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長谷川まりるさん「ぼくのシェフ」インタビュー 料理の天才と秀才、異なる「普通」を生きる2人の少年を描く

料理の天賦の才を持つ少年

――今作『ぼくのシェフ』はいつ頃に生まれた物語ですか?

『ぼくのシェフ』はデビュー前に書いた物語なんです。翻訳家の金原瑞人さんの創作ゼミに通っていたときで、金原さんにはじめて「よく書けている」と褒めてもらった作品です。で、「よく書けているから、もう一回、見ないで冒頭から最後まで書き直してごらん」と言われて。「えっ!? スパルタ!」と思いながら必死で全ページを三人称に変えて書き直したことがあります。「次、どんなエピソードだったっけ……?」とちらっと薄目で見ながら(笑)。

――物語は、立場が違う2人の少年が出会うところからはじまります。有名な料理人の息子シャールと、貧民街で暮らしながら料理の天賦(てんぷ)の才を持つアズレ。2人のうち、どちらの人物のイメージから物語が広がっていったのですか?

 アズレです。ある料理人の映画を見ていたとき、料理人一家のレストランが火事になり、炎の中で人が逃げ惑うシーンがありました。そのシーンを見てふっと私の頭の中に浮かんだのが、みんなが「逃げろ!」と言っているときに、鍋の前でスープの番をしている10代の子の姿。「お前、早く逃げろよ!」と急かされるけど「いや、スープが焦げちゃう」と言って、炎の中でもずっと鍋を見ている男の子が頭の中に浮かんで。それがアズレの原型です。そんなふうに、料理に狂気のあるキャラクターがいたらおもしろいだろうな、と。「料理の天才を描こう」と思いました。

『ぼくのシェフ』(くもん出版)より

架空の国と「マリーの田舎料理」

――どんな料理を描こうと?

「何料理にしようか」と考えたとき、「そういえば、前にお母さんがケベック料理の本を出版しているから、その本のレシピを使わせてもらおう」と思いつきました。

 私の母はカナダのケベック州生まれ。フランス系のカナダ人です。21歳のときに日本に留学し、父と出会っています。料理上手だったこともあって、父と一緒に八ヶ岳連峰の西麓の村に移住し、ケベック料理のレストランを開きました。父と母はのちに別れましたが、当時母が書いたレシピ本『マリーのケベック田舎料理』(雄鶏社)の中には、母がふだんから作り、私も食べたことのある料理がたくさん載っています。

1994年に刊行された『マリーのケベック田舎料理』(雄鶏社、現在は品切れ)。自然豊かな八ヶ岳の麓で撮影された美しい料理がレシピとともに多数掲載されている=大和田佳世 撮影

 母に「本の中のレシピを使ってもいい?」と聞いて了承をもらい、ケベック人らしい名前を教えてもらって、その中から物語の登場人物の名前を決めていきました。

 時代は『赤毛のアン』の頃くらい。カナダに馬車や新聞があり、場所によっては鉄道も走っている19世紀後半頃のイメージです。ただ、死の匂いがして食事をとれなくなり、ほぼ必ず死に至るという「食死病」は完全にフィクションなので、「カナダのような、どこか架空の国」を舞台としたファンタジーだと思ってもらえればと思います。

――シャールとアズレを見守る大人の料理人や、給仕長といったレストランに集う人々も魅力的です。書いていて楽しかったキャラクターはいますか。

 デザートを作るのが得意なシェフのキリアンです。女性シェフのイネスのことが好きで、よく軽口を叩くけどいつもあしらわれていて。お調子者のキャラ、好きなんです。

――西村ツチカさんの挿絵が、物語をさらに魅力的にしています。

 何気ない絵がいいですよね。アズレの妹のポリンが、ぬいぐるみを抱えているカットが可愛くて大好きです。アズレがシャールの家に住むようになった朝、珍しく2人が話しているところのカットも好き。カバーを外した本体の表にポリンが、裏にアズレとシャール2人が印刷されているのもお気に入りです。

――巻末には料理のレシピが掲載されています。

 シャールがはじめてアズレとポリンの家で料理したときの「ナツメのスクエズ」や、アズレがレストランで作る「ピースープ」など、母の本の中から日本人の口に合うようにアレンジしたレシピを収録しています。どれもレシピ自体は比較的簡単で、誰でも作れるものばかりなんですよ。「赤いチキン」も調味料に漬け込んで煮込むだけで簡単にできて美味しいです。

