生きるとは変身し続けること 山崎怜奈
人の気持ちがわからなくなるときがある。いや、正確には、自分の気持ちすらわからなくなるときがある。細かいところまで推し量る余裕がなくなり、疲れも怒りも悲しみも、ひとまず脇へ置いてしまう。いざ向き合おうとすると朧(おぼろ)げな記憶で頼りにならず、虚(むな)しい。忙しさに追われて文字通り心を亡くしてしまい、何を感じていたのかさえ、うまく言葉にできないのだ。
東畑開人『心はどこへ消えた?』(文春文庫・858円)は、そんな見えにくくなった心のありかを考える本である。私たちは「心を大切に」と言いながら、実際には効率や成果、わかりやすい説明を求められる社会に生きている。けれど心は、いつも明快な形で現れるわけではない。自分でも扱いに困る感情や、すぐには名づけられない苦しさの中にこそ、手がかりはあるのかもしれない。
本書は、心を個人の内面だけに閉じ込めず、人との関係や社会の空気の中で捉え直そうとする。カウンセリングの場面を通して専門的な問いを扱いながら、読後に残るのは難解さではなく、「自分の分からなさを、急いで処理しなくてもよい」という静かな余白である。
ただし、心を見つめる時間は、日常の中でそう簡単には確保できない。生活は待ってくれない。仕事があり、家族があり、恋愛があり、将来への不安がある。理屈がわかっても、生きることはそんなに簡単じゃないからだ。山本文緒『自転しながら公転する』(新潮文庫・1100円)の主人公もまた、その複数の引力の中で揺れ続ける。
どれも特別な事件ではないかもしれないが、だからこそ切実。三十代前半、自分の人生を自分で選びたいと思う一方で、誰かを放っておくこともできない。恋人を愛しているのか、将来を託してよい相手なのか。親を大切にしたい気持ちと、自由を奪われたくない気持ち。その間で揺れる姿は、どこか身に覚えがある。
何よりも本書のタイトルが、この小説の核をよく表している。人は自分軸で生きているつもりでも、同時に社会のための役割を担っている。自分だけで完結することはできず、かといって誰かのためだけに生きることもできない。その不器用な均衡を、日常の会話や小さな違和感の積み重ねによって描いていく。大きな答えを差し出すのではなく、答えの出ない時間そのものを読ませる小説である。
そして、他者との関係がもっとも濃く、予測不能な形で始まる出来事の一つが、子どもを持つことだろう。川上未映子『きみは赤ちゃん』(文春文庫・858円)は、妊娠、出産、育児をめぐる体験を、笑いも痛みも含めて書き残したエッセイである。
ここにあるのは、整えられた「母になる物語」ではない。身体が変わっていく戸惑い、出産の痛み、眠れない日々、圧倒的な責任感。母になれば自然に分かる、という美しい予定調和はない。むしろわからないことばかりのまま、一日が始まり、終わっていく。
赤ちゃんは、こちらの都合を待ってくれない。泣く。眠らない。食べる。出す。大人が整えてきた時間や理屈を、あっさり覆してしまう。その徹底した他者性の中で、書き手自身の心も変化していく。自分の身体が自分だけのものではなくなる感覚。これまで知らなかった不安や愛情が突然あふれてくる瞬間。川上の筆は、その混乱をきれいにまとめすぎない。だからこそ、そこに生身の時間が残る。
人生は手本なしの応用のみ。人との関係の中で揺れ、傷つき、時に支えられながら、形を変えていく。生きるとは、変身し続けることだ。三冊を読み終えても、自分の心がすっきりわかるわけではない。だが、わからなさを抱えたまま生きるための言葉は、きっと少し増えている。=朝日新聞2026年7月25日掲載
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やまざき・れな タレント・文筆家 97年生まれ。著書に『すべては果てしない賭け』など。
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