夫の「養鶏しようかな」という一言から本書は幕を開ける。猟師と山に入り、殺した獣が肉になる姿を見つめてきた写真家の著者は、養鶏で役目を終えた親鶏たちをいずれは自分の手で捌(さば)いて販売したいと考え、資格を得るために食鳥処理場で働きはじめる。本書はその数年間に及ぶ記録である。
 以前、小説の取材で食鳥処理場を訪れた。鶏を捌く様子が見られるものだと期待していたのだが、きれいに清掃された場内にはすでに鶏の一羽も見あたらず、足を踏み入れてすぐ、むっとした臭気が押し寄せた。その瞬間、怖気(おじけ)で身がすくみ、見られなくてよかったと内心ほっとしたことをおぼえている。
 あのとき、見たかったけど見たくなかった光景が、本書には克明に記されている。機械に吊(つ)るされ、次々に流れてくる無数の鶏の首を切り、血を抜き、腹を開き、内臓を引きずりだす。ページを繰るごとに、血や脂や糞(ふん)や体液や内臓、そのぬめり、あたたかさ、においまで押し寄せてくるようだ。
 食鳥処理場での仕事を「すごい仕事だ」と著者はくりかえし何度も書く。こんなにもすごい仕事なのに低賃金で、高齢者や障害者や外国人など「社会的に弱い立場にある人たち」に押しつけられていることや、多くの人の目に触れられないように「穢(けが)れ」として扱われ、隠されていることに疑問を抱く。
 読みながら、「すごい本だ」とくりかえし何度も思った。すごいものを書いてやろうという気負いも色気も感じさせないところがなによりすごい。まっすぐできよらかで力強い。それはそのまま、著者が見つめてきた同僚たちの姿に重なる。
 日々口にしている肉がどこからやってくるのか――だれが殺して肉にしているのか、これまで見えないようにされてきたから考えないでいられたことを突きつけられ、正直なところ言葉が出てこない。こんな圧倒的な「体験」を前にしたら、どんな言葉も空虚に響く気がする。けれど、知ることができてよかったと思う。もっと知りたいし、もっと見たいと思う。
〝それは本当に見たくないものなのだろうか?〟
 本書に掲載された写真は、絶えずこちらに問いかけてくる。なかには「ふつうに」生活していたら目にすることのないような、ぎょっとする写真も含まれている。一枚一枚にじっと見入っているうちに、なにかを取り戻していくような感覚があった。それがなんであるかは、私にはまだわからない。
    ◇
しげのぶ・あづさ 1977年生まれ。写真家。著書に『山と獣と肉と皮』『ニワトリと卵と、息子の思春期』など。出産の撮影をライフワークとし「助産雑誌」の表紙と巻頭連載を担当。2011年から長崎在住。