『ぼくのシェフ』(くもん出版)より

食べられなくなる「食死病」

――きっかけはある慈善団体の活動。偶然、アズレの料理の才能に気づいた少年シャールは、貧民街に通って料理を教えるようになりますが、それは唐突に終わってしまいます。その2年後、15歳で父さんのレストランを継ぐことになったシャールが久しぶりにアズレを訪ね、レストランに雇おうとします……。2人の少年の葛藤も気になりますが、何よりも物語に影を落とすのは、「食死病」という食べられなくなる病気の存在です。この病気の設定は、どのように生まれたのですか。

 20歳くらいの頃から、プロになることを目的とした創作同人会に参加して作品を書いてきました。アルバイトで映画館やレストランなどさまざまな職種を経験していますが、その中の一つに葬儀関係の派遣の仕事があって。大きな葬儀会社にはさまざまな部署があり、その中に花屋さんもあります。私は花屋に配属されることが多く、よく祭壇用の花を作る手伝いをしていました。そのとき「このホウキを倉庫にしまってきてね」と頼まれて片付けに行くと、ご遺体を清めた布などが袋の口を締めた状態で置いてあることがあって。それがちょっと甘いような、なかなか嗅ぐことに慣れない、強い匂いなんです。

 葬儀会社の研修中、「人間が決して慣れることのできない匂いがあります。それは死の匂いです」と言われたことが心に残っていて、趣旨としてはその慣れない匂いの中でもきちんと対応していきましょうということだったと思うんですけど、「じゃあ、ご飯からもしも死の匂いがすると感じたら、ご飯を食べることはできなくなってしまうだろうなあ」と思いました。そのアルバイト経験や、そのときに思ったことが結びついて、本書の設定が生まれたのだと思います。

どうしてもわかりあえないという生きづらさ

――不治の病が蔓延する閉塞感に加え、レストランの跡取りを運命づけられたシャールと、貧困ゆえか痩せて表情に乏しいアズレ。2人それぞれの生きづらさも描かれます。

 悩みとか生きづらさと言っても、シャールにはとりあえず生命の危険はないわけで、シャールの悩みは、しょせんお坊ちゃんの悩みだとアズレには思われているかもしれませんね。シャールは自分を恵まれていると考えず、「普通」だと思っているから。でもアズレにとっては、生命の危険がある貧困と常に隣り合わせなのが「普通」の状態。アズレは「なぜそれが理解できないんだ」ともどかしいんですよね。

 同時に、秀才と天才、どちらも悪くないけれど、どうしてもわかりあえないという、2人のすれ違いの生きづらさがあるのではと思います。

――シャールの店が高級レストランであり、自分の金銭感覚では信じられない高価な料理を提供していると知ったアズレは、狂気を思わせるような行動に……。

 シャールとアズレは何度も衝突します。2人がわかりあえることは多分ないと思うんですよね。でも少年の周りの大人たちは、みんな責任感があって、自然な形で彼らのそばにいますね。2人の生きづらさの直接的な解決策にはならないけど、女性シェフのイネスも、お調子者のキリアンも、古株のトリスタンも、いい人です。でも、2人の違和感は積み上がっていって、引き返せなくなるところまで行く。それがどうなるかは、最後まで読んでもらえたらと思います。

『ぼくのシェフ』(くもん出版)より

作家への道

――子どもの頃はどんな物語を読んでいましたか。

 私はハリー・ポッター世代です。小学5年生のとき「ハリー・ポッター」シリーズの1巻と2巻が出て、クラスのほぼ全員がハリー・ポッターを読んでいた頃です。高校生になったらさすがに皆ファンタジーを読まなくなってきましたが、私は図書館に並んでいた表紙のカラフルな海外YAを見つけて、「トラベリング・パンツ」や「メディエータ」(ともに理論社)といったシリーズ作品を片っ端から借りて読んでいました。

――自分で物語を書こうと思ったのは?

