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「証言・北朝鮮帰国者 祖国に渡った『在日』はどう生きたか」執筆責任者・石丸次郎さんに聞く 「地上の楽園」に送った過ち

「証言・北朝鮮帰国者 祖国に渡った『在日』はどう生きたか」を仲間と出版した石丸次郎さん。取材に応じてくれた元帰国者の写真の前で

 戦後、「地上の楽園」と喧伝(けんでん)されていた北朝鮮へ、日本に暮らしていた朝鮮半島出身者ら9万3340人が片道切符で渡った。「帰国者」などと呼ばれるこうした人々はその後、どう生きたのか――。当事者50人の証言を丹念に集めた「証言・北朝鮮帰国者 祖国に渡った『在日』はどう生きたか」(集英社新書)が出版された。調査・執筆責任者でジャーナリストの石丸次郎さんは、日本社会は帰国者に「二つの責任」を負う、という。

 「帰国事業」は、日本と北朝鮮の両政府の了解のもと、両国赤十字の合意によって1959年から84年にかけて行われた。当時、北朝鮮政府や朝鮮総連は、社会主義の北朝鮮では「教育も医療も無料」だと喧伝し、メディアもそうしたイメージを報じていた。だが、閉ざされた国に渡った「帰国者」たちが本当はどう暮らしたのか、実態は長くわかっていなかった。

 本書は、日本から北朝鮮に「帰国」した後に、北朝鮮から逃げて韓国や日本に渡った「脱北帰国者」の証言を集めたものだ。聞き取りを行ったのは、石丸さんがジャーナリストや人権活動家の仲間と立ち上げた「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」。8年以上をかけ、寄付を募りながら、証言してくれる人を探し、長時間の聞き取り調査を行ってきた。

 帰国した当時の記憶を持つ高齢者を優先しながら、できるだけ幅広い地域に暮らした人を探し、50人全員に同じ質問を準備した。

 「騙(だま)されたと思いました」「しまった。ここまでひどいのか」――。ほぼ全員が記憶していたのが、帰国船が北朝鮮の清津(チョンジン)港に到着したとたんに、楽園とはほど遠い貧しさに驚いた「清津ショック」だ。北朝鮮での生活が始まると、帰国者は「資本主義の水を飲んだ」「成分の良くない」者として見下された。日本から持ち帰った荷物の量や、日本にいる家族からの支援の度合いなどによって暮らしぶりには大きな差が生じた。だが、ほぼ全員が「帰国してよかったと思う人は一人もいないと思う」と断言した。

 石丸さんは取材を通じて、日本社会は帰国者に対して二つの責任を負うと考えるようになったという。

 一つは、日本社会の中にあった差別だ。当時、在日朝鮮人は公共機関への就職は認められず、民間企業に入るのも難しかった。国民健康保険にも加入できず、日本では将来がないと考えて北朝鮮へ渡った人が多かった。

 もう一つは、日本社会が帰国を後押ししたこと。政党も自民党から共産党まで帰国事業を支持したが、その背景には、貧しかった在日朝鮮人を治安や財政の負担だとする風潮があった。また、社会主義を支持する左派の中には、現地の事情を知らなかったにもかかわらず、「自分たちの主義主張に合わせて喜ばしいことだと決めつけて、帰ることを推進した」人もいた。

 本書には、歴史研究者の寺尾五郎が訪朝した際の体験を礼賛調でつづった「38度線の北」を読んで、北朝鮮行きを決めたという人が何人も登場する。朝日新聞を含む大手メディアも、記者が訪朝するルポで「復興のテンポがきわめて早い」などと、好意的な記事を掲載してきた。

 後書きで石丸さんは、自分ももし当時に記者だったら「帰国を慶事として、背中を押すような記事を書いたに違いない」とした上で、「私たちは、皆で大失敗した」と明記した。

 「50人の証言を聞くと、失敗以外の結論は出ない。我々は何をどう間違ったのか。検証しなければ、また外国人政策などで、同じ過ちを繰り返すことになる。検証の第一歩として、失敗だったということを文字として刻みたかった」と言う。(守真弓)=朝日新聞2026年8月5日掲載