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聖書って最高のエンタメだ 鈴木結生

<イラスト・齋藤菜穂>

 今年は稀(まれ)に見る文芸映画イヤーなんじゃないか、と勝手に期待している。最近公開されたものだけでも、E・ブロンテ原作の『嵐が丘』、シェイクスピアの妻を主人公とした『ハムネット』の二作は素晴らしい出来だったし、今後、クリストファー・ノーラン監督による『オデュッセイア』、A24製作『ロビン・フッドの死』も公開されるとのこと。そんな中、最高の文芸映画がひっそりと公開された。

 チャン・ソンホ監督作『キング・オブ・キングス』は、かの文豪チャールズ・ディケンズのある作品を基にしている。『オリバー・ツイスト』? ノー。『クリスマス・キャロル』? も一部出てくるのだが違う。答えは『我らが主の生涯』……ご存知ない方が多いかもしれないが、それもそのはず。本作はディケンズが自分の子供たちのためだけに書き下ろし、生前刊行を禁じていた幻の作品なのだ。内容は福音書に描かれたイエス・キリストの生涯を一つにまとめたもので、映画は、そのストーリーをディケンズが次男ウォルターに語り聞かせる、という方法で見事に映像化してみせている。

 アーサー王伝説に憧れ、聖剣エクスカリバーのおもちゃを手放せないウォルター(今でいえば、「鬼滅の刃」にハマる小学生みたいなものだろう)に対して、父であるチャールズは「王の中の王(キングオブキングス)」について語り出す。といっても、流石(さすが)は稀代のストーリー・テラー。説教臭さは全くなく、観客もウォルターと同様、純粋に聖書の世界を冒険するような気持ちを味わえるはずだ。印象的なのが、ウォルターの飼い猫のウィラの存在。というのも、私は先達て「猫にバイブル」という小説を発表したばかりなのだが、これは聖書には猫が出てこない、ということに着想を得た作品だったのである(映画の中盤、イエスがウィラを抱きあげるシーンを観たときには流石にやられた!と思った)。一点だけ注文があるとするなら、ウォルターが聖剣を手放すのは、十字架に向かうイエスの「剣を取るものは剣によって滅ぶ」という言葉を聞いた瞬間にした方がより効果的だったのではないか、とは思うけれど、逆に言えば、それ以外何の文句もないほどによく練られた作品だった(尤(もっと)も「これが『父が娘に語る聖書』であったら、どうなったろう?」と後から考えもした。ディケンズの娘ケイトは、ウォルターとは比べものにならないほど魅力的なキャラクターになったろうし、新約聖書における女性の重要さがより強調されたかもしれない)。

 今回は特に、鑑賞の環境がよかった。知り合いの子供五人を引き連れて、さながら遠足の引率よろしく映画館に向かったので、より子供の目線に近いところから、映画に没入することができた。改めて感じたのは、聖書というのは最高のエンターテインメントだな、ということで、子供の頃から、何度となく観て、読み返してきた物語なのに、未だに中風の人が癒やされるシーンで感動し、嵐の吹き荒れる海でドキドキし、十字架のシーンは目を覆いたくなる。私の最愛の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスも言っている通り、人類はこの物語を何度も何度も繰り返してきた。映画の中でも、父チャールズがウォルターに対し、「これはお前の好きなアーサー王物語の元になった話だぞ」と語るのだけれど、まさに聖書はあらゆる物語の祖になったのである。

 聖書のことを知りたいんだけど、何となく難しそうだし、宗教の話ってどうも敷居が高いと思っている人ほど、ぜひ気楽な気持ちでこの映画を観に行ってほしい。=朝日新聞2026年5月10日掲載