 ちっちゃいときはマンガを描いていました。姉たちが描くのを見て、楽しそうだなと思って描くようになったのですが、年が離れた姉たちの方がどうやっても絵が上手。それよりうまく描けないんですよね。私の方が本を読むのが好きだったので、文章なら姉たちに負けずに、うまく書けるかもしれないと思ったのもきっかけだったかもしれません。

 家では、母も姉もあまり本を読まなかったので、文字ばかりの本を貪るように読んでいると「オタクみたい」と言われて。だんだん日常の現実逃避のような感じでファンタジーを書くようになりましたが、小説を書くなんて恥ずかしいことだと思い、誰にも知られないように隠れて書いていました。というのも、母がクリスチャンで、聖書でだめだと書かれていることは「だめ」と言われることが多かったから。魔術が出てくる本もマンガも禁じられていました。だから創作の原点には、「怒り」があるかもしれないです。宗教は人を幸せにするためのもののはずなのに、なぜ禁止が多いのかと、成長につれ反発心が大きくなって。その頃から、私の創作のテーマは一貫して「自分の頭で考えること」だったと思います。

――作家を目指すきっかけは?

 とにかくただ自分が書きたいから、ルーズリーフにびっしり横書きの手書きで書いて、分厚いバインダーに綴じていましたが、作家になろうなんて思ったこともありませんでした。高校生のとき、速読が得意な友人がいて、彼女ならいいかな……とドキドキしながらカラオケボックスで読んでもらったことがあります。読み終えた彼女から「(思ったよりも、話の内容が)暗くてびっくりした」と言われました。私はダンス部で活動する明るい高校生だったから、驚いたんだろうなと思います。

 いつか自費出版をしようと、進学先には自分で本をデザインをできるようにとデザイン科を選び、アルバイトしてお金を貯めていました。卒業し、一人暮らしをはじめた20歳頃、実家に帰ったら、テーブルの上に珍しく新しいハードカバーの本があって。「これどうしたの?」と母に聞くと、姉の幼馴染のお母さんが書いた本だったんです。児童文学作家のにしがきようこさんの本だったんですが、近所の女性が本を書いているなんて全然知らなくて。読んですぐ会いに行きました。自分のことを言い出せずにもじもじしていたら「あなたも書いているの?」と聞かれ、「書いています」と。そこで「今度読ませて」と言ってもらって、はじめてちゃんと作品を読んでもらいました。

 にしがきさんがファンタジーやSFを書いている人たちの創作同人会を紹介してくださり、濱野京子さんをはじめいろんな方に出会いました。作家を目指す参加者も多く「そうか、物語を書いて作家を目指すことは恥ずかしいことじゃないんだ」とカルチャーショックを受けて、「それなら、私も作家を目指したい」と思いました。

 最年少だったから、はじめはみんな優しかったけれど、2カ月に一度の合評会に定期的に参加するようになると、手厳しい意見になってきて。批判的な指摘ばかりだったのが、自分でも足りないところが見えて細かい工夫を重ねるうちに、だんだん褒め言葉が増えてきました。ちょうど同じ頃、自分なりの試行錯誤が壁につきあたった気がして伸び悩みを感じていました。金原瑞人さんの創作ゼミに誘ってもらい、大学生たちと作品を読み合っていると、また改善点がわかり、腕が上がってきたと感じた頃、賞に出すようになりました。『お絵かき禁止の国』が講談社児童文学新人賞に佳作入選するまで、8年かかりました。

思春期でも誰でも、おもしろく読める本を

――自分の書いたものをどんな人に読んでほしいと思いますか。

 子どもが読んでくれたらもちろんいいけど、大人にだって読んでほしい。すべての人に読んでほしいです。

 今振り返ると、私が中学生くらいのとき内に秘めていた、親や世間への反抗心は強烈でした。創作の原点には怒りがあると話しましたが、思春期の頃って、同世代の言うことしか耳に入らなくなりますよね。「世の中も、大人たちも、みんな、きれいごとばかりだ」と怒りを溜めていたときが、私にもあります。

 思春期で反抗期の10代の子が物語を読んだとき「こんなわけないじゃん」と思うとイライラしてお話を楽しめないと思うから、そんなことがなく読んでもらえる物語を書きたいと思っています。難しいテーマは二の次で、とにかく「おもしろいものを書きたい!」というその一心でがんばっているので、おもしろがってもらえたらいちばん嬉しいです。